小浜城〔下館〕(二本松市・旧岩代町)
小浜城は、奥州探題のおかれた塩松城(四本松城)の支城として南北朝争乱期に築城され、戦国時代には大内定綱の居城でした。天正12(1584)年、伊達政宗は塩松地方の攻略に乗り出し、小浜城の支城・小手森城を攻め落としました。大内定綱は蘆名氏を頼り逃亡し、伊達政宗は会津侵攻の拠点として天正13(1585)年から翌年にかけて居城しました。政宗在城中に父輝宗が宮森城に在城しましたが、二本松城主畠山義継によって連れ去られ、有名な粟ノ須の変事が起こりました。
大内定綱は後に許され、伊達政宗に仕えることになります。
政宗は白石若狭宗実を小浜城の城代としました。天正18(1590)年には豊臣秀吉の奥州仕置により、蒲生氏の所領となり蒲生忠右衛門が城代となりました。その後慶長3(1598)年に上杉景勝が会津に転封されると、山浦原吾景国が城代となり、慶長6(1601)年には再び蒲生秀行が会津に転封され、玉井数馬助貞石が城代となり、加藤氏が会津に転封された寛永4(1627)年、廃城となりました。
小浜城は南方小浜川の谷間を隔て上館と呼ばれる宮森城があり、小浜城はそれに対して下館と呼ばれました。両城の間には集落があって、一体化した構えでした。現在、城跡には蒲生時代の石垣がなどが残っています。
Photo Canon EOS 30D
H19.6.28
住所: 福島県二本松市小浜下館
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