RX-8はなぜ片押しキャリパーなのに驚くほど止まるのか?
RX-8のブレーキについて調べていると、面白い事実に行き着きます。
RX-8 Type Sは、2003年度JNCAPの100km/h→0km/h制動試験で「38.6m」を記録しています。
当時としては非常に短い制動距離で、平均減速度に換算すると約1.02G。
ところがフロントブレーキは、高級スポーツカーに多い対向4ポットや6ポットではなく、一般的な片押し式フローティングキャリパーです。
では、なぜこれほど止まったのでしょうか。
調べていくと、RX-8は「強力なキャリパーで止める車」ではなく、
車体・重量配分・サスペンション・サブフレーム・ABSまで含め、4本のタイヤを最大限使って止める車
だったことが見えてきます。
■ まず「1ポットだから弱い」は正しくない
片押し式キャリパーは、ピストンが片側にしかありません。
しかしピストンが内側パッドを押した反力でキャリパー本体がスライドするため、外側パッドにもほぼ同じ力が掛かります。
そのため、
タイヤをロック、あるいはABS作動領域まで持っていける制動トルクさえ出せれば、1回の最大制動ではピストン数は決定的要素ではありません。
対向多ポットの大きなメリットは、
・キャリパー剛性
・パッド面圧の均一性
・大型パッドへの対応
・放熱性
・連続制動時の耐フェード性
・ペダルタッチ
などです。
RX-8の場合、18インチ車では、
フロント:φ323mm
リア:φ302mm
というかなり大きな4輪ベンチレーテッドディスクを使用しています。
つまり、タイヤを限界まで使うための制動トルク自体は十分に確保されていました。
■ 重要なのは50:50と低重心
RX-8の大きな特徴が、アドバンスドフロントミッドシップです。
RENESISロータリーエンジンはRX-7より、
約60mm後方
約40mm低く
搭載されています。
さらに燃料タンクもホイールベース内へ配置。
これにより、前後重量配分はほぼ50:50。
ホイールベースも2700mmと、スポーツカーとしてはかなり長めです。
ブレーキング時の前後荷重移動量は、おおよそ、
車重 × 減速度 × 重心高 ÷ ホイールベース
で決まります。
つまり、
・重心が低い
・ホイールベースが長い
ほど、フロントへの荷重集中が少なくなります。
RX-8を1.02G制動として計算すると、重心高を仮に470mm程度とした場合でも、
前:約68%
後:約32%
程度の荷重が残ります。
つまりフルブレーキ中でも、リアタイヤがかなり仕事をできる車なのです。
これが非常に重要です。
■ リアブレーキがφ302mmもある理由
RX-8のリアローターはφ302mm。
フロントφ323mmに対してかなり大きいサイズです。
1G付近のフルブレーキングでも、RX-8では後輪に約3割前後の荷重が残ります。
つまりリアタイヤにも大きな制動力を担当させることができます。
そこでEBDが前後のブレーキ圧を最適化し、
リアタイヤがロックする直前まで制動力を使う
わけです。
マツダ自身もRX-8の技術資料で、EBD/ABSを、
「タイヤ性能を最大限引き出し、制動停止距離短縮と車両安定性を両立する」
方向にチューニングしたと説明しています。
RX-8の短い制動距離は、フロントブレーキだけで止まっているわけではありません。
4輪全部を使って止まっている。
ここがポイントです。
■ フロントサスペンションもブレーキ性能の一部
RX-8のフロントはインホイール型ダブルウィッシュボーン。
アッパー/ロアアームはRX-7より約32mm長くされ、ホイールストロークに対するアライメント変化を穏やかにしています。
そして重要なのが、アームの車体側ブッシュです。
RX-8では、
ストッパークリアランスゼロ構造
が使われています。
大きな制動力が入力された際のアーム前後方向移動を抑え、
強くブレーキを掛ける
↓
タイヤからアームへ大きな力が入る
↓
それでもアーム取付位置が大きく動かない
↓
トー、キャスター、キャンバーが乱れにくい
という方向に設計されています。
■ フロントサブフレーム自体も高剛性
アームだけ硬くても、その取付先が動けば意味がありません。
RX-8ではフロントサスペンションを高剛性サブフレームへ取り付けています。
つまり、
タイヤ
↓
ナックル
↓
サスペンションアーム
↓
ブッシュ
↓
高剛性サブフレーム
↓
ボディ骨格
という荷重経路そのものを設計しています。
後期型や限定車では、このフロントクロスメンバー内部へ発泡ウレタンを充填し、さらに剛性・振動特性を改善した仕様まで存在します。
マツダがサブフレーム剛性を非常に重視していたことが分かります。
■ ノーズダイブもジオメトリで抑える
マツダはダブルウィッシュボーンを利用したアンチダイブ構造について特許を持っています。
基本原理は、側面から見たアッパー/ロアアームの取付角を利用し、ブレーキング時の前後力の一部を車体を持ち上げる方向の反力へ変換するものです。
つまり単純に、
「フロントスプリングを硬くして沈まなくする」
のとは違います。
制動力そのものを利用してノーズダイブを抑える考え方です。
重要なのは、アンチダイブを入れても物理的な前後荷重移動そのものがなくなるわけではないという点。
変わるのは、
その荷重をスプリングの圧縮だけで受けるのか、サスペンションリンクの軸力でも受けるのか
です。
その結果、
・フロントストロークを抑える
・車体ピッチを抑える
・アライメント変化を小さくする
・後輪側の過渡的な荷重変化を穏やかにする
・ABS/EBDがタイヤを制御しやすくなる
というメリットが期待できます。
なお、マツダにはRX-8以前から存在するアンチダイブ関連特許と、RX-8発売後に出願された発展型特許があります。
そのため「この特許がそのままRX-8へ採用された」と断定するのは避けるべきですが、RX-8~NCロードスター世代のマツダFRシャシーにおいて、アンチノーズダイブが重要なジオメトリ設計要素だったことは非常に興味深い部分です。
■ リアはさらに凝った5リンク
リアは5リンク式。
しかも単純なマルチリンクではありません。
RX-8ではダンパー反力やリンク配置を利用し、
・トーイン方向
・ネガティブキャンバー方向
へ意図的にモーメントを発生させています。
さらにブッシュやボールジョイントへあらかじめ荷重を掛け、微小な遊びや不感帯を減らしています。
つまりRX-8のリアサスは、
荷重が入った瞬間から予定した方向へ動く
ように設計されています。
この構造については、RX-8開発時期のマツダ特許にも非常に近い内容が確認できます。
■ そしてリアサブフレームは6点支持
RX-8で特に面白い部分です。
リアサブフレームは、
・左右のハイドロフォーム製サイドメンバー
・前後クロスメンバー
を溶接した高剛性構造。
そして車体への固定は、
左右それぞれ前・中央・後の3点、合計6点。
しかも単純に6点で吊っているのではなく、
3次元的な三角形
を作るように配置されています。
これによって、サブフレームが車体に対して、
・ヨー方向に回る
・ロール方向に回る
・前後へずれる
といった動きを抑えています。
■ 面白いのは「6点だからゴムを柔らかくできた」こと
通常、操縦安定性を上げるならサブフレームをリジッドに固定したくなります。
しかし、それではロードノイズや振動が増えます。
RX-8では、
高剛性サブフレーム
+
6点支持
+
三角配置
によって構造側で剛性を確保。
その結果、サブフレームマウントそのものにはNVH対策として比較的柔らかいラバーを使うことができます。
さらにここにも、
ストッパークリアランスゼロ構造
を採用。
つまり、
小さな振動
→ラバーで吸収
大きな操舵・制動入力
→ストッパーと高剛性構造で動きを規制
という設計です。
■ なぜこれがブレーキ性能に効くのか
後輪に制動力が掛かると、
タイヤ
↓
ナックル
↓
5リンク
↓
リアサブフレーム
へ荷重が伝わります。
もしサブフレーム自体が動いてしまうと、5本のリンクの車体側取付点も動きます。
すると、本来設計されたトー・キャンバー変化に加えて、
サブフレーム変形による余計なアライメント変化
まで発生します。
RX-8ではその余計な変形を極力減らし、
意図したブッシュとリンクだけを動かす
ようにしています。
これはABSにも好都合です。
ABSはタイヤのスリップ率を見ながら、増圧・保持・減圧を繰り返します。
その最中にサスペンションジオメトリや接地荷重が大きく変化すると、制御対象であるタイヤの状態も変わってしまいます。
RX-8では、
高剛性サブフレーム
+
制御されたブッシュ
+
ロングリンク
によってタイヤ挙動の再現性を高めています。
■ ボディ側もサスペンションを支える構造
RX-8はセンターピラーレスのフリースタイルドアですが、ボディはかなり特殊な補強構造を持っています。
中心となるのが、
High Mounted Backbone Frame
です。
センタートンネル上を前後へ通る閉断面構造で、前後の骨格を結びます。
さらに、
・床下クロスメンバー
・フロント左右フレーム間クロスメンバー
・ストラットタワーバー
・リアダンパー取付部からバックボーンへ伸びるV字ブレース
などを組み合わせています。
大切なのは、単純なボディねじり剛性の数字ではありません。
サスペンション取付点が動かないこと。
ブレーキング中にも、サスペンションが設計された座標で仕事をできることが重要なのです。
■ 低ヨー慣性も制動安定性には効く
RX-8は重量物を車体中央へ集中させています。
燃料タンクはホイールベース内。
RENESISも後退搭載。
スペアタイヤも廃止。
ただし低ヨー慣性は、完全な直線100→0km/hの停止距離を直接短縮する要素ではありません。
効いてくるのは、
・左右でμが違う路面
・ABSが左右別々に介入する状況
・ブレーキング中の修正舵
・ブレーキングしながら旋回
といった場合。
RX-8は「短く止まる」だけでなく、
止まっている最中の姿勢も乱れにくい
という方向で設計されています。
■ タイヤの重要性も非常に大きい
最終的に路面と接しているのはタイヤです。
RX-8の海外長期テストでは、タイヤ変更によって70mph→0mphの停止距離が大きく改善した例もあります。
つまり純正ブレーキはすでにタイヤを限界近くまで使える能力を持っており、
さらに一発の停止距離を短くしたいなら、キャリパーを巨大化するよりタイヤのμを上げた方が効く場合もある
ということです。
■ RX-8 vs S2000 vs 350Z vs FD3S
実測値で見るとさらに面白い
ここまで構造の話をしてきましたが、
「では実際、同時代のスポーツカーと比べてRX-8はどのくらい止まったのか?」
というところも見てみます。
非常に参考になるのが、MotorTrendが2004年に行った、
Honda S2000
Mazda RX-8
Nissan 350Z Track
の3台同時比較テストです。
同じ媒体・同じテストの中で測定されているため、単独のカタログ値を寄せ集めるより比較としてかなり参考になります。
【60mph → 0mph】
Nissan 350Z Track
113ft/約34.4m
Mazda RX-8
115ft/約35.1m
Honda S2000
118ft/約36.0m
そして、さらに興味深いのが高速側です。
【100mph → 0mph】
Mazda RX-8
318ft/約96.9m
Nissan 350Z Track
318ft/約96.9m
Honda S2000
338ft/約103.0m
RX-8は60mph制動では350Z Trackに2ftだけ届きません。
しかし100mph→0では、
350Z Trackと完全に同じ318ft。
ここがかなり面白いところです。
■ 相手の350Z TrackはBrembo装着車
このテストの350Zは普通のZではなくTrack Modelです。
車重約3225lb(約1463kg)、前後重量配分53:47。
そして、
フロント4ポットBrembo
リア2ポットBrembo
前12.8インチ/後12.7インチの大径ベンチレーテッドローター
を装備する、当時としてはかなり本格的なブレーキ仕様です。
それに対してRX-8は、
約3029lb(約1374kg)
50:50
フロント323mm/リア302mm
片押しフローティングキャリパー
です。
それでも100mph→0では同じ318ft。
つまり一発の最大制動について見る限り、
多ポットBremboというハードウェア上の優位性だけでは、RX-8を引き離せなかった
という実測結果になります。
もちろん連続周回をすれば、キャリパー剛性、パッド容量、熱容量などで350Z TrackのBremboには別のメリットがあります。
しかし「一発でどこまで短く止まれるか」では、最終的に支配的なのはタイヤとシャシーなのがよく分かります。
■ S2000は軽いのに、RX-8より少し長い
S2000はこの3台で最軽量。
MotorTrend実測車で約2835lb=約1286kgです。
RX-8より約90kg軽い。
重量配分も49:51と非常に良好です。
それでも、
60→0
S2000:118ft
RX-8:115ft
100→0
S2000:338ft
RX-8:318ft
となっています。
これは、
軽い車ほど必ず短く止まるわけではない
ことの分かりやすい例です。
制動距離を決めるのは単なる質量ではなく、
・タイヤ
・荷重移動
・ホイールベース
・重心
・サスペンションジオメトリ
・制動配分
・ABS制御
を含めた総合性能です。
RX-8のホイールベースは約2700mm。
対してS2000は約2400mm。
約300mmも違います。
長いホイールベースは、制動時の前後荷重移動を小さくする方向に作用します。
RX-8の「スポーツカーとしてかなり長いホイールベース」は、4人乗りパッケージのためだけではなく、制動時にリアタイヤを仕事させる上でも有利な条件だったことが分かります。
■ FD3Sはどうだったのか
FD3S RX-7も非常に優秀です。
マツダ自身がFDについて、
・50:50重量配分
・低重心
・低ヨー慣性
・徹底した軽量化
・4輪アルミ製ダブルウィッシュボーン
を基本思想としていたことを公表しています。
北米仕様1993 RX-7は約2840lb(約1288kg)で、フロントには4ポットキャリパーを装備。
Car and Driverが1993年に行った比較テストでは、
70mph→0mph:156ft(約47.5m)
を記録しています。
別の同誌集計では155ftとする試験もあります。
ただしこれは70mph→0であり、MotorTrendの60→0/100→0とは、
・試験媒体
・路面
・タイヤ
・気温
・測定方法
などが違います。
したがって、
RX-8の115ftとFD3Sの156ftを数字だけで直接比較することはできません。
参考として平均減速度を計算すると、FD3Sの70→0・156ftは概ね1.05G前後。
RX-8のMotorTrend 60→0・115ftも概ね1.05G前後です。
厳密な直接比較ではありませんが、
FD3SもRX-8も、タイヤグリップを1Gを超える領域まで使える非常に優秀なシャシーだった
ことは読み取れます。
■ 4台を整理すると思想の違いがよく見える
RX-8
50:50
長いホイールベース
高剛性前後サブフレーム
片押しキャリパー
大径ローター
EBD
→ シャシー全体で4輪を使い切る
S2000
軽量
ほぼ50:50
短いホイールベース
4輪ダブルウィッシュボーン
→ 軽量・高グリップ・俊敏性
350Z Track
53:47
重量級
大径Brembo
多ポットキャリパー
→ 強力なブレーキハードウェアと熱容量
FD3S RX-7
超軽量
50:50
低重心
4輪ダブルウィッシュボーン
フロント4ポット
→ 徹底した軽量・低慣性スポーツカー
この中でRX-8だけ少し変わっています。
FD3Sは約1.3tの車体に4ポット。
350Z TrackはBrembo。
S2000は約1.29tの軽量2シーター。
それに対してRX-8は、
4人乗り
約1.37t
片押しフロントキャリパー
という条件です。
それでもMotorTrendの同一条件テストで、
60→0はBrembo装着350Z Trackとの差わずか2ft。
100→0では完全に同距離。
この結果を見ると、RX-8の制動性能が単に「ローターが大きいから」では説明できないことがよく分かります。
■ 結論
RX-8がよく止まる理由は、
「片押しキャリパーなのになぜかブレーキが強い」
ではありません。
むしろ、
高価な多ピストンキャリパーを使わなくても、4本のタイヤを最大限使えるところまでシャシー側を作り込んでいた
と考える方が正しいと思います。
RX-8の制動性能を構成しているのは、
・50:50重量配分
・低い重心
・2700mmの長いホイールベース
・アンチダイブを意識したフロントジオメトリ
・ロングダブルウィッシュボーン
・ゼロクリアランスブッシュ
・高剛性フロントサブフレーム
・リア5リンク
・6点支持高剛性リアサブフレーム
・High Mounted Backbone Frame
・V字リア補強
・323/302mmの大径ブレーキ
・EBD/ABS
・4輪のタイヤ性能
です。
そして同時代の実測データを見ると、Bremboを備える350Z Trackと100mph→0で同じ318ftという結果まで残っています。
これは「片押しキャリパーでも十分」という単純な話ではありません。
必要な制動トルクを確保した上で、
タイヤが生み出したグリップを、車体の変形や不必要な荷重変動で失わない。
そのためにサスペンション、サブフレーム、ボディ、重量物配置、ブレーキ制御まで含めて車両全体を作る。
言い換えればRX-8は、
「キャリパーで止める車」ではなく、「シャシー全体をブレーキ装置として使う車」。
38.6mという数字は、ブレーキ単体の性能ではなく、
RX-8という車両全体の運動性能設計の結果だった。
そう考えると、あの一見普通に見える純正ブレーキにも、かなり違った見方ができるのではないでしょうか。