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勝栄寺(周南市・旧新南陽市)

毛利元就教訓状発祥の地及び土塁が残る中世の城郭的寺院・勝栄寺
2014年01月06日
カテゴリ : 山口県 > 観光 > 建物・史跡
勝栄寺は、山号は出城山、浄土宗の寺院です。
創建当初は時宗の寺院で、開山は基阿(ごあ)上人、開基は大内弘世の重臣陶弘政です。
創建されたのは、陶氏が富田保へ移住して間もない南北朝時代の1350〜70年頃と考えられています。
富田は山陽道や瀬戸内海の主要な港の一つ・富田津に位置する陸海の交通の要所で、戦乱の続く南北朝時代に寺の周囲に土塁と堀を構築して城郭化していました。
弘治元(1555)年に厳島合戦にて陶晴賢を破った毛利元就は、防長二国の各地で大内氏残党が相次いで蜂起している事態を重視し、弘治3(1557)年、長男隆元を伴い富田に進駐し、勝栄寺に本陣を置いて一揆を鎮圧しました。その在陣中に、元就が三人の子に宛てた教訓状(三矢の訓)を勝栄寺にて書き残したと伝えられています。
老躯を顧みずして毛利家の為に精励するの範を自ら示すと同時に、在陣中に自ら筆をとり、長男隆元、二男元春、三男隆景にあて、各自毛利家の為に一致協力して努力すべきことを懇々と諭した十四ヶ条にわたる教訓状を認めたと言われています。現在、この教訓状は国の重要文化財に指定されており、毛利博物館(防府市)に所蔵されています。
勝栄寺は、江戸時代の「防長寺社由来」絵図に土塁と濠が描かれており、土塁の北・西部は今日まで残存し、濠も近年まで蓮田としてその面影をとどめていました。
南北朝動乱期の陶氏が置かれた厳しい立場からみて、この時期に防御施設として、土塁や環濠が設けられたのではないかと考えられています。現在は環濠はありませんが、土塁は保存整備事業が実施され、繁栄した中世の富田保や富田津の歴史そして、中世の城郭的寺院の例として現存する数少ない貴重な史跡です。
(現地説明板などより)

Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H25.12.26
住所: 山口県周南市中央町3-10

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