
静岡県裾野市にある「もののふの里(葛山城址)」に行ってきた。というのも、私はこの地にゆかりがある者とされているからだ。
私の生まれ育った三重県北部のある地域には、葛山さんという名字が多い(ちなみに私は葛山ではない)
何と!この葛山さん、この地の領主様の一族だったらしい!ある時期にどういった理由かは不明だが、ある程度の郎党を引き連れて三重の地迄渡ってきたようだ。
自分も色々調べてみたが、あまり資料が残っていない様でわからない部分が多い。
ただ、桶狭間の戦いにも今川方としてその名が見受けられる。
葛山氏のルーツを辿って行くと、藤原鎌足にたどり着く。その子孫が所領を与えられ移り住んだ地が、葛山と呼ばれていた為に葛山に改名したようだ。
この葛山氏、戦国時代には領地が西に今川、東に後北条。北に武田と蒼々たる戦国大名に挟まれた為なかなか大変な状況だったようだ。
最終的には、武田に葛山当主が謀殺され乗っ取られてしまうわけだが、その数代前も跡取りがいないとかで、伊勢新久郎(北条早雲)の子供を養子に迎えているようだ。
ちなみに自分が檀家となっているお寺(ここも葛山一党)の、本来の名字は伊勢だったらしい。(北条早雲の一族だ)
この様に調べて行くと戦国マニアには垂涎の名前が勢揃いとなる。
またこのお寺の住職曰く、我が家の家紋を見て「お宅も昔は葛山だったはずだ」とのこと。ちなみに名字は変わっていても、血縁的には我が家も三代程前に葛山家から養子をもらっているので血筋的にも確実に葛山一党!
でも本当のルーツを探るという点では、北条から養子をもらっているという所が不明で、婿養子なのか?養子縁組なのか?で変わってくる。また武田に殺される最後の葛山当主も養子という説があるのではっきりしない。
ただ単純に家柄を辿っていくと飛鳥時代までさかのぼれる事には驚かされる。
さて葛山城跡だが、葛山氏の菩提寺である仙年寺の裏手を少し登ると葛山氏の墓がありそこから山道を5分ほど登ると本丸後にたどり着く。
周辺は地元の保存会の方々の尽力で良く整備がされている。

<葛山城跡全景>

<葛山氏の墓>

<葛山の墓から直登コース。キツいです>

<墓から道を直登すると、まず東曲輪跡下にたどり着く、>
右は大手と書いてある。大手とは表玄関の事だが、今私が登ってきたのは裏玄関の搦め手か?看板は左に本丸と書いてあるので左へ向かう。

<東曲輪跡下から本丸下をくるりと回って虎口、二ノ丸を経て、本丸にたどり着く>
本丸跡には休憩用のやぐらと、こういった場所にありがちな撮影用看板があって笑ってしまった。

<以外に広い本丸跡>
スケジュール的にあまり時間を割けないので、直ぐに下山する。
今度は、平地にある葛山館跡へ向かう。
戦国時代にはありがちだが、葛山氏も有事には山城に籠り、平常時には麓の屋敷に暮らしたらしい。その屋敷跡は今となっては土塁しか見る事が出来ないが、その土塁に囲まれた敷地は広大で、最盛期の栄華を伺い知る事が出来る。
今回の旅では、あまりこの地に滞在する事が出来なかったが、見所は充分にあるようだ。いずれゆっくり滞在して葛山城址を散策してみたい。
我が祖先はこの地の何処に居を構えていたのだろうか・・・。
Posted at 2012/10/03 10:34:39 | |
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