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Frank Sladeのブログ一覧

2012年08月06日 イイね!

「銅でも私には金メダルと同じ」とお母さんも大喜び♪

「銅でも私には金メダルと同じ」とお母さんも大喜び♪
彼女のお姉ちゃんはアテネと北京の金メダリスト。
故にかなりのプレッシャーだったろうに、みごとメダル獲得!
笑顔も良いし、素晴らしい!

おめでと~!







上野順恵、有終の銅「ひ弱な娘」輝き
【2012年8月1日 産経新聞】


 三姉妹で一番線が細く、スカートとリボンが好きだった。
柔道女子63キロ級に31日、登場した上野順恵(よしえ)(29)=北海道
出身=の父、法美(のりみ)さん(59)は思いだす。
姉の雅恵(まさえ)さん(33)はアテネと北京の金メダリスト、妹の巴恵
(ともえ)さん(22)も柔道を志す「柔(やわら)三姉妹」。銅メダルを
もぎ取り、達成した姉妹メダル。母の和香子さん(56)は「銅でも私には
金メダルと同じ」。上野は「初出場だが、これが最後と思っている。いい
思い出になった」と感極まった。
 4年前、北京五輪出場を決めた70キロ級の雅恵さんのために開かれた祝
勝会。法美さんも母の和香子さんも焼き肉が一枚ものどを通らなかった。
最終選考会で優勝したのに、五輪出場がかなわなかった上野を思ってのこ
とだった。
 「大丈夫だよ。ロンドンを目指すから」と上野は気丈に振る舞った。

 柔道経験者の法美さんが北海道湧別(ゆうべつ)町のスポーツ少年団の
指導者になったことをきっかけに、三姉妹は柔道の道に入った。雅恵さん
が柔道を始めたころ、上野はまだ生まれたばかり。道場で和香子さんから
ミルクをもらい、歩行器をつけて、はしゃいだ。
 地元・北海道の上野後援会で副会長を務める野沢稔さん(71)は「小
さなころから、はきはきと素直な子だった。三姉妹で一番細くて、大丈夫
かな、やっていけるかと思っていたが、高校でめきめき腕を上げた」と振
り返る。
 父も思っていた。「ひょろっとして、なよっとして。優しい子で、強い
選手にしようという気持ちはなかった」と法美さん。それでも娘は強くなり、
4年前の約束を果たした。やっぱり、誇らしい。
 ただ。保育園時代の写真を見ると、法美さんは複雑だ。「厳しい世界に
入れてしまった」と、胸が痛い。
 道場をよちよち歩きしていた娘も29歳とベテランの域。ロンドンで有終
の美を、という思いは、父娘ともに感じていた。スタンドでビデオを回し
続けた法美さんは、その目にも、胸にも、輝く娘の晴れ姿を焼き付けた。
Posted at 2012/08/06 23:40:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツ | 日記
2012年08月03日 イイね!

世界最高のどや顔♪

世界最高のどや顔♪
彼の天才的な空中技は11歳の時に買ってもらった12m×2mのトランポリンが原点とか。
相当なプレッシャーだったろうけど、みごと金メダル!!

おめでと~!











内村金!無敵の王者完全復活/体操
【2012年8月2日 日刊スポーツ】


 金メダルだ! 無敵の王者の完全復活だ! 
北京五輪銀メダリストで世界選手権3連覇中の内村航平(23=コナミ)が、
合計92.690点で金メダルを獲得した。予選はミスが目立ち9位にとどまっ
たが、決勝では本来の正確な演技を披露。最終種目の床で手をつくミスを
したものの、個人総合では84年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司氏以来、日
本人28年ぶり4人目の金メダルで、日本体操史上初めて五輪と世界選手権
を制した。08年11月の全日本選手権以来となる連勝も21に伸ばした。
 鬼門からのスタートだった。最初の種目は2日前の団体総合決勝の降り
技でミスして、得点訂正の騒動になったあん馬。北京五輪でも2
度落下していた。ぴりぴりする緊張感の中、内村は降り技できれいな倒
立からひねり、完璧な着地を決めた。今大会で初めて出た両手ガッツ
ポーズに満面のどや顔。悪夢を振り払い、一気に勢いづいた。
 続くつり輪も着地こそ1歩前に動いた。しかし、続く跳馬が圧巻だった。
2回半ひねりの着地は微動だにしなかった。技の美しさを示す10点満点の
E得点(実施点)は9.666点。
世界王者が完全復活した瞬間だった。3種目を終わり、トップに立った。
 4種目の平行棒も着地で少しブレた以外はうまくまとめ、続く鉄棒では
F難度のコールマンを抜いた安全策で、着地をピタリと決めて15.600の
高得点をマーク。この時点で金メダルをほぼ確実にした。最終種目と
なった得意の床で、珍しく手をつくミスを犯したが、全種目で15点以上の
演技でまとめた。
 エースとしてチームをけん引してきた団体総合で金メダルを逃した。
正確な着地に乱れが生じ、ミスも出ていた。何よりも精神的なショックが
心配された。しかし、内村は「すぐに気持ちは切り替わる」と前を向いた。
中1日。世界王者の真価が問われる舞台だった。
 誰よりも美しく、正確で、強い内村がよみがえった。原点は母周子さんの
教えだった。昨年の世界選手権で“誤審”を生んだ高速回転のひねりは周子さん
直伝。周子さんは「うちのクラブの生徒は、ひねりは日本一だと言われる」
と胸を張る。母は、観客席で日の丸を握りしめ、祈るように息子を見つめて
いた。
 11歳の誕生日に買ってもらった縦12メートル、横2メートルのトランポ
リンは、難度の高い空中技を軽々とこなすのに役だった。暇さえあれば、
トランポリンの上で跳びはね、驚異の空中感覚が養われた。
「あのトランポリンが原点」と内村は話す。そこに、高校3年間の基礎練習、
日体大進学後の経験が積み重なり、金メダリストの内村航平が完成した。
 心の底から願っていた団体総合の金メダルは逃した。「銀メダルでも4位
でも変わりはない」。団体総合決勝後、悔しさだけが募った。笑顔1つな
かった今大会。しかし、この日は世界最高のどや顔で、ようやく世界最強
の体操が復活した。
 ◆内村航平(うちむら・こうへい)1989年(昭64)1月3日、
福岡・北九州市生まれ。3歳で長崎・諫早市に移り、両親が経営する
クラブで体操を始める。15歳で体操が強くなるために単身で上京。
日体大に進学し、08年北京五輪では団体と個人総合で銀メダルに輝いた。
09~11年世界選手権個人総合で前人未到の3連覇を達成した。
両親と妹春日(はるひ)の4人家族で、全員が体操をする。
160センチ、54キロ。得意種目は床運動。
Posted at 2012/08/03 22:03:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | スポーツ | 日記
2012年08月01日 イイね!

この迫力があってこそ、日本柔道男子監督っ!

この迫力があってこそ、日本柔道男子監督っ!観客席にいてもその頭蓋骨のシルエットですぐに分かる監督。みごと吠えてくれました!
お馬鹿な審判に抗議するには、英語、仏語、独語でも噛みつければ無敵ですね〜 笑

海老沼匡クン 66kg級、銅メダルおめでと~!






海老沼銅メダル お粗末判定でリズム狂った
【2012年7月30日 スポニチ】


 男子66キロ級の海老沼匡(22=パーク24)が準決勝で敗れたものの、
3位決定戦でパベル・ザグロドニク(ポーランド)に一本勝ちし、銅メダ
ルを獲得した。

チョ・ジュンホ(韓国)と対戦した準々決勝では、延長後の旗判定がやり
直しとなる前代未聞の事態に巻き込まれたが、表彰台を死守した。
92年バルセロナ五輪金メダリストの吉田秀彦監督が率いるパーク24に入社
1年目の22歳は、16年リオデジャネイロ五輪での雪辱の金メダルを約束し
た。 

 館内の大歓声に応えることもなく、大の字になって天井を見つめた。

3位決定戦。ザグロドニクを豪快な大腰で宙に舞わせ、一本勝ち。

海老沼は直立不動で「金メダルじゃなきゃ意味がないんで。申し訳ない
気持ちでいっぱいです」と言うと、いがぐり頭から流れ落ちる汗を、
柔道着の左袖でぬぐい、目を閉じた。

「きょうは何回もハプニングがあっ
たけど、会場のお客さんが後押ししてくれた」。“誤審”トラブルは、
チョ・ジュンホとの準々決勝だ。延長戦1分22秒に小内巻き込みで、
一度は主審が「有効」をコール。

しかし、試合場を管理する3人のジュリー団は“有効以下”と判断し、
キャンセルした。

ところが、その後の判定は、有効を宣したはずの審判全員がチョ・ジュンホの
勝ちと判定。会場の大ブーイングで、再びジュリー団が判定を覆した前代未聞
の事態となった。「試合内容は覚えてないけど、勝たせてもらったと思っている。
だから優勝しなければいけなかった」。

 

だが、その“運”を呼び込んだのは、海老沼の柔道に対する純粋な思いだった。

兄2人について地元道場で柔道を始めたのは「おむつをしていた頃」。

以降、ジュニアで活躍する2人の兄を追うように、打ち込んだ。ケガをして練習が
できなければ泣き、兄弟げんかも自宅の和室で柔道。世田谷学園高2年時からは腰
痛に苦しみ、不本意な成績も続いた。ブロック注射を打ち試合に出られると「こん
なに幸せなことはない」と喜んだ。

 代表に決まった5月以降の合宿で、自らを追
い込み過ぎ「技がかからないことがあって」落ち込んだ。付き人を務める長兄・
聖さん(28)に事態を聞いた母・道子さん(52)の激励メールに、海老沼はこ
う返信した。

「最後は努力した人間が報われると思います」。

四段の父・時男さん(58)が作った柔道人形を兄弟の誰より最後まで投げ込んで
いた5歳の時代と変わらない、まじめな男の開き直りだった。

準々決勝で痛めた右肘の影響で、準決勝は一本負けをしたが、言い訳はしなかった。
「自分の目標は五輪で金メダルを獲ることなので、次に向かってやっていきたい」。
吉田監督に並ぶことも、昨夏に急逝した藤原敬生・明大前監督(享年52)との約
束を果たすことも、まだできる。柔道を愛する22歳の挑戦は、ここからが本番と
なる。



▼全日本男子の篠原信一監督 今の制度の問題は、審判が決めたことを(ジュリーが)
変えることだ。判定の時は(取り消された)海老沼の有効が、(以前あった)効果と
して残っていると考えていた。海老沼も韓国の選手もかわいそうだ。

▼00年シドニー五輪柔道100キロ超級「世紀の誤審」 日本の大黒柱・篠原信一
(当時27)が決勝で宿敵のドイエ(フランス)と対戦。開始1分すぎに内股を透か
して完全な一本を奪ったが、審判は逆に相手に有効を与えて、まさかの敗戦になった。
山下泰裕男子監督らが猛抗議したが、裁定は覆らずに後味の悪い銀メダルとなってし
まった。試合後にIJFのジム・コジマ審判理事(審判長)は「私も日本の言う通り
だと思う。ただ、試合は3人の審判が裁くもの」と誤審を公式に認める発言をした。
これをきっかけに柔道界でビデオ判定導入の議論が始まった。 【海老沼匡】

関連情報URL : http://ameblo.jp/ss-judo/
Posted at 2012/08/01 21:33:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | スポーツ | 日記

プロフィール

「ラジオで7-11のCM聴いたら急に聴きたくなって今日の通勤BGMは、清志郎の「夢助」@Apple Music (^-^)」
何シテル?   01/27 06:45
目標、毎日 似顔絵描いてます。 クスッと笑ってもらえると嬉しいです。 たまに車の話題、どうぞお付き合いください ^ ^

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