清宮幸太郎クンの製造元は考えさせる指導者でした。能力を伸ばせないのは指導法に問題がある。考えて語らせる指導はラグビーと同じ。持って生まれた体格と身体能力だけじゃなかったんですね。ますますこれからの幸太郎クンが楽しみです(^ ^
長男は早実の“怪物1年” 清宮克幸氏が語る「才能の伸ばし方」
【2015年5月16日 日刊ゲンダイ】
ヤマハ発動機ジュビロをラグビー日本一に導いた清宮監督(47)は組織の人材
育成について、「言葉が大事」と語った。今春、早稲田実に入学した長男・幸太郎
(1年)が春季東京都大会準々決勝でいきなり130メートル弾。清宮監督は「怪
物打者」と注目される我が子の育て方も「同じ」と言う。「清宮流」才能の伸ばし
方に迫る。
■水泳コーチに「プロ失格!」と直談判
清宮監督は幸太郎が4歳になった頃からさまざまなことを経験させた。水泳、陸
上、テニス、ピアノ、そしてラグビー。幼稚園の頃にはこんなことがあった。スイ
ミングスクールに通う幸太郎が2カ月に1度の昇級テストになかなか受からず、1
年半も同じクラスにいた。
「それが、どうにも我慢ならないから(代表と)話がしたいと。『あなたたちは指
導のプロですよね? 息子がなぜ1年半も同じクラスなのか把握してますか?』と
言ったんです。試験に落ちる原因はターンだったかな。いつもその項目で試験に落
ちる。にもかかわらず、次の2カ月も同じステップ。息子が受からないのはいつも
『8(段階)』のところだったけど、毎回『1(段階)』からやり直し。それを
16カ月連続でやったんです。『それじゃ話にならない。プロ失格!』と言いました。
料金が発生しているわけだから、その対価に指導力で応えて欲しい。ボクは(ラグ
ビーの)監督と親、同じ目線でやっていますから」
能力を伸ばせないのは指導法にも問題がある。子供だからと相手に全ての指導を委
ねたくないというのが持論。その子に合った指導が受けられる場所や環境を見極めら
れるか――。これが親の重要な役目だと清宮監督は言う。実際、他のスイミングクラ
ブへ移ると、幸太郎の泳ぎは見る見る上達していった。
ヤマハ発動機を日本一に導いた指導法は、我が子に対しても「考えて語らせる」と
いう点で一致する。
「ラグビーの指導と子育てはあまり変わりません。『何でうまく打てたか分かるか?』
と聞いて本人に考えさせます。例えば高めのボール球をうまく打った時、『肩が水平
に回ったから上から叩けた』などと自分の言葉で答えられれば、ボクは納得します。
『インコースがなぜ打てた?』と聞き、必ず説明させるのです。これはボクのクセ。
仕事(ラグビーの指導)と同じです。抑え込まれた投手がいたとしたら、『次に同じ
投手と当たったらどうする?』と。どうするって考えることが大事。正解か間違いか
なんてどうでもいいんです」
親子の会話は、具体的に狙う球種にまで及ぶこともあったという。
「『あの投手はカーブで三振を取ったから、次はカーブを狙っていく。相手の得意な
球を狙う』なんて言うこともあれば、反論もしますよ。『いやいやパパ、それは違う。
変化球を狙うと直球が打てなくなるから、直球だけを狙っていく』と言う時もある。
大事なのは自分の意見を語ること。語ると失敗を繰り返さずに成功を続けられるんで
す。投手をやっていた時も一緒。投げたボールを振り返らせました。うちはこれまで
全試合ビデオを撮っていて、全打席全投球を家でもう一度見させます。そうなると、
もう仕事か子育てか分かりません。でも根底は同じなんだと思っています」
■東京タワーの下で叱責した理由
ヤマハでも我が子に対しても、普段は温厚で怒ることはあまりないという。ただ、
怒ったら怖い。しかも、怒り方にもこだわりがある。
「幸太郎がまだ小さい頃、悪いことをした時は、東京タワーの下まで連れていって
『立ってろー』って叱ったこともありますよ。忘れないで欲しいですからね」
悪いことをした、怒られた、ということを場所を利用して印象づける。東京タワー
を見れば、そういえばあの時……とカミナリを落とされたことを思い出す。過ち、失
敗を繰り返さないための方法論だ。これまで率いたチームを日本一に導いてきた「清
宮流」は、子育てにも通じている。
▽きよみや・こうたろう 1999年5月25日、東京都生まれ。小学3年で野球を
始める。東京北砂リトルに所属した12年のリトルリーグ世界選手権では「4番エー
ス」として5試合で3本塁打を放ち優勝。米メディアに「ベーブ・ルースの再来」と
称賛された。50メートル6秒7。足のサイズは31センチ。家族は両親と弟。
184センチ、97キロ。右投げ左打ち。
▽きよみや・かつゆき 1967年7月17日、大阪市生まれ。大阪・茨田高からラ
グビーを始め、早大2年時に日本選手権優勝、4年時は主将として大学日本一。サン
トリーでも中心選手としてプレー。01年に現役引退。早大、サントリーの監督を歴
任し、11年からヤマハ監督。