- 車・自動車SNSみんカラ
- まとめ
- ドライブ
- バブルへGO!古地図を片手にレトロ旅
まとめ記事
-
古地図やガイドブックを手に散歩・・・なんていうのがちょっとしたブームだったりしますが、 ふと、思い立って昔(バブル期)のドライブガイドを古本屋で入手しました。 ↑ ドライブと旅の本 発行元は近ツーで、初版は1987年。なお、北関東版は、初版でなく改訂版(91年)になります。 折り目がなく、愛読者はがきが挟まれていたことから、今で言うバーゲンブックでしょうか? ※昔は、こういった売れ残りはこっそりと古本屋に流れていた(←赤線の入ったエ○本とか) これからは、この本を手にバブルの思い出探しの旅(?)に出掛けて見たいと思います。 で、さっそく紅葉ドライブを兼ねて、南軽井沢へ行ってみました。 ↑ 地図 上信越道はまだなく(紺の破線が計画中)、碓氷バイパスが有料道路でした。 もちろん新幹線もまだで(計画線もひかれていない)、信越線がバリバリ現役でした。 当時、軽井沢に行くには、高崎で降りて18号というのが一般的なルートでしたが、 今回は、裏ルートを使いました(といっても、藤岡ではなく下仁田までは高速利用) ちょうど、紅葉が綺麗な時期でした。 ※裏ルート・・・国道254 ...出典:LGtouringさん
-
バブル期へのタイムトリップ第二弾は、夏のテニス合宿で賑わった山中湖です。 当時は、夏はテニス&冬はスキーというのが若者の間でブームになっており、 「テニス(スキー)をせずんば、人にあらず(?)」という時代風潮でした。 どこの大学でも、非公認のオールラウンド系サークルが乱立していた時代で、 彼らが行く夏のテニス合宿のメッカ・・・が山中湖でした。 ↑ 三国峠からの富士山&山中湖 ↑ 山中湖周辺地図 1987年当時、東富士五湖道路は山中湖までしか開通していませんが、 道路状況は、現在とさほど変わっていません。 ただ、地図上に表示されているホテルやレストランは、改廃業が激しく、 今も営業を続けているのは、半分以下でしょうか。 ↑ 山中湖庭球倶楽部(ニュー山中湖ホテル) その名もズバリの山中湖庭球倶楽部、まだ真新しい白亜のリゾートホテル。 (この写真では、エントランスの植栽もこれからのようです) ↑ ニュー山中湖ホテル跡地(上記写真の左端方向から撮影) 晴れていれば、富士山がよく見える一等地にありました。 バブル崩壊後は、リーズナブルな宿として営業を続けて ...出典:LGtouringさん
-
今回は、古地図(エアリアマップ神奈川、1992年5月版)でタイムトリップしてみます。 平成4年なので、自分がちょうど社会人になった年です。 まずは、当時の首都高速図から。 ↑ 首都高速道路図 レインボーブリッジやアクアラインがない事より、湾岸線がまだ大井で行き止まりだった・・・という事の方が驚き。 ※レインボーブリッジ(供用開始:平成5年)、アクアライン(同:平成9年) ↑ 羽田近辺 その湾岸線(大井~大黒)がないという事は・・・羽田空港が昔(旧ターミナル)のままでした。 平成も早30年、見返せば結構変わるもんですねえ。 さて、今回のお題は、宮ヶ瀬ダム建設により消えてしまった中津渓谷です。 紅葉の名所でもあり、かつては「関東の耶馬渓」と言われていたそうです。 ↑ 中津渓谷 現在は、その渓谷も宮ヶ瀬湖の湖底に沈んでいます。 地図を見ると、この前年秋から始まったダム工事の影響で、中津渓谷沿いの道路は既に通行止めと書かれています。 ↑ 石小屋橋(借用画像) 中津渓谷のメインスポットであった石小屋は、現在は宮ヶ瀬ダムの下流の小ダムにその名前を残してい ...出典:LGtouringさん
イイね!0件
オススメ関連まとめ
-
2015/12/19
-
2015/12/19
-
2018/05/27