
最近、SNSの公開グループで「やけに詳しい」投稿記事を見かけるようになった。
「名古屋駅に着いて」「名古屋バスターミナルに着いて」
読んで学者か新聞記者が書いたのかと思ったが、一般人だ。
長い文章を書き慣れない人が書いたにしては誤謬が少なく破綻していない。
たくさんの人が読んで感想や思い出のコメントが着いている。
私は元プロの編集者なので、ただしこの文章、「私はこう思う」
「私の思い出」がない上に、投稿主のプロフィールを読むと中京地区の人ではない。
これはおそらくオープンAIを使って投稿したのではと、推理するようになった。
オープンAIの時代が来て、いろんなところが利用している。
まだ批判は珍しいが、最大限、マキシマムこうなるといった予測を
考えるコンピュータちゃんがすらすら書く。それで思った。
梅雨の雨なのに「線状降水帯が起きる可能性」とかネットニュースの
条書き見出しに使われて、私だけが違和感を持つ。
こんなん普通の梅雨の雨やん、1ミリくらいやで、平地のこの辺では。
天気予報、ウエザーニュースなどの警告や注意喚起が、大仰だなと思う。
最大限の予報、最悪の結果を含んでおかないと、
「こんな雨、大したことありませんよ」ともし、万が一、災害や非常事態が
起こった時に、「あの天気予報が、あんな言い方してなければ」と
訴訟や、損害賠償が、起きるかもしれない。
現在の予報は非常に分析が、人間の勘を超えた精緻な予測になったにしろ、
コンピュータちゃんは責任は取れない。
だから最悪の事態も、早くから予測の範囲に入ってくる。
こういった「もし何か起きたら、」「誰が責任取るんや」といった
社会が人工知能の到来するちょっと前から、当たり前に、社会の一般常識的に
みんなが共有する時代になった。
元アスリートのスポーツ評論家の為末大が「何かあったらどうしよう症候群」
という立派な言説、主張を書いて、大きな反応があったのは、3年前になった。
https://note.com/daitamesue/n/n5319467da614
当時私も、自分の言いたいことをうまく言ってくれてるなと感じた一人である。
何かあったら、誰が責任を、と言ったものの見方、考え方は、お役所の公務員、
公共的な仕事の場では、当然、当たり前の帰結という判断材料にこの数年で
なった。
台風が来るので電車は前日から止めますという周知と徹底。
当日になって「台風来なかった」「風も大したことなかった」という”期待はずれ”
にネットがちょっと荒れることがあっても、誰かを追い詰めるようなことまでは
いかない。
しごく平和で温厚な世間は、未来の理想だと、そう考えられる。
さて、私の文章は一番AIから遠いので、こうも考えて、世の流れに逆立ちでも
唱えてみよう。
蓋然性という言葉がある。
今言ったように、最大限マキシマム、最悪の事態、そこまでAI構文が考えて
含まれるなら、じゃあどうなるのか。
『自動車に乗るという行為は、最悪、交通死亡事故を起こすかもしれません。
その場合、普通の人は保険に入っていれば補償の対象となりますが、民事、刑事、
行政の3つの責任を追求されて、一生を棒に振るかもしれません』
最近の社会は、交通事故が昔のように頻繁に起きなくなったので、新聞記事や
ニュースを見ると、過失、悪意性、被害程度の大きさ、珍しい車両の事故
などが起きると大きく載るようになったと思う。昔と比べればである。
こういう社会の流れや傾向で、車に乗って事故を起こすのは、昔から乗ってる
ジジイばかりになった。
まして高齢社会で一方通行の高速道路の逆走など起こすと、”社会の敵”のように
祭り上げられる。
だから若者の自動車離れは、当然のように考えられ方の共有、共通認識になった。
そうでなくとも、経済力の対価や、購買力の面などで自動車は若い人が、背伸びして
無理して乗っても、昔みたいにこれがないと異性とデートできない、
と言った時代は40年前の感覚に変わっていったと思う。
さて、今の世間で、米の不足と高騰が話題を集めているが、その一方で日本の国
の人口がどんどん減少していて、特に子供の生まれて来る数がついに70万人を
割って、このままでは日本は潰れる、やっていけないと危機感がかなり深刻な
段階にまで、レベルが上がってしまい、連日このことが、政治の緊急課題に
取り上げられている。
と言った現象を、どう思ったら良いのであろうか。
私は1970年代から80年代の若者である。もちろん過去形。
その時代は、雑誌という情報メディアの内容記事の、何パーセント、
もしかして1割以上が男性の読むヤングアダルト雑誌だと、SEX関連の記事
だった。
嘘ではない。
みんな暇だから、若い男性と女性の関心事の最終ステージは、S・E・X
だったのである。
もっと昔は雑誌など出ていなくても、若い連中の「やりたいこと」はそれしか
なかったのである。
さてオープンAI先生なら、どう答えてくれるであろう。
『男女の性は、思春期などの第2次成長を経て、本能的に欲する自然な感覚で
あったが、最近はサブスティチュートできる解消行為が増えて、敢えて危険な賭け、
まして失恋による精神的ダメージ、それに費やす経済的な費用、負担、
また、対物的な弁済では済まない、対人的な越権行為と言った考え方にも。
アニメや劇画では、非常に劣等な民族”ヒャッハー”らが、「酒だ!女だ!金だ!」
と暴虐に近い行為などが見られ、そういった愚劣な行為に対し、顔を背ける
知的な人々が最近は増えている。
それらの時代と共に変わる考え方の変化で、今の時代、本能剥き出しの男女の
性は「サル」といった比喩で言われるように非常にヤバい、原始的な行動と
見られるようになった。そうでなくても、一歩間違ったら犯罪行為になりかねない。
不合意な関係性の中で”結ばれる”とトラブルになり、◯居くんのように過去の
キャリアも実績も、名声も奪われ、奈落に落ちるケースも見られる。
以上のように、男女の性は危険を犯してまで”やる”必要があるのかは、自明の理
である』
ということくらいが結論として導き出されそうである。
そりゃこんな時代だったら、少子化は当然だろうと、オープンAI先生は
言ってくれそうに、私は思う。