
スズキからハスラーという軽自動車が出てしばらく経ちますが、人気があるらしい。
でも、私にとっての
ハスラーはTS250からはじまる400ccから50ccまでのバイクです。
そんなハスラーの思い出。
私がバイクの免許を取った時は原付(50cc以下)と二輪の二種類しか無く、しばらくして自動二輪が125cc上下で二種類になりました。ヘルメット着用は「努力義務」であり、フルフェイスヘルメットは憧れの対象です。また、途中から40㎞/hを超える道路でのヘルメットの着用が義務化されましたが、罰則等はありませんでした。
当然原付はノーヘルです。
危険か否かという話とは別に、お決まりの「あぁっ、なんだこのやろーっ!」は当然ついてまわりましたが、総じておおらか?な時代でもありました。当然「三ナイ運動」など影も形もありません。
そんな高2の一学期末試験前、同じ部活のヤツに
「原付とったから通学や出かけるのにバイクが欲しい。バイク選びと価格交渉を。僕と責任をもって付き合ってくれ」
と言われ、授業をサボって六角橋の小汚い
小さなバイク屋までCB750から乗り換えたばかりの緑メタの
XS650でニケツ。
バイク屋のおっちゃんに「原付の程度が良くて安いのなーい?」と聞いたら、「昨日買い取ったばかりのハスラーがある、整備無しで自分で廃車手続きしてナンバーを取ってくるなら値札の1万引きでいいよ、自賠責も半年残ってる」とのありがたいお言葉。
ヤツも黄色のハスラーに一目惚れしたらしく、速攻、タンデムで区役所を2件ハシゴしてナンバーを手に入れ、友人宅へ貯金通帳を取りに行き、銀行でバイク代をおろして、また六角橋へ。
さて乗って帰ろうという段になって
クラッチ付に乗ったことがない!、という事実判明!!
それでは特訓を、と
自分のXS650を幼稚園の時から出入りしている知り合いの教会に預かってもらい、原付ハスラーに二人乗りで新横浜の広大な空き地まで、裏道をつかってコソコソと走っていきました。
そのころの新横浜の駅周辺はポツンとボーリング場があり、何件かは建築中で、鉄条網に仕切られた空き地と、かろうじて舗装されている工事用道路だけがある、寂れた場所でした。
なんでこんな辺鄙な場所に新幹線の駅が?という感じ。
さて練習開始。
左のレバーがクラッチ、右のレバーが前ブレーキ、左足がシフト、右足が後ブレーキ、簡単に機能と構造のガイダンスをおこない、さて実地訓練。
シフトを1速へ踏み、アクセルを軽くあけて、クラッチをゆっくりつなぎながらブレーキを放して、と
パイーーン、クワッ、ガッシャーン
見事なウイリー&ぶっ飛びコケ、大の字で地面に寝てました。
足をおっぴろげ、メガネをすっ飛ばし、髪はみだれ、スカートは頭までまくれ・・・・
そう、同じ部活のヤツは女の子。
あちこち擦り傷だらけ、「大丈夫か?」と聞けば
「初体験で痛い!、出血したー!」
「責任とって! キズモノになった・・・おまけにスカートの中までじっくり見て!!」
「責任もって付き合えって言ったじゃん!!」
ん?話が見えない。言いがかり?
実は彼女、まあまあ美形なのだが、「虫よけ」と称して髪の毛はボサボサで顔が隠れるようにし、太い黒縁のメガネをかけてツケマツゲをしているようなクリクリ目玉をかくし、ヤンキーのようにマスクをし、入学したての中学生みたいにダサく服を着こなして、自分のことを僕と話し、男言葉で会話し、ときおり「女王様」とお呼びと言い、男子全般にはツケツケと嫌味まじりでそっけなく話をし、でもそんなカモフラージュは男子高校生達の魔眼には効果がなかったように思う。
自意識過剰な、今で言うフシギチャン系ツンのみ?
Dr.スランプアラレちゃんがリッパに育ってダボダボの制服着てマスクをしてる?
「あいつシャンだね、ただしチャンとすれば」とは巷の噂。
「近寄るな」オーラが張り巡らされ、手酷い攻撃が予想されるため、誰も手をださなかった。
ホイホイと呼び出され、同じ部活の気安さで尻尾を振ってついて行き、しかも怒られ脅された!
それでもほのぼのと19時頃まで特訓は続き、よたよたと走る彼女のバイクと併走して家まで送り、
「バイクを教えていて、怪我をさせてしまいました」
と迎えに出てきた彼女の両親にお詫びをし、辞去するタイミングを失い、晩ご飯をごちそうになり、妹には
「お姉ちゃんの彼氏が来たー」
と騒がれ、食後のコーヒーをいただき、尋問を受け、帰り際に父君から
「娘が初めて連れてきた君なのだから余計な心配は無いと思うが、マジメな付き合いをするように。いずれ君のご両親にはご挨拶に行く」
というこれ以上無い脅し文句。
薄汚い格好をした、そのころ不良のトレードマークの長髪で、しかも’でっかいバイク’乗りに、いきなり親公認宣言、驚愕の展開。
自分が娘の親なら門前払いで塩撒き。
その後、
擦り傷と打撲の責任をとって「マジメなお付き合い」は続き、楽器を持たないときはいつもタンデムで、
渋谷の教会地下へ出かけ、清志郎さんに呼ばれ
宮益坂にあった音楽喫茶に行き、
吉祥寺まで一緒に遠征し、外国バンドのコンサートに行き、コンサートやTV局の袖で見ていてくれたり、夏にはサーフィンで水着姿を鑑賞させていただき(お触りなしよ)、125ccのレースのときはパドックで見守り、たまには2台で相模湖や箱根や伊豆や河口湖へツーリングをし、冬は彼女の親の田舎でスキー。
楽しい時間はあっという間に経ち、彼女からの長い長い薄い文庫本一冊ほどの
三行半(みくだりはん)。
これが「ハスラー」の私の思い出。
Posted at 2014/05/03 22:41:37 | |
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高校時代 | 日記