2013年12月17日
昨日、インプレッサが帰ってきました!
暫定的な措置ではありますが、なんか面白いことになって帰ってきました!
そして、気に入りました!
その足で、帰りに加平のオートバックスに寄って、ナンバー灯交換!
白色LED化しました!
気に入ってたIPFのイエローフォグは、使い物にならない状況だった為、近々フォグの交換も行います!
因みに、新生インプレッサGG9のお披露目はもう少し待ってくださいww
ある意味斬新な前面になりましたから!
Posted at 2013/12/17 08:49:10 | |
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GG9 | 日記
2013年12月14日
スバリストで本当に良かった!
12月14日
1年間お世話になった、ドコモショップを辞めた。
新天地は、12月18日から赴く小さな会社。
小さな会社に似合わず、取引先は著名な会社や施設が多く、ルート営業として、それらの会社を訪問し、会社のニーズに合ったサービスを提案する仕事となる。
今まで、顧客は個人が多かった故、法人営業専属となるのは初めて。
個人の顧客との会話は、今日が最後。
最高の花火を打ち上げたかった。
4月1日付けで、個人の業績から販売班ディスプレイ担当となり、11月の人事異動で販売班からテクノ班へと異動し、故障兼ツール管理担当と情報管理担当を兼務した。
8月にテクノ資格を取得し、ドコモマイスターとなった。
マイスターバッジをジャケットに付け、カウンターで客から笑いを取ったり、やはりピエロを演じていた。
しかし、会社がそれをよく思わないのか、次第に会社での居心地が悪くなった。
会社は、接客時間の短縮化を進め、客と会話を楽しむことは難しくなった。
しかし、やったよ。
最後まで。
客から笑いを取ってたよ。
最後の一人まで!
スバリストとして、スバルの話で盛り上がれるのは、本当に楽しい!
そう、今日は会社の意に反した滅茶苦茶長い接客時間を叩き出してやったよ!
通常の3倍!
でも、お客様は笑って帰ってくれたよ!
私は、客を笑わせ、退屈な時間をエンターテイメントに変えるのが好きなんだ!
ドコモショップの退屈な時間をエンターテイメントに!
これが1年間の集大成!
そして、今までに無いカスタマーサティスファクションのあり方!
顧客の人生を左右するかもしれない仕事。
顧客の道しるべとしての仕事。
全ての顧客に最高の時間を演出する仕事。
それが、私なりの接客のあり方!
そして、接客の世界からは手を引く事を決め、今後は未知の世界。
スバリストとして、顧客を楽しませてきた事は数知れず。
スバルだから興味を持ってくれた話も数知れず。
これが、長いと感じさせない接客。
接客業としての集大成。
自虐ネタで、顧客に付属品の大切さを知ってもらったり、経験談で故障を納得させたり、上司もポカーンとする営業トークを炸裂させて、プランを案内したり…。
だからこそ、今不安。
でも、本当にスバリストで良かった!
スバリストでなければ、出来ない営業トークもあったからね!
本当に、今思えば良い思い出かもな…。
Posted at 2013/12/14 23:45:24 | |
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日常 | 日記
2013年12月14日
先月11日に発生した事故で長期間入場を余儀無くされた我がインプレッサですが、この度修理完了の連絡が入りました!
リサイクルパーツを多様しているため、バンパーがシルバーになりましたが、思いの外かっこよくなったとのことで、私としても再会が楽しみで、仕方ありません!
これから、物語が始まります!
否!
始めます!
さてさて、ここからが本番!
そして、明日付けで今の会社を退社します!
18日より、新たな会社で正社員での仕事が始まります!
明日付けで、引っ越しして新生活を始めます!
正直、希望と不安の両方に押し潰されそうです。
新居にも皆様是非遊びに来てくださいね!
Posted at 2013/12/14 19:49:08 | |
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GG9 | 日記
2013年12月05日
1945年8月15日
大東亜戦争が幕を閉じた。
内蒙古の当時日本陸軍を指揮していたのは、根本博中将。
根本中将は、中華民国の総統蒋介石に掛け合い、内蒙古に残る日本人を全員日本に帰国させ、ソ連軍による内蒙古での抑留を防いだ。
根本中将の帰国後、中国本土では毛沢東率いる共産党軍と蒋介石の国民党軍による「国共内戦」が勃発。
根本中将は、日本から中国の様子を気にしていた。
当初は、国民党軍が優勢であったが、ソ連軍の介入により一変、共産党軍が優勢となった。
ある日、根本中将は「釣りに行く」と言って、家を出た。
向かった先は、台北。
しかし、当時の日本は、GHQの支配下であり、国外への渡航など許されていなかった。
根本中将は、通訳を連れ、元貿易商の明石の手引きもあり、宮崎県の延岡市より深夜に小型船で出国し台北へ向かった。
台北に到着後、蒋介石が直々に出迎え、中国名を使用し国民党軍の軍事顧問として、金門島古寧頭の戦いで勝利し、国共内戦に終止符を打った。
古寧頭の戦いでは、共産党軍11000人の軍勢を上陸させ、援軍が来る前に船を焼き払い、共産党軍を古寧頭村に追い込む作戦を立てた。
しかし、これでは古寧頭村の住民の命が危険に晒されるため、わざと退路を作り古寧頭村を避けて降伏させたと言われている。
金門島は中国本土福建省から2km程度しか離れていなく、共産党軍の戦意を削ぐには十分でもあった。
このことから、根本中将は金門島で戦神と呼ばれたが、台湾の歴史上からは消されてしまった。
2009年古寧頭の戦いから60年の節目の年に、根本中将の存在はようやく明るみに出ることとなった。
式典には、明石の長男らが参列。
馬英九総統直々に日本語で、歓迎の意を述べた。
日本人が知らない歴史上の日本人「根本博」。
陸軍中将として、日本人の本土帰還に手を貸してくれた親友蒋介石への恩返しとして、台湾に渡り国民党軍へ手を差し伸べた一人男は、釣竿を片手に、釣りから帰ってきたと言わんばかりの姿で、日本に帰ってきた。
それは、明治生まれの粋な振る舞いだったのだろう。
Posted at 2013/12/05 15:02:23 | |
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2013年12月03日
12月14日に、遂に引っ越します。
川越から引っ越して来た時は、何もないつまらない町と思って居ましたが、それなりに住んでいて愛着の沸く町でした。
家から見えるのは、この町で2回引越しをしていますが、家から見えるのは通過して行く新幹線…。
逆に、新潟方面から新幹線で帰る時は、家が見えたら降りる準備をすれば良かったので、その点は楽でした。
夜は、野犬も出るし獣道も多く、今の家に住み始めた当時は、家の前の道路も舗装されて無かったし、小学校迄は1駅分以上歩かなければならなかったなぐらいでしたからね…。
買い物も、大宮か上尾に出なければ物が揃わない環境でしたし、大した娯楽も無い町で幼少期を過ごしたせいか、夏休みはよく県立の図書館で本を漁るか、その下の休憩コーナーで寝てました。
思えば、大学時代に通っていた鶴ケ島市よりも何もなかったかな…。
そんなこともあり、中学、高校と都内の学校に通っていたわけですが、中高の友人の家は文京区や板橋区、さいたま市だったわけで、自分がドの付くほど田舎に住んでいると思いましたね…。
年賀状の住所を教えるにも、1人だけ長いわけですし…。
高校生の頃からか、ドーナツ化現象の影響もあり、都内まで最短で1時間以内と言う利点のおかげか、人口が急激に増え、再開発で便利にはなりました。
こんな町に20年住んでれば、自然と愛着も出ますよ。
だから、久々の引越である今回、落ち着かないこともあります。
今度住む町には何年住むかは分かりませんし、友人も殆ど居ません。
不安は尋常ではなく大きいです。
大宮から帰る時も、今までは北上してましたが、今度からは南下しないと行けません。
不安の方が物凄く大きいです。
とは言え、朝霞市での新生活が楽しみでもあります。
引越後は、たこパーや鍋パーもやりたいですしね!
たこ焼き器は自宅から持って行きます!
使ってないですしねww
そんな訳で、今は精神的に不安定な面が大きいです。
Posted at 2013/12/03 21:55:27 | |
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日常