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2011年09月07日

菅前首相に聞く

菅前首相に聞く 2011年9月6日付けの中日新聞一面に非常にショッキングな内容の記事が掲載されていた。


3.11東京電力福島第一原発の事故発生当初、菅前首相が首都圏壊滅の危機感を持っていたことを明らかにしている。


独占インタビューとのことで、全国まではこの内容は報道されていないと思いますが、こんな衝撃的な事実は記録するべきであると思い、ここに全文を転載させて頂くことにしました。


事故1週間「背筋寒く」

菅直人前首相が本誌の単独インタビューに応じ、福島第一原発の事故発生当初の自身の動きや危機感、「脱原発依存」宣言に至る背景などを語った。一問一答は次の通り。
(聞き手=東京社会部・加古陽治、政治部・宮尾幹成)

菅前首相一問一答

不信
― 第一原発が大変なことになると、最初に感じたのはいつか。
 「最初の最初だ。電源が喪失し、冷却ができない。それが何を意味するか分かっているから、『こりゃ大変なことだ』と思った」
 「まず電源ということで、電源車を持って行けと。はじめはヘリコプターで運ぼうと思って重さとか寸法を測ったらどうしても運べない。陸路でかき集めた電源車を持っていき、つなごうと
思ったらホースが届かない。ずーっと、そういう状況に追われていた」

― その中で、なかなか正確な情報を把握できない。
 「きちんとした報告が入ってこない。水素爆発もそうだ。『格納容器内は窒素で満たされているから、水素爆発なんてあり得ない』と、原子力安全委員会は言っていた。それがドーンとなった」

― ヘリで現地に行ったのは、そういうじれったい状況をなんとか打開したかったから?
 「原子炉の状況を一番分かっているのは東京電力だ。だが、東電は現場と本店でツークッションになっていて、ベント(排気)が始まらない理由が正確に伝わってこない。それで現場の責任者ときちんと話をしようと考えた」

― 十五日に東電本店に乗り込むのは、第一原発から退避するという話が一番の原因か。
 「十五日の午前三時ごろ、海江田万里経産相(当時)から『東電が撤退したいという意向を示している』と。(第二原発と合わせ)十基の原発と十一個の核燃料プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉やプールの水は空となり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)し、放射性物質が放出される。清水(正孝)社長(当時)を呼んで聞いたら、はっきりとしたことを言わない。それで本店に統合本部をつくった」
 「撤退なんてあり得ない。撤退したら今ごろ、このあたり人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として、成り立つかどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれないんだから」

― 統合本部の設置が分岐点だったと。
 「本部を立ち上げ、海江田大臣と細野豪志首相補佐官(当時)を張り付けたことでグリップが効きはじめた。米国との関係もそれからうまくいくようになった。心配してくれたが、こちらにも情報がないから伝えられない。それで、隠しているんじゃないかと疑念を持たれた。統合本部に米国の専門家にも来てもらい、不信感がなくなった」

転換
― 一番危機感を持った時期は?
 「最初の一週間だ。東京に人っ子一人いなくなる情景が頭に浮かんで、本当に背筋が寒くなる思いだった」

― そういう経験を踏まえての脱原発依存宣言だったと。
 「3・11前は、安全性をしっかり確認して原子力を活用していくスタンス。私自身『日本の技術なら大丈夫』と思っていたが、3・11を経験し、考えを変えた。円を百㌔、二百㌔と広げる中に人が住めないとなったら、日本は成り立たない。十万、二十万の避難だってすごく大変だが、三千万人となれば避難どころではない。そのリスクをカバーできる安全性は何か、と考えた。それは、原発に依存しないことだと」

― 中部電力浜岡原発だけ、運転停止を要請したのはなぜか。
 「浜岡は特に地震の可能性が高いとの研究結果が出ている。ほかの原発も3・11前と同じような基準でいいとは思わないが、浜岡は特別だと考えた」

― 九州電力玄海原発の再稼働直前に安全検査の導入を打ち出したのはなぜ。
 「経産省原子力安全・保安院は、私の知らないところで、保安院だけで判断するという従来のやり方を取ろうとした。私は『それでは国民の理解は得られない』と言った。経産省はかなり意図的にやっていたと思う」

― 核燃料サイクルや高速増殖炉もんじゅについての考えは。
 「根本から再検討する段階に来ている。徹底した議論を出すしかない」

総括
― もう少し見届けたかったのでは?
 「与えられた条件の中で、やるべきことはやった。特に原発事故については、かなり進んだと思っている。再生可能エネルギー特措法案や原子力安全庁もできたし、そういう意味では3・11以降の課題の大きなところはスタートが切れた」

― 福島県の人たちにはどんな気持ちを。
 「本当に申し訳ないと思っている。『(汚染された廃棄物を一時保管する)中間貯蔵施設を福島県内に』との方針は、三月十一日に首相だったものの責任として言った」


以上、原文のまま転載。


菅前首相は、多くの批判を浴びながらも恐らく日本の危機を最も強く感じ、自分でなければ未来を変えることができないと首相でいなければと考えていたのだろう。


その場の経済ばかり考える多くの人間たちから、邪魔な存在として菅前首相は引きずり降ろされてしまった。


自○党が造った原発、自○党が管理してきた原発であるはずなのに、これまでの無責任な態度には呆れかえるばかりだ。


もし、あの時日本の首相が菅直人氏でなかったら、今の日本は存在していなかったかも知れない。


そんな日本国の大恩人に対し、私は心から感謝の念でいっぱいです。


「菅直人前首相、あなたの行いは後世まで語り継がれるほど立派だったと思います」


「ありがとうございました。本当にお疲れさまでした」







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Posted at 2011/09/07 01:47:33

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この記事へのコメント

2011年9月7日 20:49
未だに政府が把握していたと思われるスピーディの情報の開示も無く、枝野前官房長官の『直ちに人体に影響が出ないレベル』⇒『長期的に見れば何らかの影響は出るかも知れないレベル』と暗に示している言い回し。東電だってさすがに管前総理より知識はあるし、撤退といっても一時的な撤退で体制を立て直すつもりだった事、ベントに関しても東電が発信した情報が政府官邸内で埋もれてしまって伝わらなかったという事実には触れておりませんね、、、。また、前総理の原発への知識は10年以上も前の水準であり、現在の技術レベルには即していないというのも専門家の見解らしいですよ。
コメントへの返答
2011年9月8日 1:54
いらっしゃいませ、未知案内さん
コメントありがとうございます。

私の文章力が足りず解り難かったですね。
私個人としては、未知案内さんの言われるような不満と疑問はずっと持ち続けていました。
もちろん、前内閣及び民○党の力不足で政府の機能がうまく働いていなかったことも腹立たしいものでした。
しかし、私がここで取り上げていることは、3・11福島第一原発の事故で最も重大な判断を菅前首相「個人」がしたということなのです。
言われるように東電の方が遥かに知識はあったでしょうが、3・11の事故発生当時はたして東電に、何千億から何兆円規模の損失になるであろう「廃炉」覚悟の決断が出来る人間が居ただろうか。
もし居たとしても、決定までに何十時間も無い状態でそれが出来ただろうか。
経済?に傀儡された人間が取り巻く原発事業でそんな莫大な損失をだれが認めることができようか。

少しは原子炉の仕組みの知識のある人間であれば、冷却不能=メルトダウン=爆発を想像できたと思います。それは、現代の最新型の原子炉でも同じ基本原理です。
あの時間経過での東電の撤退表明が何を意味するのか・・・
後からいくら説明したとしても言い訳でしかない。
そんな中での菅前首相の、どんなことをしてでも爆発はさせない、との強い意思表示は東電のみならず私たちにも強く感じることが出来、その後の流れを大きく変えるものであったと評価しています。

情報の開示については、インタビューに答えたことが正直なところでしょう。
誰も正確な情報を把握できず、だれも判断が出来ない状態で何も開示できなかった。
最悪の仮定の情報開示を行うことにより影響の及ぶ三千万人の国民が動揺し混乱することを避けなければならなかった、と。

その後の「脱原発依存宣言」に基づく浜岡原発の運転停止要請は、菅前首相の独断であったと思いますが、そうでなければ「経済停滞」を理由に絶対に停止することは出来なかったと思います。
これを機に地震国での原発の在り方を再議論する機会を作りだしました。

確かに政府としては呆れ返ることばかりでしたが、菅前首相「個人」の以上の言動は、氏でなければ成しえなかったであろうと私は高く評価するものです。

プロフィール

「華色に、心ゆらして待つ光」
何シテル?   11/13 13:55
2008年3月から2011年2月末まで台湾茶藝館「好茶点」を開店していました。 昔の名前で出ています。 どうぞよろしくお願いいたします。
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