彼の自宅は友人の建築家・藤森照信が設計した『ニラハウス』。屋根一面にニラが植えてあって、えぇ〜!なんでニラなの???ってやっぱ前衛美術家は違うぜって感心したことがありました。今になって考えると、たぶん彼は餃子が好きで常に新鮮なニラがあればい〜な〜なんて思ってたんじゃないかと、朝から馬鹿なことを…(^ ^;
他には路上観察学会なんてのも魅力的でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします…
赤瀬川原平さん死去 「老人力」「超芸術トマソン」
【2014年10月24日 朝日新聞】
知的なひねりに満ちた前衛美術作品を手がけ、「老人力」「超芸術トマソン」
などの著作、芥川賞受賞でも知られた画家・作家の赤瀬川原平(あかせがわ・げ
んぺい、本名赤瀬川克彦〈かつひこ〉)さんが、26日午前6時33分、敗血症
のため東京都内の病院で死去した。77歳だった。通夜、葬儀は近親者のみで行
う。喪主は妻尚子さん。作家の赤瀬川隼(しゅん)さんは実兄。
横浜市に生まれ、子供時代は大分や名古屋で過ごした。武蔵野美術学校(現・
武蔵野美術大)は中退したが、20歳ごろから無審査の読売アンデパンダン展な
どに絵画やゴムチューブを使った「反芸術」的な作品を出展。1960年に故・
荒川修作らと前衛美術集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー」の結成に参加
した。
63年に故・高松次郎、中西夏之氏と「ハイレッド・センター」を作り、東京
五輪のさなかに白衣姿で銀座の路上を清掃するパフォーマンスなどを実施した。
扇風機やイスを包装紙で包む「梱包(こんぽう)作品」、カニ缶のラベルを缶
の内側に貼り、宇宙全体をカニ缶に封じ込める「宇宙の缶詰」など、ユーモアや
パロディー精神に満ちた作品を発表。65年には、千円札の表面を印刷した作品
が通貨模造に当たるとして起訴され、67年に懲役3カ月執行猶予1年の有罪判
決を受けた。
80年代には、無意味な建造物などを「超芸術トマソン」と名づけたり、藤森
照信、南伸坊両氏らと「路上観察学会」を作ったり。97年には、藤森氏設計の
自宅「ニラハウス」が完成した。
小説家としては尾辻克彦を名乗り、81年に「父が消えた」で芥川賞。96年
には三省堂の国語辞典の面白さを説いた「新解さんの謎」が話題に。年齢による
物忘れなどを前向きにとらえた98年の著作「老人力」がベストセラーになるな
ど、常に知的な脱力感とおかしみが漂う話題を提供。当時、自らの歩みを振り返
り、「やってきたことは一種の落ち穂拾い。落とし物には意外と本音が隠されて
いる」と話していた。
東京都の町田市民文学館で「尾辻克彦×赤瀬川原平」展が開催中で、千葉市美
術館でも28日から回顧展「赤瀬川原平の芸術原論」が予定されている。
◇
《イラストレーター、エッセイストの南伸坊さんの話》 とにかく話が面白く、
一緒にいて楽しい人でした。もうあの話が二度と聞けないことが決定的になり、
寂しくてなりません。作品のためにではなく、いつでも全力で「面白いこと」を
考えていて、それが結果的に作品になっていました。もう新しい作品を見られな
いのがとても残念です。
◇
《「老人力」と命名した建築史家の藤森照信さんの話》 ものを見る目も独自
だったが、それを言語化するのが天才的でした。自宅屋根にニラを植えることも、
「老人力」と名づけることも、面白がってくれた。一緒に建築作業をする時は、
黙々として職人のようだったし、「画家」という思いも強かった。現代美術展を
見に行くと、前衛時代のことを思い出して楽しめない、と話していたのが印象に
残っています。
これがニラハウスの屋根
何の本か忘れましたけど、彼の苗字の『赤瀬川』のルーツ?を探って
鹿児島県阿久根市の赤瀬川まで行った話がありました 笑
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2014/10/28 05:45:35