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- 昭和レトロ!ジュニアスポーツ車の歴史
まとめ記事
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さて、今回の話題は前にもちょっと触れたことがありますが、現在45~62,3歳くらいのおっさん達を熱くさせた、ジュニアスポーツ車です。 ※ジュニアスポーツ車とは、小学校高学年~中学生をターゲットにしたスポーツ自転車のことです。 ところで、最近シーケンシャルウインカー(おっさん的には流れるウインカー)が流行っているようですが、あるサイトに「元祖はアウディだ」とドヤ顔で書かれていました・・・ ↑ でも、流れるウインカーといえば、コレ(他にブルクーペにもOPあり) で、なぜ流れるウインカーを紹介したかというと、今から50年ほど前のジュニアスポーツ車にも、この流れるウインカー、つまりフラッシャーが設定されていたからです。 フラッシャー付きモデルを最初に発売したのは、FUJIブランドでお馴染みの「日米富士自転車」で、時期的には昭和43年頃らしいのですが、私の生まれる前の話であり、どのモデルかは特定できませんでした。 また、意外にも当初は「フジフラッシャーシリーズ」として、高校生以上のヤング向けスポーツ車にも商品展開していたようなのです。出典:LGtouringさん
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では、フラッシャーは実際どういう風に光ったのでしょうか? ↑ フラッシャーの光り方(ツノダ車) まさしく流れるウインカー いやあ、これは少年でなくてもワクワクしますね(笑) という訳で、ミヤタも他社製のフラッシャー自転車が爆発的に売れるのを、ただ横目で眺めている訳にもいかず、GTラジアルとは別にフラッシャー付きのモデルも発売しています。 ↑ 初期のタイプ おそらく昭和44~45年 おもしろいのは、フラッシャーを「安全のため」と謳っている所です。 あくまでディスクブレーキ付きであることも、ミヤタらしい拘りでした。 【余談】 当時らしいのは、広告に現金正価と6回分割価格が併記されている点。 今みたいにカードや自動引き落としも一般には普及していなかったので(JCBが初めて引き落としを開始したのは昭和43年らしいが、一般庶民にはまだ無縁だった)、割賦を選んだ場合、自転車で専用手形というも聞いたことがないので、毎月末に店まで現金を持参したんでしょうか?また、「ご相談は信用あるミヤタの代理店・有名百貨店へ」とあります。出典:LGtouringさん
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さて、当時フラッシャー自転車を作っていたメーカーというと、BS、ナショナル、ミヤタ、丸石、ツノダ、フジ、セキネ、カワムラ、ツチヤ、(丸紅)山口etc.ですが、なんと自動車メーカーのフラッシャー自転車もありました。 ↑ スズキ スカイヤング スズキは元々2輪メーカーですし、割と有名なようですが、なんとあのトヨタも参入していたようなのです。 ↑ このロゴだと怪しげ ↑ もしかしてTマーク? そして、決定的なのがこちら。 ↑ 決定打(フェンダー下の「トヨタ」ロゴに注目) ライト等の形状から、おそらく昭和47年頃のモデルではないでしょうか。 トヨタのやる事なので、単なるOEMではなく傘下メーカーのどこかが作ったように思います。 当時は、まだ新車を買うのは比較的裕福な人だったことから、車と一緒にそのご子息用として売り込む作戦だったのかもしれません。 P.S. フラッシャーに関しては、セキネからのOEMだったようです。出典:LGtouringさん
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この時代のエポックメイキングは、あのシマノが開発したFFシステムとポジトロンPPSです。 (FFはフロントフリー、PPSはプッシュプルシステムの略です) FFシステムによって、ペダルを漕いでいなくても変速ができるようになり、またPPSにより、シフトがカチ、カチと決まるようになり、ギヤの選択が容易になりました。 ミヤタでは、このFF+PPSのことを、ジャストチェンジャーFFと呼んでいました。 ↑ ジャストチェンジャーFFを搭載したサリースクランブル(昭和52年) フラッシャーブームが去り、再び機能性を高めたモデルに回帰した イメージキャラは、アグネスですが、チャンではなくラムの方です(若い人は知らないかも?) 【おまけ】 ↑ 我が愛車(チャレンジベニー) 年代的には、昭和50~52年ごろ? よく見たらリヤディレーラーにはPOSITRONではなく、LARK SPOと書かれていました。 当時、シマノにはPOSITRONのほかにも、一般車用にSKY LARKというリヤディレーラーがあったようです。出典:LGtouringさん
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昭和52~53年にかけて、少年らを中心に突如としてスーパーカーブームが沸き起こります。ちなみに、ネットで調べると、なめ猫を仕掛けた津田さんという方が、昭和48年にスーパーカーブームを手掛けたとありますが、(後年になってから)少年らの間で熱狂的に流行ったのは、何と言っても昭和52年に実写映画化もされるほどの人気だった「サーキットの狼」の影響だったと思います。 子供たちの間では、それまでもSLブームとか、後にはブルトレブームとかが起きましたが、このスーパーカーブームはそれらを上回る大フィーバーぶりでした。 そこで昭和53年、他社に先駆けて「スーパーカーライト」を備えた、サリー・ジャストチェンジャーFFが登場します。 車と違ってライトが横に出るのが特徴で、ミヤタはこれをオープンビームシステム・スーパーカーライトと呼んでいました。 ↑ 現物 街中でも結構見かけた この後、各社からスーパーカーライトを搭載したモデルが登場します。 車と同じで上に出るもの、928みたいに丸型ライトが起き上がるもの、更には下に開く変わり種も・・・出典:LGtouringさん
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