黒木御所跡(西ノ島町)
後醍醐天皇が隠岐へ遷宮されて約1年間行宮されたところと伝えられている黒木御所跡
2023年05月24日
黒木御所は、後醍醐天皇が隠岐へ遷宮されて約1年間行宮されたところと伝えられています。
島後の国分寺が行在所とされていますが、土地の伝承では西ノ島町の黒木御所と伝えられています。
全山を天皇山といい、面積約3000坪、老松鬱蒼たる丘陵でした。御所跡は天皇山の一番奥にあり、比田井天来の筆になる石標で示されています。
昭和33(1958)年、島根県の史跡に指定されています。三位局屋敷、判官屋敷、千福寺各址はいずれも天皇山の附近にあるが、民有地のため各々その一部が指定されています
後醍醐天皇は資性英邁で、後鳥羽上皇の御意思を継承、鎌倉幕府を討滅して日本の姿を延喜天暦の御代に復そうとの御雄図は空しく挫折し、時の執権職北条高時の為、この丘陵(天王山)に配流されました。
天皇は京人の「正しき一天の主を下として流し奉ることのあさましさよ、武家の命運今に尽きなん。とはばかるところなくいう声巷に満ちて、只赤子の母を慕うが如く泣き悲しむ」中を元弘2(1332)年3月7日京を御出発、翌月21日この山上に隠岐判官佐々木清高のしつらえたる黒木御所に着御になりました。
天皇の御在島は約1年、楠木正成等勤皇の士により、幕府の形勢が悪化し、元弘3(1333)年閏2月24日未明、海士村の村上氏をはじめ当地豪族の協力により黒木御所を御脱出し、美田字宮崎の浦(現在の小向)より御乗船になり、伯耆の国名和湊に御着陸し、名和長年に奉ぜられ船上山に御幸し、建武の中興を成し遂げました。
Canon EOS 5D Mark IV
R5.5.4
住所: 島根県隠岐郡西ノ島町別府276
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