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2014年10月10日 イイね!

日本から出た〜!ノーベル物理学賞!その3

日本から出た〜!ノーベル物理学賞!その3ノーベル物理学賞受賞おめでと〜って赤崎勇さん描いた勢いでとうとう3人とも描いてしまった。お三方ともしっかりしたお顔で、わたしも楽しませていただきました♪日本の未来も少しだけ明るくなったような気がします。
さて、いよいよ今日はノーベル平和賞の発表日。憲法九条、どうなりますか?とても気になります。






ノーベル賞、「3人同時受賞」の深い意義
閉塞感の出口を目指すための"松明"に
【2014年10月8日 東洋経済】


ノーベル物理学賞受賞者に青色発光ダイオード(LED)を開発した赤崎勇・名城大
教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校
教授が選ばれた。日本人としては一昨年に医学生理学賞を受賞した山中伸弥・京都
大教授以来の快挙だ。

間に立つ天野教授の絶妙な役割

3氏の顔ぶれ自体に、深い意義が感じられる。知名度では抜群であろう中村教授。
徳島の中小企業で辛酸をなめながら這い上がったサクセスストーリー、その後の発
明対価をめぐる訴訟などでのアグレッシブな印象は歴代の日本人受賞者の中でも際
立っている。世界に対する日本人のイメージを変える意味でも、今回の受賞は心が
躍るものだろう。

対照的に赤崎教授は、この道一筋のオーソドックスな研究者。戦中は軍需工場勤務
も経験、戦後に京大で「鉄」や「結晶」の研究に携わった後、1970年代からは松下
電器産業(現パナソニック)や名古屋大学で窒化ガリウムによる青色LED開発に没
頭。「一生かけてもできないかもしれない」と思っていた研究を80年代の終わりに
なって結実させた。

名城大に移ってからも毎年、ノーベル賞候補としてその名前が挙がり続けていた。
特許料の一部は母校の名古屋大学に寄付、研究業績などを紹介する「赤崎記念研究
館」はすでに名大構内に建てられている。誰もが納得し、誰もが喜ばしいであろう
今回の受賞だ。

両氏に比べれば知名度の劣る天野教授。30以上年齢の離れた赤崎教授を師と仰ぎ、
中村教授よりも6歳若い。現役研究者として今も飛び回り、受賞の知らせも学内で
は受けられなかった。しかし、この快挙は天野教授の業績と役割なしにあり得なか
ったことは間違いない。


やはり3氏が同時受賞した2002年の武田賞の受賞講演で、天野教授は赤崎研究室の
門を叩いた理由をこう述べている。

「これは多分私のまったくの思い違いだと思いますが、当時の大学の研究というのが、
我々若い人間から見ると、どうしても研究というよりも研究のための研究、あるいは
研究費をもらうための研究、というような感じを受けてしまったんですね。あるいは
学位を取るために仕方なく研究しているというように非常にうがった見方しかできな
かったんです。当時、とにかく何かにチャレンジしたいと思っていた私は、赤崎先生
の研究室で掲げている青色発光ダイオードというテーマを見たときに『これだ!』と
思ったんですね。これはまさに、未来のための研究、研究本来の研究であると直感し
まして、即座に先生の研究室のお世話になったわけです」

そして当時、難題だった窒化ガリウムの結晶を成長させる装置に工夫と改良を重ね、
ついに世界初の青色LED開発に成功した。だが、天野教授の挑戦はそこで終わりでは
なかった。その後の実用化に向けて試行錯誤を重ねていく。そして当時、意識してい
たのが、まったく同じ分野で成果を出し始めていた中村教授の存在だった。

青色LEDの輝度を高めるため、窒化ガリウムにインジウムを添加する実験。当初うま
くいかなかった天野教授は「中村先生がちゃんとできますよ、非常に明るいですよと
いうことを発表されて、じゃあといってやり直してみると、今度はできちゃう」こと
を経験した。

それは「何かをやるときに、必ずできると信念を持ってやるのと、ダメだろうなと思
ってやるのとの違いを、この時ほど痛感したときはありませんでした」という教訓と
して語っている。


研究と実益のバランス

一方の中村教授も同じ武田賞受賞後の講演の中で、赤崎研究室の成果を常に意識して
いたことを隠していない。いわく、「先にやられた」「ショックを受けた」「こりゃ
まいった」。その上で、天野教授に対してはこんなエールを送っている。「天野先生
みたいな若い人が、ベンチャーをやるようなシステムにしないとダメだと思う」。

互いを刺激し合うライバル関係。研究と実益の両面を追求するバランス感覚。それら
が天野教授と中村教授の間で共鳴し合い、世界を圧倒する結果につながっていたので
はないだろうか。

いま、日本の大学は基礎研究一本だけでは許されず、かといってアメリカの大学のよ
うにベンチャーを次々と生み出す土壌が育っているとも言いがたい。ノーベル賞学者
を続出させていることになる名古屋大学でも、若い研究者からは「昔のように大らか
に基礎研究に専念させてもらうのはもう無理」という声もあれば、「国の研究費に寄
りかかるだけで、ベンチャーなどを通じて研究成果が社会に還元されない」と両面で
嘆く声が聞こえる。

今回の「3人同時受賞」という快挙を、こうした閉塞感の出口を照らす"松明(たいま
つ)"にしなければならないだろう。
Posted at 2014/10/10 06:45:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 明日の日本 | 日記

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