お久しぶりです。千博です。
生きてます。
言うまでもないんですが、先日の地震の影響でネットが不通になってしまい
ようやくネットが開通したので今回の地震について報告です。
とりあえず、先に申しますと
・自分
・自分の家族・親族
・親しくしてもらってる友人・知人
・ご近所さん
・そして人生を捧げているシルビア
は、幸いな事に無事でした。
よかった・・・
関さんから、ほんとに15分くらい前に連絡がきて
ようやく全員の安否が確認できてホッとしたところです。
今回は、宮城県沖と茨城県沖の2か所で大きな地震が起きたということで(詳しくいうと2か所ではない)
茨城在住の自分も、見事被災したわけです。
茨城も、海に面している大洗では津波が押し寄せて被害があったようですが
一番被害がひどい宮城では、まだまだ悲惨な状況が続いているわけで・・・
茨城も、いまだ20万世帯では停電しておりますが
自分の住んでる場所はこうして電気も通り、ネットも通ったというありがたい状況なので
生存報告と共に、どのように過ごしていたかというところまで書いてみます。
その後は、今後のガソリン等々の件や、ちょっと調べたいことを調べた後
節電のためパソコンの電源は落とすつもりです。
なので、まとまりのない文章になる気がするんですが(既に)
思った通りのことを書きます。
正直、被災して普通ではない生活であった中では、どちらかというとマシな生活であったと思うので
不謹慎な所もある可能性があるので、当初は伏せようと思ってはいたんですが
嘘の報告を書くくらいなら、書かない方がいいくらいなので
以下、ありのままです。
11日地震当日。
地震のあった午後3時ちょっと前
自分は、仕事が一呼吸ついたので、会社のトイレで大のほうをしてました・・・。
個室の中で、ゆっくり大きく揺れる普通じゃない揺れを感じて
9日にも同じような揺れがあったので
また気持ち悪い揺れだな~最近多いな~と
それくらいで思っていたんですが
時間がたっても収まらず
何かおかしいと、そそくさと処理をすませトイレを出ると
他の方も窓から外を見たりして、尋常じゃない何かを感じていました。
そして、外に避難だと言った頃には
揺れが更に大きくなり、ついには立っていられなくなりました。
物が落ち、電気はとまり
その他いろいろ
3階にいたので、2階の事務所に戻る途中の階段は
ひびが入っているのを確認・・・・
事務所は書類やらなにやらはごったがえし。
パソコンも倒れて
めちゃくちゃでした。
すぐに、避難訓練通り?の会社内のグラウンドに避難。
外にでてからも、大きな余震がありました。
これがおそらく茨城沖の地震だったんだと思います。
今では慣れで普通に感じるようになりましたが、外で動いてるのに揺れを感じる地震は異常だと思う。
うちの会社は人が多いので
グラウンドには何人いたんでしょ・・・1000人とか2000人とかなんでしょうか?検討がつきません
なので安否確認やらなにやらにも時間がかかり、1時間以上待機。
その間に、ほとんど通じなくなった中でも奇跡的につながった電話やメールで
家族と連絡はとれました。
仕事が休みだったらしい弟から最初にメールが入り
『家と家族はみんな大丈夫だから心配すんな それと車は無事だ!』
と、的確なメールが入り、本当に出来る弟を持ったとこの時思いました。
その後、"でも部屋は覚悟しとけ"という残念なお知らせや、そのほか県外の友人からも心配のメールやらが届き、すごくありがたかったです。
この時は、宮城の状態などもわからず
やたら強い地震だったな~くらいでしか思わず
地震があった時にいた場所や弟のメールが笑いのネタになってたりで、それほど心配はしてませんでした。
その後、安否の確認がおわり
現状そのまま帰宅出来る人は帰宅
事務所などの建物内へ戻ってなにかを取らないと帰れない人は
建物の安全が確認取れ次第
数人ずつ中へ入って、随時帰宅。
電車はとまってしまったので、帰りの手段がない人はとりあえず待機?とそれぞれなりまして
自分は、帰るために必要な物は全て揃っていたんですが
取りたい荷物はいくつかあったので
それを取ってから帰宅しました。
帰宅中に撮影した写真です。

街から、車のヘッドライト以外の光が消えました。

地面の歪み、陥没、地割れなどなど
となりの家のブロック塀。
これらはホントに一部で、まだまだ悲惨な状況は近所にたくさんありました。
瓦が落ちてしまった家もたくさんあり
はす向かいのお寿司屋さんでも
落ちた瓦が車のフロントガラスを直撃して割れてしまっていたり
中学の同級生の女の子の親と、うちの親が仲がいいので情報がまわってきたんですが
12月に納車されたばかりのbBと、それまで乗っていたワゴンRの2台とも瓦の被害でひどい状態になったらしいです。。。
既に自分の家では、うちに残っていた両親と弟とで
ほとんど片づけをしてしまい
綺麗になっていましたが
写真を見せてもらうとなかなか悲惨なことになっていました。
幸い、棚が倒れたとかはなく
使いものにならなくなったのは
ガラスのコップくらいでした。
自分の部屋はこんな感じでした。

夜、ケータイのフラッシュでなんとか撮影。

翌日の昼。
部屋の中に仕切りを作って、部屋の中に小さな部屋を作っているため
棚を特殊な配置をしているため
倒れているんじゃないかと思っていたんですが
自作のボックスがしっかり押さえて
どうにか棚はずれただけで済んでいました、よかった。
倒れていたら、ドアがあかなくなるか
パソコンを直撃のため、危なかったです。
その後、夜7時には完全に明かりが消え、ろうそくの明かり、ケータイの明かりを頼りに生活していました。
弟がインテグラに乗せているポータブルナビでワンセグが見れるので
どうにか情報を得ることが出来ていたんですが
宮城の津波が押し寄せる映像で胸が痛くなり
福島の原発の映像、頻繁に起こる余震で不安な長い夜でした。
花粉の症状もこのタイミングでこれまでにないくらいひどく、眠れぬ夜でした。
唯一ありがたかったのは、石油ストーブがあったため
暖はとれていました。それと、ストーブの上にあみあみのフライパンをしき
正月についたモチを焼いて食べれたのもよかったです。鼻つまって味はしませんでしたが。
朝になって、日がでてからは気分も少しは晴れましたが
状況は変わらず、食い物飲み物も少なく
PSPの電池もケータイの電池もワンセグの充電もきれてしまい
幸い前日にガソリンを満タンにしていたらしい親のekワゴンで
ケータイと、弟がおいていってくれたワンセグを充電していました。
ワンセグはほんとに情報を得るには助かりました。
これがあったとなかったではだいぶ違ったと思う。
ケータイも、なんだかんだで会社の方の連絡や
細かい情報が得られたんで便利でした。
ただ、ガセネタのチェーンメールが回った時は
すごく切ない気持でした。
正午すぎには、飲める水の配給が始まり
一世帯2リットルまでの条件で配られていたんですが
もらいにいったZ乗りのしょーたによると、3時間かかったようです。
うちの前は、配給場所への道路だったので
大渋滞でした。
そんなうちはというと、うちは水道水ではなく井戸水なので
電気さえ通ればモーターがまわって水が出るという状態でした。
幸い、ペットボトルのお茶や
大量の飲料水もありました。
風呂のたまっている水も、トイレを流すために使っていたようです。
自分は小便は外で済ませて
大の方はというと、不覚にも地震発生中に出すものを全て出し切っていたので
結局最後まで我慢できていました。
その後、お隣さんが井戸の蓋をあけたため
そこから直接水をくむことが出来たので
かなりの水を確保できました。
知人や、2リットルをもらいにいったしょーたや
その他親戚にも水をわけました。
夜は、その水と
本当は地震がなければ、金曜日当日に食べるつもりで親が準備していたキムチチゲ鍋を
ガスコンロを使ってどうにか作り
ご飯も炊き、久々に飯らしい飯を食えました。
この日は他にろくに食えてなかったので
すごくうまかったです、どうしようもないくらいうまかった。

卵は、はす向かいのお寿司やさんから頂いた卵焼きです。
この日のうちには通るだろうと思っていた電気も通らず
夜は8時に寝たとしても、どうせ夜中に起きてしまうので
ワンセグ、ケータイで情報をいろいろと見ながら
原発で起きていることの情報収集・勉強をしたり
信号も明かりもない闇の街を親の車で走り
陥没している道の状況や、電気が近くまできているとの情報を頼りに
どこまできているかを探したりしていました。
しょーたとも落ち合い、少し話をしていたんですが
その間にも外で感じる強い揺れや
地震速報などが入り
やはり落ち着かなかったので帰宅しました。
帰宅中には、行く時についてなかった信号がついていたり
その他の信号では、東京電力の車両があって
作業員の方が一生懸命復旧作業をしている光景を目の当たりにしました。
頑張ってくれと心から思った。
この光景を見れた事で、家を出てよかったと思いました。
その後、しょーたの家ではすぐに電気が入ったようですが、自分の家にはなかなか電気が入らず、2日目の夜も終わりました。
明らかに規則正しい生活になってしまった3日目。
7時前起床。
今日も電気も水もなし。
弟は2日連続で出社したんですが
ジョイ本勤めなので
社員の特権なのか、食糧や飲料水、俺なら買わないだろう(むしろ高くて買えない)花粉対策グッズをたくさん持ってきてくれて
すごくありがたかったです。
またしても出来る弟を持ったと思いました、いつこんな更生したのか・・・
しかし、電気がないのに充電式の電池をもってきたのは
やはり彼らしいというかなんというか・・・
それは置いといて
3日目となる今日も、配給の行列を眺めつつ
車の中でサウナ状態になりながらも、充電をしていると
ついに午前11時、電気が通ったとの事!
ほんとに歓喜しました。
普段あたりまえにあるものが、なくなって
こうして戻ってくると、どれだけありがたいかと・・・
実は私は、木曜日は本当に疲れていて夜9時半にはいつの間にか眠っていたらしく
起きたら会社に行かなければならない時間だったので
木曜日に風呂に入っておらず
つまり、最後に風呂にはいったのが水曜日だったので
4日ぶりの風呂でした、シャワーのみですが。
身体も汗はかいたし、髪はギトギトだったので、気持ちよかったです。
掃除機も使えるようになったので、悲惨だった自分の部屋も片付けました。
なぜか落ちなかったむかし作った15のプラモ
そして落ちて重い書類にもつぶされていたのに
リアスポ(ブラックセイバーのポン付け)が取れて、1か所にヒビがはいっただけで済んだLED付くだけのブロッケンG
実車の15も無事だったし、どうやらいろんな4輪に関して報われている気がすると感じていたとかいないとか。
クローゼットもあけたらどんがらがっしゃんで
全てを片づけるのには3時間以上かかったんですが、元通りになりました。
ガラス製品だけはあとでどうにかしないといけないんですが・・・
そして今に至ります。
現在でも余震は続き、福島の原発も安定はしてきていますが
まだまだ油断はできない状況だと思います。
ライフラインも復旧はまだまだしてませんし
宮城県に関しては、そもそもライフラインなんて言ってる場合じゃない状態です。
テレビでは、宮城県の情報が随時伝わってきていますが
ようやく、現地の人へのインタビューや
ブルーシートに包まれている、おそらく死体であろう"物"など
リアルな映像が伝わってきており
非常に心が痛いです。
こうやって家族揃って家があるだけでも
本当に幸せなんだと思います。
まだまだ思っていること、考えている事
やっていたことなど
このブログでは伝えきれない、書ききれないことはたくさんありますが
既にかなり長く書いてしまったので、これくらいにしておこうと思います。
今は、全てに関して自分は祈ることしか出来ません。
いろんな人にいろんな意味で、頑張ってほしい。
自分の体験は、宮城の津波の被害にあった方々に比べれば
ほんとに小さな災害なのかもしれませんが
その程度でも、事実経験している時はすごく辛かったです。
なので、きっと尋常じゃないはずなんです、むこうは。
自分一人が何かをしたところで、大きく事が変わることはありませんが
今こうやって長くブログを書いていることは矛盾しているんですが
生まれて初めて節電を心がけようと思います。
最後になりますが、現在
自分の家のまわりでは電気はほぼ復旧しつつありますが
水道に関しては復旧のメドはたってないようです。
なので、みんともの方で近くに住んでおられる方はあまりいないのですが・・・
水が必要な時は、メッセージでもなんでもいいので言って下さい。
容器さえ用意して頂ければ
提供することはいくらでもできるんで!
自分が力になれる事は本当にそれくらいです・・・
何シテル?やブログの更新などで
既に無事を確認できてる方もいますが
他の方についても心配です。
一人でも多くの方が無事である事を祈っています。