今年も鈴鹿F1日本GPに行ってきました。
相変わらずダラダラと長いブログです。ご容赦を。。。
3月4日(土)
秘密基地からいざ出動・・・

え、ぇぇえー、、、
何これ...

7:56トンネルの中で渋滞です。。。
ゲートオープン前の光景でした^^; オープンしたらすんなり入れました。
皆さんマナーを守りお行儀がいいです。
セナプロ時代のゲート前は、毎年こんな感じでしたけど殺気だっていて怖かったです。

いつものお約束、ルーティーンの観覧車、、、今はサーキットホイールって言うのか・・・

角田君ゴンドラを期待したけど、確率は1/36・・・やはりダメでした。
乗車したのは、金曜日にクラッシュしたジャック・ドゥーハン...まぁいいけど、、、

8:45 ステージ前は、すでにすごい人です。何人いるんだろう・・・
この後「F1 Drivers Stage」に、裕毅とマックスがステージに登場しますからね!

「Honda RACING Gallery」へ
エントランスの1990年:McLaren Honda MP4/5B

階段を降りB1Fへ・・・
1967年:Honda RA300 と
1991年:McLaren Honda MP4/6 がお出迎え...
RA300はジョン・サーティースが駆って第9戦イタリアGPで優勝したマシンですね。
Hondaにとって2度目のF1グランプリ優勝でした。
実はこのマシン、ちょっと可哀想な継子扱いで(差別的には使ってはいません)「ホンドーラ」と呼ばれ、シャーシーはローラ製です。
私の記憶が正しければ・・・本田宗一郎氏に、F1チームの監督を外されていた中村良夫さんが、メチャクチャになっていたレース現場の立て直しの為に復帰させられ、時間と圧倒的なシャシー・ノウハウが足りない現状を目の当たりにし、自社製作を諦め(というか、中村さんは当初からホンダで作らずシャーシーコンストラクターズに外注した方が良いと思っていた)サーティースのコネを借り、ローラ・カーズで製作されたのがRA300です。ですから自社連番の200番台は使わなかったようです。
RA300は1台しか製作されなかったようなので、この個体は優勝したマシンそのものだと思われます。

私の蔵書
この辺の事情は中村良夫さんの多数の著書を読むと、当時のホンダ社内事情が手に取るようにわかります。中村さんの本は、現場の人が書いた日本F1の貴重な資料です。

RA273E型エンジン
V型12気筒 420ps/11500rpm
1966 - 1967 Honda RA273
1967 - 1968 Honda RA300 搭載 第9戦イタリアGP優勝

バンク外吸気/内排気

1991年:McLaren Honda MP4/6
全16戦中8回の優勝

1990年 V10:RA100E
McLaren Honda MP4/5B 搭載
1990年シーズン全16戦中6回優勝

「RA100E V10 エンジン All Parts Display」
個々のパーツの美しさにビックリします!
精度の高さがうかがえます!

1991年 V12:RA121E
McLaren Honda MP4/6 搭載
全16戦中8回優勝

1983年 Spirit Honda 201C
Honda第2期の最初のマシン ステファン・ヨハンソン
このマシンの写真をオートスポーツ誌で見た時は、「やっとホンダが復活する」と嬉しかったなー 昨日の事のように思い出されます。

2000年 BAR Honda 002
最高位4位
このマシンはジャック・ビルヌーブではなくて、23リカルド・ゾンタ車

2004年 BAR Honda 006 佐藤琢磨車
佐藤琢磨がアメリカグランプリで3位表彰台
日本人F1GP初優勝の夢を見させてもらったマシン あと一歩だった...

2015年 McLaren Honda MP4-30
フェルナンド・アロンソ車
マクラーレン・ホンダが復活したが、アロンソに「GP2エンジン」と言われた屈辱のエンジン。。。開発ドキュメントをTV番組で見ましたが、Sakuraの開発陣があまりにも若過ぎだったように思います。大学のサークルかと思った。(失礼...)

2018年 Red Bull Toro Rosso-Honda STR13
ピエール・ガスリー車
この年からHRD Sakuraの開発責任者に浅木泰昭、トラックサイドのレーシングディレクターに田辺豊治、チームなどとの交渉を担うマネージングディレクターに山本雅史の新体制に変更。

1964年 Honda RA271
ホンダ最初のF1マシン
ロニー・バックナム車
横置きV12エンジン搭載

1963年に製作されたエンジンテスト用シャシー RA270 総組立図

素晴らしい!アートのようです。

1961年 COOPER(CLIMAX)T53
F1参戦の研究用としてホンダが購入したクーパー・クライマックス
中村さんの著書にイラストと共に度々出てきます。
ホールの出口、最後の展示車両としてRA270の写真パネルの前に展示されていました。
RA270は現存しないので、代わりと言ってはなんですが、ホンダF1の礎として「このマシンがなかったら、今のホンダF1はなかった」と、最大級の敬意を表す意味で、最後の大切な場所に展示されていたのだと思います。

建物も含め、展示の仕方、見せ方など第一級の博物館です。
オートスポーツ誌の写真でしか見た事の無い、憧れのマシンが目の前に有るのですから、もうたまりません・・・その昔、隅から隅まで読み漁ったF1GPの記事が、頭をよぎります。素晴らしいギャラリーです!

レーシングギャラリーに、後ろ髪を引かれつつ、GPスクエアのホンダ・ブースに行くと、そこにはなんと真っ新なRA272が鎮座していました。
日本GPの走行イベントで走る姿は何度か見ましたが、間近に見るのは初めてです。その美しさとカッコ良さにまたまた動けなくなるのでした・・・

この「HONDA」のロゴが、今年のホンダ初優勝60周年マシンRB21に描かれていましたね。

1965年 Honda RA272「Veni, vidi, vici」
泣く子も黙る、中さんの「来た、見た、勝った」のホンダF1初優勝マシン

新型プレリュード
「昔の名前で出ています」古いか...

GPスクエアを抜け、西コースシャトルバスに乗車...

西コース

F1 FANZONEで、ひとりおっさんポディウム...

おっさん2...

いつものドミニクのパンと、基地で淹れたコーヒーを昨年買ったF1ボトルに入れて・・・このボトルの保温性が抜群で12時間はいける・・・ほんと!

今回、話題のと言うか問題の芝生火災...
F1走行前に噴霧器で水を散布するオフィシャル...お疲れ様です。
土曜日夜半から、恵の雨が降りました。この雨がなければ決勝もヤバかったと思う・・・

さぁ、いよいよ・・・

予選開始です...

夜は秘密基地で・・・

551蓬莱・豚まん
やっぱりうまい!!
西の「551蓬莱シュウマイ」と東の「崎陽軒のシウマイ」との贅沢な食べ比べもしました・・・「両方うまいよ!」「比べるのが間違い!」との結論でした^^

鈴鹿の夜は更けて・・・

2日目 あさー
雨が上がるまで基地で待機し10:30 出動...

決勝日には、桜の旗が鈴鹿を舞いました・・・
Let's go!TSUNODA!

桜並木に送られて.,.
来年も来られますように・・・
16:30 鈴鹿出発
21:20 自宅到着
今年は来場者数が多く、帰りのJR、近鉄の駅は大変な事になっていたみたいですが、道路はいつもと変わりませんんでした。
NEXCO中日本のETCトラブルで、料金所スルーになるかな?・・・と思ったのですが、そんな事もなく平常にETCは動作していました^^;

鈴鹿の土産が「トミカのマツダ車」って、、、
まぁ、三十何年も通っていると、こんなもんですね...

せめてもの救いは、レジ通過テープか・・・おしまい...