曰く、「誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね」
髪の毛刈っちゃって、こんなコメント聞くとほとんど僧侶ですね〜。ますますの活躍、応援してまっせ〜!
素晴らしくも奥深いコメントの数々。もぅ全文コピペしちゃいます。
暇な時じっくり読んで見てください。
日米通算4000本安打達成のイチローが会見
【8月22日 MLB.jp】
現地21日、ニューヨーク・ヤンキースのイチロー外野手が、本拠地ヤンキー・スタ
ジアムで行われたトロント・ブルージェイズ戦で日米通算4000本安打を達成した。
以下、質疑応答の一問一答。
■一問一答
─率直な感想からお願いします
「こういうきりのいい数字というのは千回に一回しか来ないので、これを4回重ねられ
たと言う事はとてもじゃないですよね、ま、それなりかなという風に思いますけど。
4000と言う数字よりも、あんな風にチームメイトやファンの人達が祝福してくれると
は、全く想像していなかったので、その事ですね。それが深く刻まれましたし、結局、
4000という数字が特別なものをつくるのではなくて、記録が特別な瞬間を作るのでは
なくて、自分以外の人たちが特別な瞬間を作ってくれるものだというふうに強く思い
ました」
─みんながダグアウトから出てきた時、驚いていた
「ちょっと、やめて欲しいと思いましたね。嬉しすぎて。僕のためにゲームを止めて、
僕だけのために時間を作ってくれるという行為はとても想像できるわけがないですよ
ね、ヤンキー・スタジアムで。ただただ、感激しました」
─タイ・カッブ、ピート・ローズしかいない4000という大台
「これややこしい数なので、両方のリーグの数字を足しているものですから、なかな
か難しいんですけど、ヒットを打ってきた数というよりも、こういう記録、2000とか
3000とかあったんですけど、こういうときに思うのは、別にいい結果を生んできたこ
とを誇れる自分では別にないんですよね。誇れることがあるとすると、4000のヒット
を打つには、僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。
それと常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこ
じゃないかと思いますね」
─1本のヒットの大切さ。現在、1本のヒットを打つということ
「プロの世界でやっている、どの世界でも同じだと思うんですけど、記憶に残ってい
るのは、上手くいったことではなくて、上手くいかなかったことなんですよね。その
記憶が強く残るから、ストレスを抱えるわけですよね。これは、アマチュアで楽しく
野球をやっていれば、いいことばっか残る。でも、楽しいだけだと思うんですよね。
コレはどの世界も同じこと。皆さんも同じだと思うんですよね。そのストレスを抱え
た中で、瞬間的に喜びが訪れる、そしてはかなく消えていく、見たいな。それが、プ
ロの世界の醍醐味でもあると思うんですけど、もっと楽しい記憶が残ったらいいのに
なあというふうに常に思っていますけど、きっとないんだろうなあと思います」
─その1本1本の積み重ねが4000に繋がった
「4000を打つには、3999本が必要なわけで、僕にとっては、4000本目のヒットも、
それ以外のヒットも、同じように大切なものであると言えます」
─フィールドに立つ前の準備をきっちり積み重ねてきた
「それは当たり前のことですよね。それにフォーカスが行くこと自体がおかしいと
思いますけど。それがあまりにもない、ということじゃないですか。それを証明し
ているんじゃないですか」
─和田アキ子さんも来てらっしゃった
「だから、スターなんですよ。こんなタイミングで、多分今日だけじゃないですか、
見に来られるのは。スターなんですよ、アッコさんは。何かそういうのを感じますね。
だって、この日を狙ってこられないですからね。凄いなと思いますね」
─その前で打った
「1打席目が一番きれいだなあと思っていたので、ややこしいピッチャーですから、
元チームメイトなんですけど、まあ、ややこしかったですよ」
─きれいなヒットで決めた
「どんなヒットも僕らしくなると、レフトスタンドへのホームラン以外は、僕らしい
と思っていましたけど、こうやって皆さんが注目してくれている中で、内野安打とか
だと、また文句を言う人もいるし、良かったと思います」
─これから見据えていくもの
「これからも失敗をいっぱい重ねていって、たまに上手く行ってという繰り返しだと
思うんですよね。何かを、バッティングとは何か、野球とは何か、ということをほん
の少しでも知ることが出来る瞬間というのは、きっと上手く行かなかった時間とどう
自分が対峙するかによるものだと思うので、なかなか上手く行かないことと向き合う
ことはしんどいですけど、これからもそれを続けていくことだと思います」
─イチメーターのエイミーさんが来ていた
「あれはあれで、なかなかのプレッシャーですけど。明日帰られたらつらいですけど
ね。明日も来て欲しいんですけど。あした、ラインナップにあるか、僕がいるかどう
か分からないんですけど、でも、ああいう思いというのは、嬉しいですよね。あの存
在感って凄いと思いますよ。結局、あのエリアで、ニューヨークのファンの人たちと
一体化してましたからね。自分がリードして、空気を作るって、あの人とんでもない
人だと思いましたね」
─今日、どう迎えたか
「まず最近の一日、球場に来てから問いのは、ラインナップがどうなっているのか、
自分が7番ぐらいにいることが多かった時期があって、ラインナップカードを下から
見るクセがついていたんですよね。で、下にないと、今日はないのかと思って、上の
方を見ると2番に入っていたり、時々1番にいたりということがあるんですけども、
今日もそうで、ラインナップカードを見るまでは、ゲームに出られるかどうか、先発
として分からない。ずっとそうなんですよね。そっからなので、もちろん出発前に、
家でできることをやってここにくるんですけど、なかなか安定した気持ちの中でここ
に来ることは出来ない。今日もそうでした。で、ラインナップカードに自分の名前が
あったときにそこでスウィッチが、入ると言うより、入れるという行為ですかね、自
分の中で。まあ、そういうなかなか難しい時間を過ごしてます。今日もそうでした」
─昨日の三盗、今日のファウルのスライディングキャッチ。走ること、守ることが
きっちりできている状態をキープしたまま稀な数字に到達したことについていかがですか?
「そもそも僕は学生時代にプロ野球選手というのは打つこと、守ること、走ること、
考えること、全部できる人がプロ野球選手になるもんだと思っていたので、今もそう
思ってるんですけど、実はそういう世界ではなかったというだけのことでね、それが
際立って見えることがちょっとおかしいというふうに思いますね。さっきの話と
ちょっとかぶりますけど、僕にとって普通のことですね。そうでないといけないこ
とですね」
─普通のことを長くキープする選手が少なくなっていく中で今日という日を迎えたことは?
「だからそういう年齢に対する偏った見方というのが生まれてきたんでしょうね。
そういう歴史が、気の毒と言えば気の毒ですよね。そういう偏った見方をしてしまう
頭をもっている人に対してお気の毒だなあと思うことはあります」
─10年連続200安打を記録した時にP.ローズの記録をぜひ越えてあげたいと話していたが?
「とんがってましたからね」
─P.ローズの記録については?
「あの時ねえ、なんか、ちょっと僕に対して挑戦的っていうか、そういう話をちょっと
聞いたんですよね。でも、実はそうではないらしいです。なので、そんな誘導には僕は
引っ掛からないです。なんか、そういう自分を演じてるらしいですね。ピート・ローズ
さん。それを聞いて、それはそれでなんかすごいなと思うし、ただ、さっきも言いまし
たけど、明日出られるかは今日決まる、みたいな日々がずっと続いてるので、そんなこ
とに現段階ではフォーカスすることはできないです」
─チームメイトにD.ジーター、Aロッド、M.リベラたちがいる中でこういう記録を達成
できたことについて
「ヤンキースのユニホームを着て思ったことは、数字のこととか、どうでもよくなるん
ですよ。どうでもよくなってジーターがショートにいて、マリアノが最後を締める。
そこに自分がライト、まあセンターの時もあるかもしれないですけど、そこに入った
時に全体の絵としてきれいに収まるかどうかっていうのが僕にとっては大事であって、
それがスタンドから見て、上から、いろんな角度から見た時にきれいに見えれば、
きっと僕はヤンキースの一員というか、そこにはまっている選手ってことになるので、
実はそういう数字よりもそういう要素の方が僕にとっては大事、大切にするんですよね」
─マリナーズ時代とは違う?
「それは違います」
─失敗をすることでストレスになるという話があったが、自分の気持ちを一定にする
ために自分をプッシュするものがあるのか
「なにをやりながら…自分をプッシュしてきたわけではなくて、毎日同じことを繰り
返す、厳密に言うとすべて同じではないんですけども、そういうことで自分を安定し
た状態にもっていくというテクニックはあると思います。ただ、それを毎日継続でき
たとしても精神が常に安定するとは限らないんですよね。ただ、その時点の自分でで
きることを、考えられることをやっておきたいということですね。それでも結果的に
不安定な状態になることはもちろんありますし、もちろん、その割合が多いとは言わ
ないですよ、時々そういうことがあるということですね。特によくない結果だったり、
難しいゲームの後というのは、気持ちを整理することはとても難しい状態にあること
があるので、いつも続けていることをまた続ける、その日も続けることが時々、しん
どいなあと思うことがありますけど、そこは頑張りを見せるとこでしょうね。それは
自分で続けてきたつもりです」
─考えることが野球と話をしていたが、年齢を重ねるにつれてどう成熟していったか?
「自分は野球選手として、人間として成熟できてるかどうか、前に進んでいるのかど
うか、ってことはいまだにわからないんですよね。そうでありたいということを、
うーん、信じてやり続けることしかできない。実は、今までは自分が成長していると
か、前に進んだってことを明確に感じることはできていないんですよね。それがこれ
からも続いていくんでしょうけど、どこかの時点で野球とはこういうものだ、打つこ
ととはこういうことだ、生きるということはこういうことだ、とか、そういったこと
が少しでも見えたらいいなとは思いますけども、現時点では皆さんの前で発表できる
ことはないです」
─今まで体が勝手に反応したことが、最近は脳が指令を出すことでプレーが生まれる
というようなことはあるんですか?
「どうでしょうねえ。うーん、昔できたことは今できないみたいなことは見当たらな
いんですよね。昔考えなかったようなことを考えるようになったってことはあると思
います。なので、40になる年なんですけど、いろんなことを考えなくてはいけない、
過去の自分と現在の自分を客観的に見てどうなのか、ということは大切なことだと思
うんですよね。そういう目を持ちながら見たとしても、ネガティブなことが見つから
ないんですよね。ちょっと白髪が増えましたけど、あとはどうですかねえ。こんなこ
とを以前に言いましたけど、紅白歌合戦では演歌の方がよくなってきたというのは
ちょっとありますけど、なかなかねえ、疲れが取れづらくなったとか、疲れやすくなっ
たとか、足が遅くなったとか、肩が弱くなったとか、今のところないようです、って
言っておいた方がいいですね。ないって言うと、また、うっとおしいから、ないようです」
─平和台で第1号。ヤンキースタジアムで4000本
「その事は考えますね。一本目のヒットは平和台で木村さんからヒットだったんです
けど、あの時実は3年は2軍でやると言う気持ちでいたので、当時のマネージャー、
日本で言うマネージャー、監督じゃなくて、寮の部屋に内線で電話があって、『明日
から一軍に行け』と言われて、お断りしたんですよね、『まだ早い』と、二軍でやら
なきゃいけない事があるんで『お断りできないですか?」と、『土井監督にお伝えく
ださい』と言ったら、『上からの命令なんで従ってくれ』という風に、僕は嫌々福岡
に向かって、行って2試合目ぐらいですかねあれ、ヒットが出たんですけども、まあ
当時の僕よりも10から12ぐらい上の人達が強烈だったんです、もう怖くて怖くて、
ちょっともうプロ野球選手の、そのアスリートのイメージが、アスリートにはとても
思えなかったです。当時の野球選手の雰囲気って、その印象がとても残っていて、
ま、嫌々打った一本目。最後、最後と言うか4000本目は、試合に出たくて出たくて
しょうがない中で打ったヒット。そういう面白さはありますかね]
─諦めるという瞬間はあるのか?
「きわどいとこきますね。これは駄目だな、言わないほうが良いと思いますね。
ちょっとややこしい言い方になりますけど、ま、諦められないんですよ。色んな事は。
諦められないという自分がいる事を、諦めるという事ですかね。諦められない自分が
ずっとそこにい事はしょうがないと言うふうに諦める。なんか、野球に関して妥協は
できないので、まあもうちょっと、なんだろうな、ま、休みの日は休め、こっちの人
みんな休むじゃないですか、そういう事ができないんですね僕は。そういう自分がい
る事は仕方のない事なので、そうやって諦めます」
─和田アキ子さんが泣いたと。自分のプレーで泣かせたこと
「涙は意図的にでるのではないか、そうじゃないといいですけどね」
─そのことを聞いて。そこは究極? 感情を動かすという意味で
「どういうこと? いやそれは、プレーによってと言うよりも、ああやって喜んでくれ
てるヤンキースタジアム、ニューヨークで、僕だけの為に人がああやって動いてくれて
る状況じゃないですか。きっと。僕だって半泣きになりました。気持ち的には。究極で
はないですよ、なんでもいんですよ、スカッとして気晴らしになってくれてもいいです
し、僕の事が嫌いで大嫌いなのに、僕の為に時間を使う人っているじゃないですか、あ
いつあんな会見しよってとか、今日の事もあるかも知れないですけど、でもそれは僕の
為にエネルギーを使ってくれてる事なので、同じように、ま、同じではないですけど、
嬉しいですよね、それ。一番しんどいのは無関心な事ですよね。無関心を振り向かす
事って無理なので、それが一番辛いですね。もう大嫌いでもいいから、関心があったら
嬉しいですね」
─他の選手はどこかで満足している。イチローさんはない?
「いえいえいえ、僕満足いっぱいしてますからね、今日だってもの凄い満足してるし、
いやそれを重ねないと僕は駄目だと思うんですよね。満足したらそれで終わりだと言い
ますが、とても弱い人の発想ですよね。僕は満足を重ねないと次が生まれないと思って
いるので、もの凄いちっちゃい事でも満足するし、達成感も時には感じるし、でもそれ
を感じる事によって、次が生まれてくるんですよね。あの意図的に、こんな事で満足し
ちゃいけない、まだまだだと言い聞かせている人は、しんどいですよ。じゃ、何を目標
にしたらいいのですか、嬉しかったら喜べばいいんですよ。と言うのが僕の考え方です
けどね」
─同じグラウンドにM.リベラ、D.ジーターがいる。そこにふさわしい自分でありたい
「ま、ふさわしさと言うのは、数字だけではないと思うし、もちろん大事な事ですけ
ども、出てる空気とか雰囲気とかあるじゃないですか、それが全く合わない人ってい
ますよね、ピンストライプが似合わない人、ま、僕が似合っているかどうかは別とし
て、明らかに似合わない人いるじゃないですか、あれはいくら結果出しても無理だと
思うんですよね、そう言う人は。だからそう言う事が僕にとって大事、と言う意味です」
─エイミーさんが日本人ファンから引退するまで応援し続けてくれと言われていたが
「エイミーに引退するまで応援してっていうよりも、その人たちも応援してよと思い
ますけど。なに人に頼んでんの。俺は違うとこ行くから、エイミー頼むよみたいな言
い方はちょっとやめて欲しいね。俺たちもやるからっていうのはうれしいけどね。
それは正に原動力です、僕の。僕のというよりプロ野球というのはそういう世界です
よね。今日のことだって見てくれる人がいなかったら何にも生まれないですから。
それはアマチュアとの大きな違いです。プロ野球選手というのはそうでなきゃいけな
いし、それは大きな原動力であることは間違いないです」
─平和台の1本目は拍手もほとんどわかなかった?
「わくわけないじゃないですかそんな。味方のベンチだってないですよ。18歳の小僧
がね。あんなその筋の人の雰囲気の中に、怖いじゃないですか。そんなぁ、もうつぶ
してやりたいくらいでしょうね、気持ちとしては。そりゃ、気に食わないと思いますよ。
18で7月で一軍来て、ヒットなんてうれしくないでしょきっと。松永さんとかたぶん。
だから3年はっていう思いがあったんで、何で3年かというと4年後には同じ年の大学
卒業の選手が入ってくるので、3年間で自分をきっちり作って4年目にレギュラーを
とってというプランですよね。5年目では遅いという。高校卒業のドラフト4位でし
たけど、まあそういうプランがありました」
─平和台での1本目と今日の4000本目、野球に対する気持ちがどう変わったか?
「通訳いいですか? 野球に対する気持ちがどう変わったか? そのときの自分と今
日の僕がどう違いがあるかということですか?」
─野球という競技に対しての気持ちが変わったかどうか
「18のガキんちょが野球のことなんか何も知らないですよ。うん。かといって今日の
僕が知ってるかというとそれもクエスチョンなんすけど。当時よりは、プロ野球選手
とはこうあるべきだみたいな自分が信じている哲学みたいなものは生まれてきました
ね。18歳ではそれは無理です。まったくありませんでした」
─ペース的には200本をずっと維持している中で25年、30年になるときに5000本、
6000本が見えてくるような雰囲気が今日あらためてした
「いやこのペースも僕の中ではちょっと遅いんですよね。もうちょっと早くできた
なって。日本でも最後出れない試合が2年くらい、どうですかね20試合以上でられな
い時期があったので、もったいないですよね。もっと早く、もうちょっと遅いです、
僕にとってはね。たださっきも言ったように自分の中でまだ変化がない状態の中で、
年齢に対する僕以外の人たちのとらえ方でわずらわしいことはいっぱいありますよ。
そりゃ35超えてくると何か生まれてきたんですけど、そういうことと戦うこととい
うのは、とてもストレスなので僕にとって。ない方が助かりますよ。そりゃなけれ
ば時間という概念も、これ人間が作ったものだと思うんですけど、それがなかった
としたらじゃあ僕がいくつに見えるかって比べてみたときに、僕が40でモンテロが
20いくつってならないでしょう。たぶん反対ですよね。モンテロには申し訳ないで
すけど。だからちょっと色んなことが前に進んでいる中でこれはもういつもいらっ
しゃる方はよく聞く話だと思いますけど、僕が使ってるものって野球の道具って最
高のものなんですよ。僕がしてるトレーニングとかも、これが最高かどうかは人に
よると思いますけど、何十年も前の人たちのそれと比べたときに、考えられないよ
うなトレーニングなんですよね。それを続けている僕がそのくくりで何か評価され
るというのは、残念ですね。ある年齢になるとこうなっているだろう、まあなって
いて欲しいという思いがそこに何か垣間見えてちょっといやなんですよねぇ。
うーん。それは先輩たちがなかなかやってきてくれなかったので、まあそういう
きっかけを作るっていうのは僕、僕たちの大きな使命であるという風に思っています」