皆川城(栃木市)
皆川城は標高147mの城山を中心とし、東西約450m×南北約300mの規模をもつ平山城で、前からの高さは約80mです。
会津田島にから皆川氏が移り住んだ伝承により、この城は15世紀中頃(1450年前後)の築城とされています。
皆川城は、居館部(居住空間)と山城部(緊急避難的な空間)からなります。
居館部は城主の通常の住居であり、東西約140mX南北役100mの方形状をして、三方に土塁がありました。居館部はちょうど皆川会館(旧皆川中学校敷地)にあたります。
山城部はは階段状の帯曲輪や腰曲輪が配され、これらの曲輪を断ち割るように竪堀が設けられています。また、山頂一帯は、東に一の曲輪(山頂部本丸)、中央に二の曲輪(通称:お花畑)、西に「西の丸」が設置されています。その姿から山城部は法螺貝城とも呼ばれます。
ここ山頂部の一の曲輪は、平成22(2010)年に発掘調査を実施し、小規模建物が想定される柱穴群と曲輪縁辺部に幅2m程度の低い土塁を確認しており、「かけら」や「銭貨(永楽通宝・宣徳通宝・寛永通宝)」等出土しています。
一方、皆川城の東方120mに「白山台の曲輪」、さらに東方約120mに「東宮神社の曲輪」があり、方形状の高まりに堀跡や土塁跡が付属することから居館と推定されています。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めに伴い、皆川城は包囲され、小田原方であった皆川広照はこの城を開城しました。その後皆川氏の存続は認められ、新たに栃木城(栃木市城内町)を築き、その結果、皆川城は廃城となりました。
昭和39(1964)年5月19日に皆川城址は市指定史跡となり、皆川城址公園が整備されています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.12.28
住所: 栃木県栃木市皆川城内町
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