
久々長文です。
ヒットエアー…
皆さんご存知でしょうか!?
バイク用エアバッグ
いらないし、高いよ!
と思ったのですが
私の行っている夢店で7/20
まで20%OFFで4000円相当の
胸パッドまでプレゼント。
ナップスでは、セール対象外
でした。
先輩が購入したいとの事だったので
交渉…
値段は、書けませんが
ジャケットぐらいの値段で購入。
ついでに私も便乗 (笑)
ここのショップの従業員は、
これを着ないとバイク通勤出来ないそうです。
どうもここの社長がこの企業に
出資しているとか…
検索してみると
なるほど少し感動です。
以下貼り付けです。
主人公は愛知県名古屋市に住む竹内健司という男性。
19歳のときに電気工会社設立。
その傍ら、様々なものを発明する発明家でもありました。
1996年、会社設立から18年後。
道を歩いているとき、自分のそばをバイクがスレスレに通り過ぎていくのを見て、ふと思い出します。
若い頃、自分もバイクに乗っていて、大怪我をしたこと。
そして、数年前にも可愛がっていた近所の少年が、バイク事故で命を落としたことを。
車と違い、バイクは何のクッションもないまま、事故で身体が路面に叩きつけられます。
竹内さんは、車のようにエアバックという衝撃吸収装置をつけられないかと考え始めました。
竹内さんが考えたのは、事故が起こった際、ウェアがふくらみ身体を守るというもの。
そこで通産省(現在の経済産業省)を訪れました。
考案した製品の企画などに違反がないか調べるため。
そこで、企画は問題ないが作れないと言われてしまいます。
車のエアバックは火薬でふくらんでいるため、身体にはつけられないと。
会社へ戻って考えむ竹内さんに、社員があるものを持ってきてくれました。
それはダイビング用の救命胴衣。
栓を抜くと炭酸がガスでふくらむ仕組みです。
「これだ!!」
竹内さんの案は、バイクと、ジャケットに内蔵されたエアバックの栓をあらかじめロープでつないでおき、事故で身体がバイクから投げ出された瞬間、ウェアがふくらみ身体を守るというもの。
早速実験。
しかし、ふくらみ方がゆっくり過ぎて、身体が地面に叩きつけられるまでに間に合わず。
さらに圧縮された炭酸ガスが、気化した際に温度が冷えウェアが凍りつき、衝撃をやわらげられません。
そこでボンベメーカーに相談してみたところ、「今まで作れなかったものを素人に作れるわけない。無理です」とはねつけられてしまいました。
あきらめかけた竹内さんを、社員がはげまします。
「いつも社長言ってるじゃないですか。“見本のあるものばかり作っていても新しいものなんかできない。未知のものだからこそ挑戦するんだ”」
励まされ、再び努力を始める竹内さん。
バイクから倒れては起き上がり、自分が倒れて痛めた場所の記録を取り、
それだけでは限界があるので、大金を払ってある団体から、事故に関するデータを購入。
それによると、バイクの死亡事故の9割が頭部・頚椎・胸部の受傷ということが判明。
少しずつ、どのような形状のエアバックにするか・・開発は進んでいきました。
しかし・・・。
やがて資金が底をついてしまいます。
再び悩む竹内さん。
公園のベンチでため息をついていると、通りかかった女性が声をかけてきました。
竹内さんが可愛がっていた、バイク事故で命を落とした少年の母親でした。
彼女は、竹内さんがエアバックを作っていることを聞いていて、
「頑張ってください」と励まします。
「一人でも多く事故にあった人を救ってほしいんです。
もう誰も息子と同じ目にはあってほしくないんです・・・」
その必死の訴えに、竹内さんは研究を続ける決意をあらたにしました。
昼は自分の会社で働き、夜は寝る間も惜しんで研究に没頭。
その熱意はやがて周りの人にも伝わり始めます。
ボンベメーカーは、瞬発力のある軽量のボンベを推薦してくれ、
ウレタンメーカーはエアバックに適した、温度の変化に強い素材を見つけてくれました。
そしてついに1998年エアバック第一号が完成ヽ(´▽`)/
早速通産省に持っていくと、一応認めてもらえました。
あとは、メーカーやショップが置いてくれるかどうか・・・・。
竹内さんは社員と共に、大手バイクメーカー本社を訪ねました。
エアバックを見た会社の人は、「ぜひうちで扱わせてほしい」と言ってくれ、
契約料として二億を提示してきました。
資金回収には十分すぎる額。
喜んで受け入れようとした竹内さんですが ・・・。
結局断ってしまいました。
それはなぜか・・・。
会社の人たちが、「自社でバイク商品を買ってくれたお客さんだけに、特典としてこの商品を売ろう」と言い出したからです。
そうすればエアバック目当てにバイクがどんどん売れるかもしれない。
もちろん数が少なくなるけれど、そのかわり高く売れるから結果的に利益が上がる。
プレミア感も出て、商品価値も上がるかもしれない・・・。
竹内さんは、契約を断ったあと、社員に言いました。
「金じゃないんだよ。俺はこのエアバックで儲けたいんじゃない。
こいつはバイク乗りの命を守るために生まれてきたんだ。
この店だけとか、プレミア感とか、商品価値とかそんなものはいらない。
俺はたくさんの人にこのエアバックを使ってほしいんだ」
そして竹内さんは、エアバックをエッグパーカーと名づけ、
インターネットと小さなショップで売り出しました。
しかし売り上げは伸びませんでした・・・。
理由は、知名度がないことと、付属品を合わせると、価格が高額になってしまうことが原因でした。
しかし実際のところ、価格設定はこれでも相当無理をしていたのです。
価格は6~7万にしていたのですが、材料費だけでも5~6万。
わずかな利益だけでは必要経費さえまかなえず、大赤字・・。
このとき借金は一億を超えていました。
そんなあるとき、頼み込んでイベントに参加させてもらうことができました。
意気揚々と、店内の小さなスペースにエアバックを展示、販売。
・・・しかし、客の興味は華やかなほうに向かい、ブースを訪れるひとはいませんでした・・。
竹内さんは、この状態を後悔し始めました。
「俺は間違っていたのか?あのとき二億で売っていたら、借金もせず、何よりバイク乗りたちの役に立てていたのかもしれない・・・」
と、そこへ・・。
実際にエアバックで命を救われたというライダーから、感謝の言葉をもらったのです。
「これがなければ、僕死んでいました。
今僕が生きているのはこれのおかげなんです。
ありがとうございます!!」
竹内さんはその言葉に勇気付けられました・・・。
そしてさらに、エッグパーカーを見ていたあるお客さんが、
「いい商品だね。こういうものこそ世に出さなければいかんな。
かげながら応援していますよ」と言ってくれたのです。
竹内さんは再び研究を開始。
たくさんの人に使ってもらえるように、コストダウンの研究を・・。
しかし、資金が底をついてしまい、ついにこれ以上研究を続けられなくなってしまいます。
困り果てていた竹内さんに、ある人物が声をかけてきました。
そして、「今開発中の商品ができたら、うちの会社で仕入れたい」と
前金を用意していました。
「できていない商品のお金をもらうなんてできません」と断ると、
その人は「“よい製品への支援は惜しまない”と社長は申しています」と答えました。
なんと、あのときイベント会場で商品を誉めてくれた男性は、
全国展開しているバイクショップを一代で築き上げた伝説の経営者
『梅田モータース』の社長、梅田勉さんだったのです。
企業の利益を考えるだけでなく、竹内さんの志に共感し、出資してくれる人がいた・・・。
お礼の電話をすると、梅田さんは答えました。
「お礼を言うのは私の方ですよ。
私は今まで商売ひとすじ、たくさんのバイクを売ってきました。
充実した人生でした。
・・・でもひとつだけ、どうしても悔いが残ることがあるんです。
どんなに安全運転を心がけていても、不慮の事故で亡くなってしまう人がいる、ということです。
そんな時あなたを知った。
あなたは私のやるべき仕事をやってくれている。
だから私はあなたを応援したいんです。
頑張れ!あなたはバイク乗りの救世主だ!」
竹内さんはその言葉に感動し、再び研究に取り組みます。
そしてついに ・・
大幅なコストダウンと軽量化に成功!
ジャケットの内側に仕込むタイプの、着脱可能なバイク用エアバック
『ヒットエアー』が完成。
価格はおよそ3万円。
それまでの半分に抑えられました。
多くの利益は望めなかったけれど、そこには
少しでも多くの人に利用してほしいという願いが込められていました。
そんなある日、スペインからファックスが届きます。
それはスペイン警察からの注文でした。
突然の依頼に驚く竹内さん・・・。
このハプニングの陰には、思わぬ優しさが・・。
ある人物が、ヒットエアーを企業に紹介していて、
それが外国の通信社の目に留まり、反響を呼んだのでした。
その人物とは ・・通産省の担当者でした。
竹内さんの懸命な姿を見て、陰で応援してくれていたのでした・・・。
その後、ブラジルやアメリカなど世界中で反響を呼び、
注文や問い合わせが次々と舞い込むようになりました。
日本でも、11都県の警察が採用しているそうです。
多くのライダーを救いたいという夢は実現しつつあります。
しかしそれでも竹内さんは言います。
「もっと普及させたい、という気持ちが年々強くなってきている。
助かった方とかがいたりすると、どんどん使命感のようなものが出てくる」
現在 ・・
ヒットエアーは普及し始めているものの、開発費の回収までには至っていないそうです。
それでも、日々かけがえのない財産が増えている、と竹内さん。
それは実際に助かった人たちやその家族からの、200通を超えるお礼や感謝の手紙・・・。
竹内さんにとっては、何よりも宝物なんだそうです・・・。