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Frank Sladeのブログ一覧

2014年11月10日 イイね!

『バカにしゅるのもいい加減にしてくだしゃい。ボクにだってわかりましゅ』曰く、タラちゃん。

『バカにしゅるのもいい加減にしてくだしゃい。ボクにだってわかりましゅ』曰く、タラちゃん。たぶん3歳児のタラちゃんに川内原発再稼働のむちゃくちゃぶりを話したら、きっとこう言いますね。それほど何が何でも再稼働、地元住民の反対なんぞどこ吹く風、動かしちゃえばこっちのもの、未来の日本より今の「お・か・ね」。まったくどうにかなりませんか〜 ┐(´д`)┌





「川内原発」再稼働を急ぐ鹿児島県知事と九電の“蜜月関係”
【2014年11月8日 日刊ゲンダイ】


 鹿児島県の伊藤祐一郎知事が7日、九州電力「川内原発」の再稼働に同意する
考えを明らかにした。福島原発事故後に作られた新規制基準の適合性審査を受け
ている全国13原発のうち、立地県の知事の同意は初めてだ。

 再稼働に反対する約400人の県民が庁舎や議会棟に押しかける“厳戒ムード”
の中で行われた会見で、伊藤知事は「状況を総合的に勘案し、再稼働はやむを得
ない」と強調。“苦渋の決断”のようなそぶりだった。

 ただ、「川内原発」は原子力規制委員会が新基準に適合すると判断したものの、
工事計画の審査は継続中だ。伊藤知事は、安全性について「ある程度約束される
なら」なんて言っていた。だが、一度事故が起きれば「ある程度」の被害じゃ済
まないから住民は猛反対しているのだ。「判断が拙速」との批判が続出している
伊藤知事はどんな人物なのか。

「東大卒業後、旧自治省(現総務省)に入省。石川県の財政課長に出向し、北陸
電力・志賀原発の立地計画に携わったことで原発に詳しくなったようです。知事
は現在3期目で、県庁内では『原発知識は庁内で一番』といわれています」
(鹿児島県政担当記者)

■九電は伊藤知事のパーティー券を購入

“原発通”のトップを電力会社が放っておくハズがない。案の定、伊藤知事と九州
電力はズブズブの関係のようだ。

「九電は、伊藤知事の資金管理団体が08年4月に鹿児島市内で開いた資金パー
ティーの券を購入しています。09年には川内原発3号機の増設を県に申請する
時期にミュージカルのチケットを知事に渡し、夫婦そろって観劇していたことが
問題となりました。九電は『事実上の企業献金』との批判を受けて今はパーティ
ー券購入などはやめているようですが、東電・柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な新
潟県の泉田裕彦知事とは正反対です」(経済ジャーナリスト)

「原発いらない!九州実行委員会」の青柳行信氏はこう言う。

「伊藤知事は『再稼働の同意を得られた』と言っていますが、賛成派の意見を都
合よくまとめているだけ。県民説明会の開催を要望しても聞く耳を持ちません。
説明会を開けば、原発の問題点が逆に周知されるからです。だから再稼働を急ぐ
のでしょう」
Posted at 2014/11/10 15:02:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | 明日の日本 | 日記
2014年10月12日 イイね!

ノーベル平和賞はカイラシュ・サトヤルティさんとマララ・ユスフザイちゃん!

ノーベル平和賞はカイラシュ・サトヤルティさんとマララ・ユスフザイちゃん!ノーベル平和賞は2人受賞して、昨年も大本命と言われたマララちゃんと、もう一人はカイラシュ・サティアルティさん。一緒に憲法九条にもいただけると良かったのにな〜と、残念でしたが、まぁオバマさんが貰える賞ですからしょうがないかと。あれっ!、安ちゃんと麻ちゃん、そして石ちゃんの高笑いが聞こえたのは気のせい??



ノーベル平和賞・サトヤルティさん 子ども8万人救う
【2014年10月11日 東京新聞】


【ロンドン=小嶋麻友美】ノーベル平和賞の受賞が決まったカイラシュ・サトヤルティ
さん(60)は大学院で電気工学を学び、大学講師を務めていた一九八〇年、社会活動
家に転身。児童労働や人身売買から子どもを守る運動「子ども時代を救え」を立ち上げ、
地方の町からデリー、ムンバイなどの大都市に送られる子どもたちを救出、教育や社会
復帰を支援する場を提供してきた。

 自らの幼少期、貧困のために教育などさまざまな機会を失う子どもを周囲で見てきた
ことが動機になったという。米紙の取材には「一人で大きな変革はできない。児童労働
は根深い社会悪であり、組織化した運動として取り組む必要があった」と語っている。

 九八年には世界的な草の根運動「児童労働に反対するグローバルマーチ」を発案。現
在参加は百七十二カ国、二千団体以上に広がり、児童の権利擁護でインド国内だけでな
く、世界の指導的な役割を務めている。

 八万人以上の子どもを搾取の現場から救い出してきた半面、身を脅かされる経験も多
かった。二〇〇四年、サーカス団に捕らわれていた二十人余りの少女を救出する際には、
暴力団の襲撃を受け負傷したが、政府官舎前に座り込みの抗議を続けて、少女たちの解
放につなげた。

 子どもの教育と権利に関し、国連や多国籍企業に対しても積極的な提言を行っている。

◆子どもたちにより関心を

 【ロンドン=小嶋麻友美】カイラシュ・サトヤルティ氏はノーベル賞公式サイトの電
話取材に「受賞は世界中の子どもたちにとって大きな名誉だ。子どもたちが放置され、
困窮している問題に、より多くの関心が向けられることを期待している」と喜びを語っ
た。
Posted at 2014/10/12 09:28:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 明日の日本 | 日記
2014年10月10日 イイね!

日本から出た〜!ノーベル物理学賞!その3

日本から出た〜!ノーベル物理学賞!その3ノーベル物理学賞受賞おめでと〜って赤崎勇さん描いた勢いでとうとう3人とも描いてしまった。お三方ともしっかりしたお顔で、わたしも楽しませていただきました♪日本の未来も少しだけ明るくなったような気がします。
さて、いよいよ今日はノーベル平和賞の発表日。憲法九条、どうなりますか?とても気になります。






ノーベル賞、「3人同時受賞」の深い意義
閉塞感の出口を目指すための"松明"に
【2014年10月8日 東洋経済】


ノーベル物理学賞受賞者に青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇・名城大
教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校
教授が選ばれた。日本人としては一昨年に医学生理学賞を受賞した山中伸弥・京都
大教授以来の快挙だ。

間に立つ天野教授の絶妙な役割

3氏の顔ぶれ自体に、深い意義が感じられる。知名度では抜群であろう中村教授。
徳島の中小企業で辛酸をなめながら這い上がったサクセスストーリー、その後の発
明対価をめぐる訴訟などでのアグレッシブな印象は歴代の日本人受賞者の中でも際
立っている。世界に対する日本人のイメージを変える意味でも、今回の受賞は心が
躍るものだろう。

対照的に赤崎教授は、この道一筋のオーソドックスな研究者。戦中は軍需工場勤務
も経験、戦後に京大で「鉄」や「結晶」の研究に携わった後、1970年代からは松下
電器産業(現パナソニック)や名古屋大学で窒化ガリウムによる青色LED開発に没
頭。「一生かけてもできないかもしれない」と思っていた研究を80年代の終わりに
なって結実させた。

名城大に移ってからも毎年、ノーベル賞候補としてその名前が挙がり続けていた。
特許料の一部は母校の名古屋大学に寄付、研究業績などを紹介する「赤崎記念研究
館」はすでに名大構内に建てられている。誰もが納得し、誰もが喜ばしいであろう
今回の受賞だ。

両氏に比べれば知名度の劣る天野教授。30以上年齢の離れた赤崎教授を師と仰ぎ、
中村教授よりも6歳若い。現役研究者として今も飛び回り、受賞の知らせも学内で
は受けられなかった。しかし、この快挙は天野教授の業績と役割なしにあり得なか
ったことは間違いない。


やはり3氏が同時受賞した2002年の武田賞の受賞講演で、天野教授は赤崎研究室の
門を叩いた理由をこう述べている。

「これは多分私のまったくの思い違いだと思いますが、当時の大学の研究というのが、
我々若い人間から見ると、どうしても研究というよりも研究のための研究、あるいは
研究費をもらうための研究、というような感じを受けてしまったんですね。あるいは
学位を取るために仕方なく研究しているというように非常にうがった見方しかできな
かったんです。当時、とにかく何かにチャレンジしたいと思っていた私は、赤崎先生
の研究室で掲げている青色発光ダイオードというテーマを見たときに『これだ!』と
思ったんですね。これはまさに、未来のための研究、研究本来の研究であると直感し
まして、即座に先生の研究室のお世話になったわけです」

そして当時、難題だった窒化ガリウムの結晶を成長させる装置に工夫と改良を重ね、
ついに世界初の青色LED開発に成功した。だが、天野教授の挑戦はそこで終わりでは
なかった。その後の実用化に向けて試行錯誤を重ねていく。そして当時、意識してい
たのが、まったく同じ分野で成果を出し始めていた中村教授の存在だった。

青色LEDの輝度を高めるため、窒化ガリウムにインジウムを添加する実験。当初うま
くいかなかった天野教授は「中村先生がちゃんとできますよ、非常に明るいですよと
いうことを発表されて、じゃあといってやり直してみると、今度はできちゃう」こと
を経験した。

それは「何かをやるときに、必ずできると信念を持ってやるのと、ダメだろうなと思
ってやるのとの違いを、この時ほど痛感したときはありませんでした」という教訓と
して語っている。


研究と実益のバランス

一方の中村教授も同じ武田賞受賞後の講演の中で、赤崎研究室の成果を常に意識して
いたことを隠していない。いわく、「先にやられた」「ショックを受けた」「こりゃ
まいった」。その上で、天野教授に対してはこんなエールを送っている。「天野先生
みたいな若い人が、ベンチャーをやるようなシステムにしないとダメだと思う」。

互いを刺激し合うライバル関係。研究と実益の両面を追求するバランス感覚。それら
が天野教授と中村教授の間で共鳴し合い、世界を圧倒する結果につながっていたので
はないだろうか。

いま、日本の大学は基礎研究一本だけでは許されず、かといってアメリカの大学のよ
うにベンチャーを次々と生み出す土壌が育っているとも言いがたい。ノーベル賞学者
を続出させていることになる名古屋大学でも、若い研究者からは「昔のように大らか
に基礎研究に専念させてもらうのはもう無理」という声もあれば、「国の研究費に寄
りかかるだけで、ベンチャーなどを通じて研究成果が社会に還元されない」と両面で
嘆く声が聞こえる。

今回の「3人同時受賞」という快挙を、こうした閉塞感の出口を照らす"松明(たいま
つ)"にしなければならないだろう。
Posted at 2014/10/10 06:45:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明日の日本 | 日記
2014年10月09日 イイね!

日本から出た〜!ノーベル物理学賞!その2

日本から出た〜!ノーベル物理学賞!その2そういえば日亜化学と戦って… なんてことがありましたね。そんなこともあんなこともひっくるめた、記者会見での彼の『ドハハ〜』ってなお顔がと〜っても良いです♪
平たい顔族の社会に一石を投じた、それも我が国ではノーベル賞級かな?明日の日本をガラパゴスにしないように若き研究者諸君も頼みますょ(^ ^/








ノーベル賞、勝因は「怒り」=日本企業に苦言も―中村さん
【2014年10月8日 時事通信】


【サンタバーバラ(米カリフォルニア州)時事】青色発光ダイオード(LED)の
開発でノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校教
授の中村修二さん(60)は7日、同校で記者会見し、「怒りがすべてのモチベー
ションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」と研究生活を振り返った。

 会見には各国メディアや大学関係者ら約200人が出席。「研究当初は受賞を予
想していたか」との質問に対し、中村さんは「(日亜化学工業の社員時代に)フロ
リダ大に留学した時は、青色LEDの開発ではなく、博士号を取るのが夢だった」
と笑いを誘った。

 中村さんが1993年に青色LEDの量産技術を開発したことをきっかけに、各
方面でLED実用化に向けた動きが加速。「多くの研究者が加わり、スーパーでも
LEDランプが買える時代になった」と誇らしげに語る。LED分野の当面の研究
課題として、5割にとどまっている電力から光への変換効率を、6割に向上させる
ことに意欲を見せた。

 社員時代は青色LEDの開発に孤軍奮闘。退職後は発明の対価をめぐって日亜化
学と裁判で闘った中村さんは、鋭い言葉で日本の研究環境や企業を批判してきた。
会見では米国を研究拠点に選んだ理由について「研究者に多くの自由が与えられ、
一生懸命やれば、みんなにチャンスがある」と語り、「日本では性別や年齢などの
差別により、全員にチャンスがあるわけではない」と残念がった。

 さらに「日本では発明は多いが、企業がグローバリゼーション(世界的な拡大)
が苦手。携帯電話など最初は良い製品を作っても敗北している」と指摘。「誰もが
起業できるよう規制やシステムを見直すべきだ」と日本政府に注文した。 
Posted at 2014/10/09 05:48:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明日の日本 | 日記
2014年10月08日 イイね!

日本から出た〜!ノーベル物理学賞!

日本から出た〜!ノーベル物理学賞!私には青色発光ダイオードの発明がどのくらい凄いのイマイチピンと来てませんが,なんつってもノーベル物理学賞ですから同じ日本人としてはと~っても気分良いです♪昨晩赤崎勇さんの記者会見のTV見たんですが,御年85歳とは思えない矍鑠とした物言い! それに比べてモゴモゴ質問している記者に,何言ってんだよ〜!とつっこんでしまっ           た(笑)あらためて,おめでとうございます!



ノーベル物理学賞に の3氏
【2014年10月7日 朝日新聞】


 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、今年のノーベル物理学賞を、赤崎勇・
名城大教授(85)と天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニ
ア大サンタバーバラ校教授(60)の日本の3人に贈ると発表した。赤崎さんと天
野さんは青色の発光ダイオード(LED)を初めて作り、中村さんが実用化につな
げた。これにより光の三原色がそろう道筋がつき、LEDの爆発的な普及につなが
った。

 授賞理由は「明るく省エネルギーな白色光を可能にした効率的な青色発光ダイオ
ードの発明」。研究成果を受けて、白熱電球や蛍光灯に代わるLED照明が実用化。
室内照明や携帯電話、交差点の信号機のほか、省電力・長寿命の大型フルカラー・
ディスプレーなどに使われている。

 LEDは電気エネルギーを光に変える半導体素子だ。フィラメントを電気で熱し
たときに出る光を使った白熱電球と違い、電気を直接光に変えるので効率が良く、
熱による材料劣化も少なくて寿命が長い。赤、緑、青の光の三原色をLEDで実現
すれば幅広い色を再現でき、用途が広がるが、青色LEDがなかなか作れず、実用
化が競われていた。

 赤崎さんは名古屋大教授時代の1985年、天野さんとともに高輝度のLEDに
欠かせない良質な結晶を作製。89年、窒化ガリウムの半導体で青色に光るLED
を作ることに成功した。

 中村さんは日亜化学工業(徳島県阿南市)の研究員時代の90年代前半に、製法
を進化させた。

 赤崎さんは、名古屋市の名城大学で会見し「これ以上の名誉はないと思っていま
す。支えていただいたいくつかの職場の皆さんの大きなサポートのおかげ。この場
を借りてお礼申し上げたい。私は幸運で、決して私ひとりでできたわけではない。
この賞に値すると思ったことはなかった」と述べた。

 中村さんは受賞決定後、「自分の発明したものが使われていることは非常にうれ
しい。省エネや、地球温暖化を食い止めることにも役立っていると思う」と話した。

 授賞式は12月10日にストックホルムである。賞金の800万スウェーデンク
ローナ(約1億2千万円)は受賞者3人で分ける。日本のノーベル賞受賞は、20
12年の山中伸弥・京都大教授に続いて20、21、22人目となる。物理学賞は
08年の小林誠・高エネルギー加速器研究機構特別栄誉教授と益川敏英・名古屋大
素粒子宇宙起源研究機構長、南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(米国籍)の3人以
来8、9、10人目。

     ◇

赤崎勇(あかさき・いさむ) 85歳。鹿児島県生まれ。1952年京都大理
学部化学科卒、神戸工業(現富士通)入社。名古屋大助手、松下電器産業(現パナ
ソニック)などを経て、81年名古屋大教授。89年窒化ガリウムの青色LEDを
作製。92年、名城大教授。2001年、朝日賞。

     ◇

天野浩(あまの・ひろし) 54歳。静岡県浜松市生まれ。1983年名古屋大
工学部電子工学科卒。大学4年から赤崎勇氏の研究室に入った。89年同大工学博
士号を取得。2002年名城大理工学部教授。09年応用物理学会フェロー、10
年から名古屋大大学院工学研究科教授。

     ◇

中村修二(なかむら・しゅうじ) 60歳。愛媛県生まれ。1977年徳島大工
学部電子工学科卒。79年徳島大大学院修士課程修了。日亜化学工業入社。94年
徳島大大学院博士号取得。99年日亜化学工業を退社。2000年米カリフォルニ
ア大サンタバーバラ校教授。01年朝日賞。

     ◇

〈発光ダイオード(LED)〉 電圧をかけると光を出す半導体素子。LEDをつ
くるには、プラスの電気を帯びたものとマイナスの2種類の半導体が必要。材料の
種類で光る色が決まる。青色LEDに使われる窒化ガリウムではプラスの半導体を
つくるのが極めて難しかった。
関連情報URL : http://www.meijo-u.ac.jp/
Posted at 2014/10/08 05:24:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 明日の日本 | 日記

プロフィール

「ラジオで7-11のCM聴いたら急に聴きたくなって今日の通勤BGMは、清志郎の「夢助」@Apple Music (^-^)」
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