
先日のふくおはの会場で色とりどり揃っていたアウディTT軍団!
アウディジャパンも日本で福岡を最重点販売地区にしているようですね!
がまん君が、若い頃に比べてアウディのブランド力も相当上がっています(^^;) むかしは値落ちも酷かったけど今は昔。
ダムの直線をバーンと走ってた直噴ターボに加給を落さない変速機能・と切れない加速~ 質感高い内装と製品クオリティ。すんばらしい☆
話は唐突ですが、その光景を見ながら思ったのが、世界初のミッドシップレーシングカー、アウトウニオンのPワーゲンです。
伝説の中の伝説的な名車 世界初のミッドシップレイアウト45度V型16気筒4.35Lエンジンを搭載し、トーションバーを用いたサスペンションなど、画期的なアイディアが満載で、現在のF1マシンの原型となりやした。
第2次世界大戦後、本社のあった地区は東ドイツ領となり、混乱の最中Pワーゲンはソ連に接取されちゃいました。一部は丈夫なエンジンをトラクタ!!に積んで使った例もあったそう。そして冷戦が終わりドイツ統一後、部品が揃ったカタチでバラされていたPワーゲンDタイプ1台が発見されました。1990年再生レストア後、オークションに出されたこの個体は驚愕の価格で落札~ このあとあたりからピエピの巧みなブランド戦略が加速したような気がしまス。
アウトウニオン社はホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKWの四社合併で生まれ、その象徴である四つ輪のマークは現在のアウディに引き継がれてちょります。
時は1933年、グランプリレースを国威発揚の宣伝に利用するためナチスから多額の資金援助を受けたアウトウニオン社がポルシェ博士に設計させたPワーゲン。
ミッドレイアウトの気難しい操縦性で彼しかドライブできなかったと言われるベルント・ローゼマイヤーの運転で多くの速度記録を塗り替え、ナチスの宣伝とおりゲルマン民族の優秀性を世界にアピールしやした。
そして銀色に輝くCタイプベースのアブス・レコードカー(画像)はアウトバーンでメルセデスベンツとの壮絶な記録争いを繰りひろげ434.5km/hを達成した直後に横風で宙に舞い、ローゼマイヤーは帰らぬ人となとりやした(悲・・)
70年以上たった今でもアウトバーンのその事故現場には献花が途絶えないそうです。ヨーロッパの人々はそれほど歴史を重んじとります。はるか戦前の時代に公道で自動車がこんなスピードを出すとは・・・信じられませんです。
時は流れてポルシェ博士の孫であるピエヒが率いるアウディは、アブスとローゼマイヤーというミッドシップのコンセプトカーを発表した後、R8を市販しやした。
ではV8エンジンのR8がV16のPワーゲンの現代版なのか~?
ピエピは現代にPワーゲンを甦られるため自分の夢を叶えるのにブガッティを買い、選らんだのだと思います。
W16を積むブガッティ・ヴェイロンがPワーゲンの再来だと(福野礼一郎談)
私の好きなジャーナリスト福野礼一郎は、四つ輪をつけた銀色の1001馬力を出さなかったのはピエヒの見識だと言いっています。
ヨーロッパの人々はローゼマイヤーとアウトウニオンを忘れていないと。
がまん君はアウディに二億円払う人が居ないとピエピが判断しただけだとも思いましたが・・・。
おはふく駐車場に並んだたくさんのアウディTTを見ながら、アウトウニオンPワーゲンタイプCの記事を思いだした次第でした。
日本の自動車史は本場に比べたら全然浅い、40年は違う。戦後から始まっているし。北米であれほど成功したレクサスがヨーロッパで簡単に認めてもらえない理由は歴史なのかな?
Posted at 2010/09/15 20:57:28 | |
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