TiPo 92年9月号より 続き・・
公道上で200マイル。東名を走るうちに芽生えた途方もない夢である。
だがパンテーラの5・7リッター350馬力では力不足だった。光永の
計算ではパンテーラを時速200マイルで走らせるには700馬力の
パワーが必要だった。シボレー製7リッター級V8をさらにチューニングした
エンジンにそっくり交換することによって光永はそれを得ようと考えたのである。
アメリカで最高のコンロッドとクランクシャフト
「700馬力のV8」を作るのは、アメリカに星の数ほどあるV8チューニング
ショップに依頼すればじつに「簡単」な事である。そいつはこんな具合だ。
「シボレーのビッグV8から700馬力だって?俺にまかせとけって。エンジンを
一度バラして」ブループリント(部品のバランス取り)して、メーカー純正の
レース用ヘッドをつけて圧縮比を11.5にする。○○のカムと△△のコンロッド
××のピストンを使ってああしてこうすりゃあ・・・ま、ざっと700馬力は
いっちまうだろうな。そいつをパンテーラに載っけて時速200マイルで
フリーウェイをぶっ飛ばすって!?ユーは気でも狂ってるのかい。そんなこと
したらポリスに首をぶち抜かれる前に背中のエンジンが木っ端微塵に吹っ飛んじまう」
巨大なアメリカンV8は、2000回転程度の低い回転数でもすさまじい力を放ちわずか
5000回転で最高出力をだす。瞬発力、加速力では敵無しだ。
ところが最高速度に近い速度を出してもものの数分も走ると、エンジンオイルの温度が
急上昇し、油圧が低下してしまう傾向がある。それに気がつかないで(アメリカ車には
たいてい油温計、油圧計が無い)アクセルペダルをふみつづけていれば、エンジンの軸受け、
クランクシャフトのメインベアリングの焼損という重大なトラブルに陥る。
大きな排気量は大きな力を生む。その大きさと重さが連続負荷高回転の
運転では己の首を絞める。
並みのチューナーでは駄目なのだ。並みのパーツでも駄目なのだ。
レース用の、本物の特別製の700馬力V8でなければ。光永はその
結論をたずさえてマリオ・ロッシの工場に行き着いたのだった。
だがロッシは、はるばる日本からやってきた光永をケンもホロロに追い返す。
「公道を200マイルで走る?ここは精神分析医じゃないいんだぞ」
アメリカには日本の何倍もに及ぶありとあらゆる分野のスーパー
スペシャリストというべき人種がいる。が、烏合の衆たる無知なる大量の
衆の数も日本の10倍だ。プロはごく自然に排他的になる。クルマの世界も
同じだ。つい最近まで、全米最大のカーレース「インディアナポリス500マイル」では
パドックの中に女性を決して踏み入れさせなかった。ロッシの対応も当然の事だろう。
その日から光永はロッシのガレージの前で寝起きするようになる。
簡単に作ってもらえるなどと最初から考えていない。ロッシが再び声をかけて
くれたのは4日目の朝の事だという。
「お前、何処から来たんだ」「日本」「英語達者だな」「ハワイで生まれた」
「そんなにエンジンが欲しいのか」「パンテーラで時速200マイルだしたい」
「トーランスにカレロという奴が住んでいる。アメリカで最高のコンロッドを
作る男だ。ハンティントン・ビーチのハンク・ザ・クランクを知っているか?
アメリカ最高のクランクシャフトはあそこにしかない。俺はその二つがそろわないとエンジンは作らない」
「今すぐ行って買ってくる」
「OK。待ってるよ」
光永はきびすを返してクルマに乗り込み、500キロ離れたトーランスに向かった。
カレロは古い倉庫の一角を間借りしてコンロッドを作っていた。
「ロッシの紹介?聞いてない。お前に売るコンロッドはない。どこかそこらの
ショップにでもいけ。コンロッドなんか何処にでも転がっているだろう」
ハンティントン・ビーチのハンク・ザ・クランクは光永に会ってもくれなかった。
何度訪ねてもぴしゃりと閉じられた入り口のシャッターは1インチも開かなかった。
続く・・
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Posted at
2011/06/23 21:23:06