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2014年02月09日 イイね!

なるほど、二人の音楽への情熱が上手くぶつかって作品が出来てたって事みたいです。

なるほど、二人の音楽への情熱が上手くぶつかって作品が出来てたって事みたいです。
新垣隆さんという優秀なゴーストライターがいるんだから、「耳が聞こえない」とか言わなきゃよかったのに… プロデューサーがイメージ伝えて作曲家が曲を作る。いいじゃないですか。…つくづくウソが悔やまれます。








佐村河内守さんの「耳が聞こえないと感じたことはない」
ゴーストライター新垣隆さんの会見全文
【2014年2月6日 The Huffington Post | 執筆者: 安藤健二】


「両耳が聞こえない作曲家」として知られている佐村河内守(さむらごうち・まも
る)さんの楽曲の「ゴーストライターをしていた」として、大学講師の新垣隆(に
いがき・たかし)さんが2月6日、都内のホテルで会見を開いた。会場は100人以上
の記者やカメラマンでごった返し、ものすごい熱気。「日本のべートーベン」とま
で呼ばれた人物の真相についての関心の高さを伺わせた。

■「私は共犯者」と謝罪

新垣さんは1970年生まれの作曲家。桐朋学園大学音楽学部の非常勤講師を務めてお
り、不協和音を駆使した現代音楽を多数発表している。

彼をゴーストライターとして雇っていた佐村河内さんは、「広島市出身の被爆2世で、
両耳が聞こえない作曲家」として知られている。しかし、2月5日になって「交響曲
第1番 HIROSHIMA」などの主要な楽曲は、別の音楽家が作ったものだったと代理
人を通して発表した。ソチ冬季オリンピックでフィギュアスケートの高橋大輔選手が
使用する楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ」も、佐村河内さんが作曲したことに
なっていたが、変更しない方針だ。

この日の会見で、新垣さんはまず、「佐村河内守さんに出会ったときから18年にわた
って曲を作り続けてきました。指示されるまま作り続けた私は共犯者。本当に申し訳
ありませんでした」と謝罪した。新垣さんの冒頭あいさつは次の通り。

---------------
私は、佐村河内守さんと出会った日から18年にわたり、彼の代わりに曲を書き続けて
きました。佐村河内さんが世間を欺いて曲を発表していることを知りながら、指示さ
れるがまま、曲を書き続けてきた私は、佐村河内さんの「共犯者」です。障害をお持
ちになった方々、また、彼の言葉を信じて曲を聴いてくださった非常に多くの方々、
見事な演奏をして下さった演奏家の皆様、本当に申し訳ありませんでした。

当初は、軽い気持ちで曲を書くことを引き受けていました。彼を通じて、私の書いた
曲が世の中に受け入れられ、うれしかった気持ちがあったことは否めません。

しかし、彼がどんどん世間に知られるようになるにつれて、この関係が世の中に明ら
かになってしまうのではないか、と不安を抱くようになりました。同時に、「これ以
上、自分の大好きな音楽で世間を欺き続けたくない」という気持ちが、私の中で大き
くなっていきました。

私は何度かにわたり、彼に対して「こんなことはやめよう」と言いました。しかし、
彼は聞き入れてくれませんでした。「あなたが曲を書かないと、私は自殺する」と言
いました。

そのような中、フィギュアスケートの高橋大輔選手がソチオリンピックで滑る際に、
私の作曲した「ソナチネ」を選ばれたことを知りました。このままでは、高橋大輔選
手までもが「彼と私のウソを強化する材料」になってしまうと思いました。

しかし、同時に、この事実を知った高橋選手が受けるショックのことを考えると、い
ま公表するべきかとても迷いました。

ただ、このまま私が何も言わず、オリンピックで演技されたあとに事実が発覚した場
合、高橋選手はやはり非常に戸惑うのではないでしょうか。さらに「偽りの曲で演技
したではないか」と、世界中から日本に非難が殺到するかもしれません。

色々と考えた結果、高橋選手には、この事実を知った上でオリンピックで堂々と戦っ
て頂きたいと思い、本日このような会見を開かせていただくことになりました。

高橋選手、そして音楽作品を聴いてくださった皆様には、本当に申し訳ないことをし
たと思っております。深くお詫び申し上げます。


---------------


この後、記者団との主な質疑応答に移った。新垣さんはほとんど表情を変えず、朴訥な
様子の人物だった。慎重に言葉を選びながら、次から次に繰り出される質問に答えてい
た。

■佐村河内さんの「耳が聞こえないと感じたことはない」

――佐村河内さんとはどういう関係なのか。18年間、やめようというタイミングはなか
ったのか。耳が聞こえないということだったが、そうではないんでは?というエピソー
ドがあれば

彼とは知人を介してお会いしました。彼が映画音楽を担当することになり、必要とした
オーケストラのための音楽をできる人を探してほしいと、知人が相談を受けて、私の所
に連絡が来ました。最初の出会いはそのようなものです。

映画とかゲーム音楽のお手伝いという形で、私はアシスタントとして関わっていたとい
う認識を持っていました。その中では、ゲームや映画を作るスタッフの一人として、特
に問題を感じてはいませんでした。彼がある時期から「自分は耳が聞こえないのだ」と
いう態度を世間に対して取ったとき、そして、その上で、彼の名で私が曲を書いて発表
することになった時点で、それは非常に問題のあることだと思いはしたのですが、そこ
ではまだ、やめようということではなく、彼に従い、私も曲を書き続けました。去年の
5月にピアノの曲を提出したとき、もうこれ以上はできないと私は思いました。そこか
ら、彼に何度か「もうこの関係はやりたくない」と伝えました。

耳に関しては、私の認識では、初めて彼と会ったときから今まで、特に耳が聞こえない
ということを感じたことは一度もありません。

――ということは、一般の人と同じように通常通りの会話が出来たということか

はい。

――「現代典礼というテーマで書いてくれ」と言われたとき、どう思ったか。これを見
て、新垣さん自身、音楽を生み出せると思ったか

彼からは1枚の図表をもらったわけですが、それと同時に彼との会話がありました。彼か
ら「非常に大きな編成で大きな長さの曲を書いてくれないか」と依頼がありました。あ
の図表は実際の作品の曲の成りゆきとはまったく異なりますけれども、ただ、あの表を
私が机の横に置くということで、それをある種のヒントとして、私が作曲する上では必
要なものだったとは思います。

――いちばん最後に会ったのはいつか

去年の12月15日です。

――そのときに全て話すという話はしたのか

していません。

――今、本人に何と言いたいか?

彼が送ったメールにありましたように、非常に多くの人々の夢を壊してしまったわけで
す。
ただ、やはりそもそもの(ゴーストライターに作曲を頼むという)関係が間違っていた
のではないでしょうか。

――2人の契約形態は。印税などはどういう管理を

彼が依頼をし、私が作曲して譜面を渡し、それによって私は報酬を受け取りました。印
税に関しては、私はまったく関係ありません。

――2006年に佐村河内氏が高校の吹奏楽部に「吹奏楽のための小品」というタイトルの
曲を提供しているが、ご存じか?どんな依頼があったのか

それは、私が作りました。彼がある高校の吹奏楽部の顧問の先生とコンタクトを取り、
彼が学校の吹奏楽部のために曲を書きますと言って、それによって私の所に依頼が来ま
した。

――それも構成案などが送られてきたのか?

あの曲に関しては、グラフということは特にありませんでした。私が書きました。楽器
の編成が吹奏楽のみならず、邦楽器を含んでいた。顧問の先生から「ゲーム音楽のイメ
ージで作っていただけないか」という依頼だったと思います。その言葉を受け取り、作
曲しています。

■報酬「20曲以上で700万円前後」

――佐村河内さんの聴力について。新垣さんが作った曲を佐村河内さんが聞いて「もっ
と音を高くしよう」などの意見をするなど、耳が聞こえる具体的なエピソードはあるか

ただ今、おっしゃったようなことはありました。私が録音したものを彼が聞き、彼がそれ
に対してコメントするというシーンは何度もありました。

――佐村河内さんは「耳が聞こえないと装っていた」という認識か

はい。

――CDの解説書の中で、佐村河内さんが長野にコンサートを聴きに行った際に、新垣さ
んと知り合ったというエピソードが載っていた。それもすべて嘘だったのか。また、吹
奏楽部のために作った曲では、図表も何も渡されずに作曲されたということですが、そ
れによって名前が出なくても作品が世に出たということで、新垣さんは満足感を感じて
いたのか

CDの解説にあった記述はほとんどが嘘です。出会いはそうではないですし、あれはフィ
クションです。また、「吹奏楽の小品」のみならず、私は作曲をしたので、私の作品で
あることは言えると思いますが、同時に、一連の作品というのは、彼とのやりとりの中
で生まれたものであるという認識を持っています。

――昨年、佐村河内さんを取材した際に、ピアノソナタの譜面を見せてもらったのです
が、それも本人が書いたものではないと?

創作ノートは本人が書いているが、譜面は私が書きました。

――ドキュメンタリー番組で佐村河内さんが被災地に行き、曲が浮かばない苦悩や、曲
を絞り出す姿が映されていた。彼の苦悩する姿をみてどう感じたのか。演技だったと思
うか

彼がどのような気持ちで、あのようなシーンを撮られたのか私には分かりません。ただ、
私は、彼から依頼をうけたとき、やはり何か被災者の方のために曲を書きたいと思いま
した。

―ドキュメンタリーで放映された様子は演技だったと?

私はそう思ってます。

――佐村河内さんと新垣さんの共作にするという提案はしてないか

私から提案したことはないです。あくまでも彼のゴーストライターであると思ってまし
た。

――佐村河内さんの代理人よると新垣さんが表に出づらい理由があったとされているが

いえ、特段ありません。初めの段階から、私はゴーストライターとしての役割であると
思っていました。

――ゴーストライターとして曲を書いた報酬はいくら?

18年間で20曲以上提供いたしました。はっきりとした金額はちゃんと調べてないんです
が、700万円前後だと思います。

――「新垣さんのために名前を伏せたんだ」とも取れるコメントを佐村河内さんがして
いますが、その件は?

ゴーストライターが前に出てはいけないので、ただそれだけだと思います。

――高橋大輔選手がソチオリンピック使う曲は、岐阜でバイオリンをやっている「みっく
ん」のための曲だと思いますが、その子との関係性は

彼女がバイオリンを始めたころから知っています。バイオリン教室で伴奏していたので、
その頃からの関係です。

――「みっくん」のご家族からは、佐村河内さんに関する相談が(新垣さんに)あった
のか

はい。そういうことが一回ありました。

――どういった内容か

それは、雑誌に書いてあります。


■「著作権は放棄したい」

――あなたが作って、佐村河内さんの名前で発表した曲の著作権はどうなるのか?

著作権については私は全く放棄したいと思っております。

――佐村河内さんがピアノを弾いている姿を見たことがあるか。なかなかデビューできな
いクラシックの業界に対する不満を感じたことはないか

彼が弾けるのは初歩的なピアノのみであります。作曲家が自分の曲を発表する場がなかっ
たとは思ってないです。

――耳が聞こえるという話がありましたが、どのようなやり取りをしてたのか

彼と会話するときには、彼と私の2人だけで、そのときはごく普通のやり取りをしていま
した。

――さきほど著作権を放棄されるという話でしたが、すでに著作権を譲渡する話し合いは

そのような話し合いは一切していません。

――JASRACとは

それには一切関わっておりません。

――密着取材していたNHKのディレクターや、佐村河内さんのCDを出している日本コロ
ムビアの担当者は知ってるのか?

私はNHKの方やコロムビアの方とはコンタクトを取っておりませんでしたので、それは
お答えできないです。私は全く知らないです。

—―2人の関係がばれないようにするために、新垣さんに対する工作や呼びかけは

それは私が作っているとうことを口外しないという一点だと思います。それについて「私
も口外するべきではない」と思っていました。

—―偽名を使ったのは

偽名を使ったのは、(「週刊文春」が報じた)1回だけです。


■障害者というのは「違うんではないか」

――気持ちに変化が起きたのは理由は?

去年の5月に曲を提出した段階で、続けられないと思いました。7月に彼に伝えました。
さらに12月、もう一度、彼に要求しました。でも、それはうまくいかなかったもので今
の状況になりました。

――「現代典礼」という曲を作ろうとした経緯と、それが「HIROSHIMA」に変わって
いった経緯は

彼から「ゲームではなくオーケストラのための一枚のCDに収まるような作品を作りた
い」という希望を聞きました。それを、発売するのだと。そのために「1年間で作って
くれ」ということで引き受けました。

私は事情は分からないのですが、結果的に発売はされませんでした。そのままになって
いました。もちろんそのときには、「HIROSHIMA」というタイトルではありません。
数年後、そのオーケストラ作品が「HIROSHIMA」というテーマで発表されると聞いた
ときには大変驚きました。

――改めて「みっくん」と呼ばれるバイオリニストの少女と、ご家族への思いを

彼女には是非、あの曲を弾いてほしいと思っています。彼女と、彼女の家族の皆様に対
しては、これからも音楽を通じてコミュニケーションをしていきたいという思いが強く
あります。

――新垣さんが今回、会見をして謝罪をするのは一つのけじめだと思うが、今後の身の
処し方は

できることならば、今後も私の音楽の仲間たちとともに、音楽活動を続けていきたいと
強く思っています。

――「みっくん」に曲を弾いてほしいということだが、一方、著作権については放棄
したいという話もあった。ご自身でこの曲は残したい、この曲は違うというような切
り分けはどうするのか。また、自分の音楽と佐村河内氏の音楽を作る際には気持ちの
持ち具合も違うのか

佐村河内さんのために曲を書くという面もありました。彼との関わりの中で、作品が
生まれるということなんでので、彼との共同作業であると私は全ての作品において思
うのです。同時に、全ての作品は私のできる限りの力の範囲で作るものであり、そう
いう意味では、一つ一つが非常に大事なものです。

――なぜ週刊誌での告白という形を取ったのか。また、高橋大輔選手が出場するソチ
オリンピック直前のこの時期の発表には「売名ではないか」という見方もあるが

高橋選手に偽りの状況のまま踊っていただくことは、非常に良くないことではないか
と思いました。

――佐村河内さんの障害者手帳を見たことは

一度だけ見たことがあります。何級かは記憶にありません。それは彼が世間に「自分
は耳が聞こえないんだ」というスタンスを取った直後です。

――彼が35歳のときか

そこらあたりだと思います。

――佐村河内さんがどこまで作曲に関わっていたのか

ピアノの鎮魂曲の場合ですと、まず私がいくつかの音のモチーフ、音楽の断片のよう
な物をいくつか提示します。それを譜面に書きピアノで弾いて録音して、彼が聞きま
す。その中から彼がいくつか選んだ断片を元に、私が作曲する、全体を構成するとい
うプロセスでした。

――そうすると譜面上でのやり取りではなく、実際にピアノの音を聞くというやりと
りだったと

はい。

――音楽を聴きながらやり取りをできるということは、(耳が聞こえる)普通の人と
同じということでいいのか。障害者手帳は詐取していることになるが

私は彼と普通のやり取りができるということです。

――つまり、障害者ではないと

やはり、それは違うんではないかと思います。

――なぜそうしてるのかというのは、本人から説明は

雑誌の中で触れてあったと思います。最初は私に対しても「耳が悪い状況である」と
いうことを示していたのですけど、やりとりしているうちに、段々戻ってきました。
やがてはそれ(耳が悪い状況を示すこと)もなくなりました。

――隠そうとしていた理由は

耳が聞こえないんだということを示すための行為だったと思います。外に向けての行
為をしていたと思います。

――そういう風に見せることで売れるんだという素振りのことを言っていたのか

これからは「そういう形で」ということを聞いたことがあります。それは、ゲーム音
楽が発表された後であります。

――佐村河内さんが世に出した曲の中で、ご自身が関わったものは何か。著作権放棄
をすると誰もが自由に演奏できるようになるのでは。高橋選手のこともあるので、い
つの段階で放棄することになるのか

私は詳しいことは分かりませんけども、高橋選手があの曲で演技できるようにするた
めの権利はよく分かりませんが、それが実現されなくてはいけないので、そのための
手続きが必要であればそうしたいと思っておます。自分の認識の中では、彼の曲は全
て自分が担当しているということです。他にゴーストライターはいないと思っていま
す。

――福島県本宮市が佐村河内氏に依頼し、東日本大震災の3年目のイベントで初披露
する予定だった市民の歌「みずいろのまち」があった。これも新垣氏が作曲したのか

それは初めて聞きました。私は関わっていません。

――作った記憶のない曲は

さきほどの歌の曲は私は知らなかったです。自分の認識の中では、彼のほぼすべてを
自分が担当している、ということです。

――佐村河内さんが世に出した曲の中で、ご自身が関わったものは。著作権放棄をす
ると誰もが自由に演奏できるようになると思いますが、高橋選手のこともあるので、
いつの段階で放棄することになるのか

私は詳しいことは分かりませんけども、高橋選手があの曲で演技できるようにするた
めの権利はよく分かりませんが、それが実現されなくてはいけないので、そのための
手続きが必要であればそうしたいと思っておます。自分の認識の中では、彼の曲は全
て自分が担当しているということです。他にゴーストライターはいないと思っていま
す。

――20曲で700万円の報酬ということでしたが、これまでに不満を持ったことは。金
銭面でのトラブルはあったのか

私が譜面を渡し、報酬を受け取るという形は自然な物と自分では思ってました。彼が
譜面を受け取ったあとは、彼の物なわけですから、彼がどのように扱ってもいいとい
うことだと思っています。その後のことについてはタッチしたくないという思いがあ
りました。金銭トラブルというものはなかったと思います。

――著作権を放棄されたということですが、CD回収などの損害賠償については佐村河
内さんと新垣さんのどちらが支払うのか?

それについてはどう償ったらいいのか、よく分かっておりません。


■「彼は実質的にはプロデューサーだった」

――ゴーストライターに徹していたとしても、18年はあまりに長い。佐村河内氏との
間に友情はあったのか。それとも佐村河内氏が変わっていったのか

最初お会いしたとき、彼は自分が取った映画の仕事で、自分のアイデアを実現したいと
いう気持ちがあった。そのために、彼は実際の音楽の予算を大幅に超えたお金を自分
で出して、メンバーを雇い、スタジオを借り、私が協力して作っていった。彼は自分の
やりたいことを実現させるために頑張ったのだと思います。そのような点では、偉いな
と思っていたんです。

彼が変質したかどうかは、実際のところ、私はそんなに感じてはいなかったかもしれま
せん。彼が依頼して、私が譜面を作って渡すというやり取りをするだけの関係を保って
いました。その中で、なお、彼の情熱と私の情熱が、非常に共感し合ったときというの
はあったと思っています。

――18年間のうちで、いつごろ彼が再び音が聞こえてくるように思ったのか。新垣さん
は、彼の行為を止めることが出来る立場でしたが、そうしたことをしたのか

「耳が聞こえないのだ」ということを言い出したときは、非常に戸惑いました。その必
要があるかどうかと思いましたが、このような関係を成り立たせるための方法であった
ということは、私はそれを了承していました。だから、(ゴーストライターを)辞めた
いとと直接言ったのは最近になるわけです。それまではっきりと、自分の意志を伝えた
ことはなかったです。彼から依頼を受けることをごく普通にやっていました。

――新垣さんの中でも、そういう関係が良いという認識がおありだったということでし
ょうか?

やはり、ゴーストライターとしての役割を知られてはならないので。なるべく、やりや
すい環境を望んだのは否めないです。

――芸術的な意味で、共同のクリエイターとしての思いは

彼は実質的にはプロデューサーだったと思います。彼のアイデアを自分が実現するとい
うことです。彼が自分のキャラクターを作り、世に出したということで、彼のイメージ
を作るために私は協力をしたということだと思うんです。

――実際に彼は譜面は書けたのか

譜面は書けません。

――広島の被爆者の方への思いは

音楽とは別に、広島の被曝者の方に対する思いはあります。それを音楽で表現をすると
いうこともあるかもしれません。あるいは、被曝された方への思いが音楽に与える影響
があるとは思います。ですが、それは曖昧です。メッセージ性に任せて作るというやり
方は、私自身は取っていません。

――「ゴーストライターが前に出てはいけない」と先ほど言っていたが、これだけ曲が
評価されると、自分が書いたと言いたくなるのでは。葛藤はなかったか

自分の作品が演奏されて、多くの方々が聞いてくださるということは、非常にうれしい
ことでした。なんですが、この場合は、それをどう自分の中で受け止めていいのかとい
うのは、ちょっと分からなかったです。

――高橋選手が「ソナチネ」をやることをどういう経緯で知ったか

私はそのことを知ったのは、発表されてから、随分と後のことだと思います。何となく
聞こえてきたということでした。テレビの報道で知りました。

――高橋選手が「曲目を変更しない」と発表したときの気持ちは

高橋選手があの曲を選んでくださったというのは、私にとって非常に大きな喜びであり
ます。そして、高橋選手がこのような事態にも関わらず、なおこの曲を選んで下さり、
その曲で踊ってくださることを聞きまして、非常にうれしく思いました。

――今後、佐村河内さんへの裁判を起こす予定は

私の方からは、裁判は考えておりません。

――佐村河内さんの名義で出したCDの名義はどうしたいか

今まで彼の名義で発表されたものについては、もうそういうものだと思っています。

――今のまま、佐村河内氏のままで残っていいということか

皆様が納得されるかどうかわかりませんので、それはちょっとお答えできません。
Posted at 2014/02/09 12:38:15 | コメント(2) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記

プロフィール

「ラジオで7-11のCM聴いたら急に聴きたくなって今日の通勤BGMは、清志郎の「夢助」@Apple Music (^-^)」
何シテル?   01/27 06:45
目標、毎日 似顔絵描いてます。 クスッと笑ってもらえると嬉しいです。 たまに車の話題、どうぞお付き合いください ^ ^

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