今日は69回目の終戦記念日。この国のトップたちはまた戦争のできる国にしようとしていますが、実際戦うのは明日の日本を担う若い人たちです。たぶん決める側の子供たちはそこからは逃れるんでしょうね。今日の追悼式で先の大戦で犠牲になった310万人の、ホントに冥福を祈れるんだろうか、彼らは?
最近、兵士の夢を見る−−漫画家・水木しげるさん
【2014年8月13日 毎日新聞】
◇命懸けで合流した部隊で「死ね!」こみあげた怒り−−水木しげるさん(92)
「最近、戦争の夢を見る夜が増えた」という。鬼太郎ブームを巻き起こした
日本を代表する漫画家、水木しげるさん(92)が見る夢の中で、亡き戦友た
ちが無言で目の前を通り過ぎる。水木さんの右手は空をつかむようにして戦友
を呼び止める。だが「『おーい!』と声をかけても誰も振り向いてくれない」。
東京都調布市の水木さんの事務所。鬼太郎や妖怪たちのフィギュアやお面が
見守る。太平洋戦争中、激戦地、ラバウル(現パプアニューギニア・ニューブ
リテン島北東部)にいた。目の前の机に置いたのは、戦記漫画「総員玉砕せよ!」
の初版本。「90%は戦地で自分が見聞きしたこと」という。
召集令状が届いたのは1943年春、21歳の時だった。古い船に乗せられ
ラバウルに着いたのは秋。ラバウルはガダルカナル島などへの中継地点で、連
合国軍の空爆の標的になった。すでに戦局は悪化し、水木さんの船はラバウル
に到着した最後の船だった。
戦場は常識が通用しない世界だった。「上官から毎日50発ぐらいビンタさ
れていました。水木さん(自分のことをこう呼ぶ)は、一秒でも長く寝ていた
いから起床が一番遅い。だから朝から『ビビビビビン!』とビンタされる。
銃の手入れが悪いと指摘されたり、軍の規則に少しでも外れる行動をしたりす
れば、これまたビンタなのです」。兵隊は消耗品と位置付けられ、初年兵と畳
はたたくほどよくなると言われていた。
「戦時中、特に前線では人間扱いされることなんてあり得ないことでした。
人間なのか動物なのか分からないほど、めちゃくちゃだった」
分隊で、間もなく夜明けという頃に海岸線の歩哨に立った。望遠鏡でオウム
を観察していて時間に遅れそうになり、慌てて隊に戻る途中、分隊は森側から
敵襲を受け、全滅。水木さんは海に飛び込み、現地住民に襲われたり密林の中
をさまよったりしながら本隊と合流を試みた。重い銃や弾は捨て、5日ほどの
逃避行。「時間の感覚がまったくなかった。あるのは『生きて日本に帰りたい』
という気持ちだけだった」と振り返る。
死線を乗り越えて部隊に合流すると思いがけない言葉が返ってきた。小隊長
は「天皇陛下からもらった銃をなぜ捨てて帰った!」と怒鳴った。中隊長は
「なんで逃げて帰ってきたんだ。みんなが死んだんだからお前も死ね!」と。
水木さんはこの時の心境について一言だけ述べた。「兵隊が逃げていたら戦
争なんかできないから、生きて帰ったと叱られたわけですよ。だけどね、命か
らがら逃げてきて『死ね』と言われてもできるわけないですよ」
著書「水木しげるの娘に語るお父さんの戦記」(河出文庫)にはこう記され
ている。<中隊長も軍隊も理解できなくなった。同時にはげしい怒りがこみ上
げてくるのを、どうすることもできなかった>
「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が、戦場にいた人の心を狂わせ
た。水木さんは口調に力を込めた。「体面を重んじたり、部下を忘れて美しく
死のうとしたりする上官が多かった。玉砕という言葉が、生きたいと願う兵隊
一人一人の人生に絡みついて離れない感じだった」。水木さんの直属の上官、
27歳の大隊長は、皇国史観の下で「忠臣の鑑(かがみ)」とされた楠木正成
に心酔していた。のちに戦況不利と判断すると玉砕を決行している。
爆弾で手足をもぎ取られたり、腹を撃たれたりしてうめく兵士。戦場では死
は常に隣にあり、命は軽すぎた。作品では仲間の死に兵隊が涙を流すシーンが
あるが、「水木さんは戦場ではあまり悲しんでなんかいられなかった。なんて
いっても誰かに次の死がやって来ましたから……」。水木さんがソファから背
中を浮かすとシャツの左袖がひらりとした。そう、この人は命こそ助かったが、
左腕を失った。
マラリアで40度以上の高熱が出て兵舎でふせっていた時、空襲による爆発
で左腕を負傷した。「バケツ1杯分の出血があった」(水木さん)。治らない
と判断した軍医がナイフで腕を切断。傷口にウジ虫がわき、腕は顔よりも大き
く腫れ上がった。マラリアもひどくなり、状態は悪化。「周りは『死ぬだろう』
と言っていました」。実際、埋葬用の穴が掘られていた。
持ち前の体力でなんとか持ち直し、野戦病院に運ばれた。現地住民との交流
で食べ物を得たことなどで回復。復員は46年、24歳の時だった。
戦時中にニューブリテン島にいた旧日本軍は約10万人。厚生労働省によると、
戦没者は約1万3700人に上る。
ふと気がつくと、水木さんが「総員玉砕せよ!」のラストシーンをじっと見
つめていた。兵士たちが玉砕する前に好きな歌をうたう場面だ。命の最後に選
択したのは女郎の歌だった。<私は〜 な〜あんで このよう〜な つら〜い
つとめ〜をせ〜にゃなあらぬ>。突撃。体を吹き飛ばされる兵士、誰にもみと
られなかった死体の山、そして白骨の山で作品は終わる。
「日本に戻ってからは『かわいそう』という言葉は使わなかった。この言葉
は戦場で命を落とした兵士のためにあるのですから」。残った右手がページの
上をなでるように動いた。「これを描いている時はアイデアを考えたりしなく
ても、何も意識しないで右手が勝手に動いた。あの島で死んでいった兵士がね、
描かせたんだね」
再び戦争ができる国を目指しているかのような安倍政権。現状を戦友にどう
伝えるのだろうか。答えはなかったが、「平和を維持するには」と尋ねると、
こう返ってきた。
「水木さんは国のことはあまり考えません。それよりも自分の生か死−−。こ
の二つを戦場では強烈に突き付けられていました。誰が何と言おうと『自分は
生きたい』と思うことが大事なのです」
ひょうひょうとした口調。「平和が大切!」と声高に叫んだりはしないし、
国を批判するわけでもない。それでも「戦争は嫌だ」との気持ちが伝わってくる。
暑い。涼を求めて東京都内の大手書店に足を踏み入れると、特攻隊をテーマ
にした「永遠の0」が平積みされていた。一方、水木さんが「自身の著作の中
で一番好きな作品」という「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)は棚に静かに置か
れていた。戦後日本が変わりつつある今、政治家、そして若者に「死んでいった
兵士たちが描かせた本」を手にしてほしいと切に願う。【瀬尾忠義】