2021年10月24日
陸上部だったのに世界陸上はみない
オリンピックも陸上は特に
食い入るようには見ていない
マラソンもスタートからゴールまで
見た事がない
ましてや駅伝も全て見た事はない
凄いなとは思うが
性格的に早く結果を求めているから
長々と耐えながら黙々と走る事が嫌だから
なのかもしれない
走ってみて速ければ気持ちも良いのだろうが
子どもの頃からマラソンは苦手
常に真ん中後半の目立たない成績できたから
そんな私が箱根駅伝に興味を持ってしまった
今回予選を勝ち抜いた大学で
面白いのが駿河台大学
10年前など無名中の無名で
常に箱根駅伝予選会では20位くらい
最下位になった事もあったらしい
部員は皆高校時代は陸上部や駅伝部員だったの
だろうが、片手間的に大学生活をエンジョイする
スポーツ部員的感覚の部員多数だったようだ
駅伝部員なのにタバコやパチンコに通い
夜には宴会
駅伝で区間賞を取ろうと意気込む部員は
皆無だったと思われる
そんな駅伝部に
元法政大学のエース徳本が監督として
やってくる
徳本は大学駅伝で区間賞を取ったり
箱根でも活躍したスター選手だった
ユーモアがあり、インタビューでは
面白い格好や面白ゴーグルで応えていたり
髪は金髪ロン毛、箱根駅伝では
日本人駅伝選手としては初めての
サングラスで走った男として脚光を浴びた
そんな徳本が大学最後に臨んだ箱根駅伝
二区を走った5キロ地点で肉離れを起こし
監督の静止も聞かず走り続けるが
7キロ地点で監督に取り押さえられリタイヤ
箱根駅伝史上最短距離での区間リタイヤという
記録を残した
その後社会人でも活躍し
11年前に駿河台大学の駅伝部監督に呼ばれた
学長が駅伝好きで、徳本のファンだった事から
監督になっても学長とは2人で話す事が多かった
5年前箱根駅伝予選会を落ちた際
いつでもクビにしてくれと学長に言ったが
私がもっと良い環境で練習させる事ができず申し訳ないと話していた
それを聞いた徳本監督は、
この駿河台大学を必ず箱根駅伝に連れて行くと誓った
その学長は翌年ガンでこの世を去った
徳本監督はまず部員たちの意識改革から始めた
週3回のパチンコを1回に減らしてくれないか?
飲み会の回数を減らせないか?
そんな状態から始めた
やがて部員たちにも選手としての自覚が生まれ
パチンコ、タバコ、宴会をする部員がいなくなった
それと同時にチームの成績も上がっていった
箱根駅伝予選会でもあと数秒というタイムまで
近づく事ができてきた
しかし、選手層の少ないチームのため
合宿でキツイ練習をすると故障者が出てしまい
レースではベストメンバーで戦えなかった
そんな矢先、中学の教師を休職してきた
30歳の部員が入部する
彼は箱根駅伝出場の夢を捨てきれず
自分より10歳も歳下の部員たちと戦うため
身一つで挑んできた
彼の練習はストイック
たましいの塊とも言える練習の姿に
部員たちの目の色が変わった
それと同時にチーム全体の雰囲気や
練習に対する熱意、個々のタイムが上がってきた
これはイケるかもしれない
徳本監督は練習量を上げず、普段の練習に
ストレッチや揉みほぐしの時間を増やして
選手の故障を防ぐことに集中した
選手のメンタル的な相談もかかさなかった
そのため今年の箱根駅伝予選会では
ベストメンバーで臨む事ができた
予選会当日は風が強く
秋なのに真夏のように暑かった
過酷な環境ほど下位チームはチャンス
レースが荒れるからだ
常連校があっさり負けるのはこのような
天気の時だから
駿河台大チームはいつもの走りをした
箱根駅伝出場という快挙を目の前に
いつもの走りはできないと思うが
みんなベストな走りを見せた
特に他大学でも活躍している外国人留学生
彼らがタイムを貯金するため、国内選手は
余裕を持って走る事ができた
駿河台大チームにも1人だけ留学生がいる
入学当時は無名の選手だったが
徳本監督の指導で飛躍的にタイムが伸びた
この予選会でも他大学留学生に負けない走りを見せた
彼のタイム貯金と、他メンバーの活躍
そして期待されていた教師選手は。。。
緊張のため前日は一睡もできずコンディション最悪で臨んだ予選会のため、ベストな走りができていなかった
監督が叫ぶ
頼む、お前のタイムが頼りだ
頼むから頑張ってくれ
最悪な状態だったが、彼の奮闘の甲斐もあり
結果8位で入賞
箱根駅伝のキップを手に入れた
こんな映画のような選手や監督が
箱根駅伝でどのような走りを見せるのか
楽しみでならない
Posted at 2021/11/01 20:33:15 | |
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