旧広島陸軍被服支廠(旧日本通運出汐倉庫)
街中に静かに佇む「被爆の記憶」
2011年06月08日
被爆地広島を代表するモニュメントと言えば「原爆ドーム」。広島県産業奨励館として建てられた美しい建築物でしたが、原子爆弾の直撃を受けほぼ全壊。戦後は幾度か解体撤去の危機を迎えましたが都度生き残り、被爆の惨状を現在に伝えるモニュメントとなっているのはご承知のとおりです。
被爆当時からある建物で現存しているもの他にもあり、今なお現役の建物もあります。ただ、概ね綺麗に修復されてしまっていたり、逆に朽ちてしまっていたりいて、広島市街地を焼き尽くした原子爆弾の傷跡が明確に残っている建物はそう多くありません。
原爆ドームのように一瞬で「モニュメント」と化してしまうような破壊こそ免れたものの、強烈な爆風を全身で受け止めた跡が残る建物が現存します。
その建物は、爆心地から東に2.7キロメートル離れた住宅地の中に、ひっそりと佇みます。
日常の中に溶け込んだこの建物は、戦前から同じようにこの場所に建っていますが、原子爆弾が投下されたあの日、音速を超える爆風が西側の壁を叩きました。
旧広島陸軍被服支廠。旧陸軍の軍服等の補給基地として整備され、戦争遂行を内地から後押ししてきた建物です。
戦後は日本通運の倉庫および広島大学の学生寮として使用されました。
現在は県および財務省の所有となり、解体撤去して更地化もしくは現存する倉庫建物を活用した再開発を待つ状態です。
壁面に穿たれた窓には、軍の施設だったことを証明する頑丈な鋼鉄製の鎧戸が嵌め込まれています。鎧戸が滅失している窓も少なくありませんが、残っている鎧戸のうち、建物西側公道に面した窓は概ね全て、中心が凹んだ状態で歪んでいます。
広島市外中心部を叩き潰し焼き尽くした余勢を駆って、熱線と爆風がこの地へ到達。熱線は大きなダメージを与えられませんでしたが、爆風は巨人の拳が如く鎧戸を叩き、大きく凹ませたのです。
私にとって、原爆投下当時の写真や平和資料館の展示よりも、被害の実態が生々しく感じられ衝撃を受けました。
これほど明確に原子爆弾の傷跡が残る場所は、他にありません。
普通の住宅地のなか、周辺道路が整備されていないこともあり、平和を祈念する巡礼者も、戦争の悲劇を学習する修学旅行生も、昼間から酒をあおって赤ら顔した物見遊山の観光客も、ここへはやってきません。
静かに被爆当時を偲ぶなら、最もふさわしい場所です。
住所: 広島県広島市南区出汐二丁目4-60
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