
木枯らしに吹かれ、ひとり佇むカラスがいた。
その姿と物怖じしない性格からか、人々から余り良い印象を持たれていないようですが、カラスを見ていて、ふとこんなことを思い出しました。
七つの子
作詞: 野口 雨情
子・・・からす、なぜなくの?
母・・・からすは山に、可愛い七つの子があるからよ。
子・・・かわいい、かわいいと、からすはなくの?
母・・・可愛い、可愛いと啼くんだよ。
母・・・山の古巣へ、行ってみてごらん、丸い目をしたいい子だよ。
皆さんよくご存知の童謡ですね。
お母さんと子どもの微笑ましい姿が目に浮かんできます。
この詩ではカラスは決して悪者ではありません。
カラスはいつから人間に忌み嫌われるようになってしまったのでしょう。
多くの野生動物たちは人間の手による開発行為によって棲む場所を追われ、食べ物を手に入れるために人里だけでなく都会にも姿を現すようになりました。
ゴミ収集場所に出したゴミ袋を漁ってゴミを撒き散らしたり、畑の野菜を食い荒らしたりと人間にとって迷惑な存在となっているようです。
しかし、本来カラスは雑食性ゆえに、森の掃除屋さんであったそうです。
カラスは人間の出すゴミを食べてくれるために都会にまで出てきているのです。
自然の浄化現象のひとつと考えれば、当たり前のことなのかもしれません。
しかし人間は、人間の都合で物事の良し悪しを判断するため、カラスが起こす自然の自浄現象が迷惑で悪いこととするのです。
人間が大量の生ゴミを毎日のように出し続ける以上、それを片付けようと沢山のカラスが都会に集まってくるでしょう。
それは田舎であっても生ゴミ袋を出しっ放しにしたり、食べ物のポイ捨てなどの緩慢な行為に対して、カラスたちは見逃しません。
カラスは「自然を司る存在」からの、人間の怠慢を見張る「番人」なのかもしれません。
いつかまた、カラスが森の掃除屋さんとして、人間との良い関係に戻れる環境にすることが人間にとっても、きっと大切なことなのでしょうね。
Posted at 2010/11/13 21:33:32 | |
トラックバック(0) |
自然 | 日記