グレード・スペック - DMC-12
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デロリアン DMC-12 グレード一覧
デロリアン DMC-12 1981年01月~
かつてGMでポンティアック担当の副社長まで登りつめたジョン・ザッカリー・デローリアンが、GMを辞職・独立し自ら設立した自動車メーカー、デローリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company Ltd./DMC)の第一弾として製造した、80年代を代表するカルトカー。 DMC本社はミシガン州デトロイトに置かれたが、製造工場はイギリス・北アイルランドのベルファスト郊外、アント ...
かつてGMでポンティアック担当の副社長まで登りつめたジョン・ザッカリー・デローリアンが、GMを辞職・独立し自ら設立した自動車メーカー、デローリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company Ltd./DMC)の第一弾として製造した、80年代を代表するカルトカー。 DMC本社はミシガン州デトロイトに置かれたが、製造工場はイギリス・北アイルランドのベルファスト郊外、アントリム州ダンマリー村にあった。その為、分類上厳密にはアメリカ車ではなくイギリス車となる。 長い開発期間を経て1981年に登場した同社唯一のプロダクトである『DMC-12』は、イタルデザイン社のジョルジェット・ジウジアーロがデザインを手懸け、ロータス社がメカニック設計を請け負った。同車はガルウイング等エンジニアリング面に於いて先進的な発想を取り入れたため、開発は非常に難航し、ロータス創業者コーリン・チャップマンが生涯をかけて設計したことでも知られる。 開発期間を短縮する為、エスプリにも採用されロータスが得意とした、スティール製バックボーンフレーム上にFRPボディを載せるボディ構造をデローリアンにも採用するが、メンテナンスフリーをも狙ってエクステリア全体を無塗装ステンレスパネルで覆ったことが極めてユニークである。銀色に光るヘアライン仕上げが眩しいステンレス剥き出しの外装とガルウイングドアは、今見ても十分未来的であり、見る者に衝撃を与え、後年までDMCのイメージを決定づける存在となった。 なお、新車時の車高や最低地上高が高いのは、当時の法的基準におけるヘッドランプの高さを満たすためと、北米の道路事情を配慮した実用性確保のためであった。 パワーユニットは、プジョー・ルノー・ボルボが共同開発した「PRV-V6」V型6気筒SOHC2849ccエンジンをリアオーバーハングに搭載するリアエンジンレイアウトを採用。このパワートレインとレイアウトは、トランスミッションの歯車比やエンジンのチューニングは異なるものの、アルピーヌ・ルノーA310、V6とも共通する。このエンジンは当初90度バンクのV型8気筒として設計されていたが、1973年のエネルギー危機の影響で出力よりも経済性を重視せざるを得なくなり、そのままのバンク角で2気筒を切り落とした経緯を持つ、出力よりも経済性を優先した実用型エンジンである。これにルノー製ミッションをあわせている。 座席後方に貨物スペースが用意されていたり、フロントラゲッジには底が浅いながらも結構な容量が確保されていたりと、意外にも2名乗員に見合ったユーティリティが確保されている。この事からも、外見からイメージされるほどのスーパーカー的な車ではなく、むしろ個性的なスタイルのグランドツアラー、スペシャリティクーペというのがデローリアンの正確な捉え方である。 PRVユニットのターボ化や4ドア全てをガルウィングとする4ドアモデル、また全く別のニューモデルなど、企業としてのビジョンも次々発表されその前途は洋々に見えたが、資金難や諸々の問題により、8500台余りの生産でデローリアン・プロジェクトは崩壊、DMCは82年に倒産してしまう。 チャレンジングなエンジニアリング等が災いしてクルマ自体の完成度も低く、商業的には失敗作であったデローリアンだが、85年に公開され世界的大ヒットを収めた映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズにおいて、タイムマシーンとして“出演”した事で、一転して全世界的に注目を集める事となった。
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