懐かしの阪急電車
投稿日 : 2011年05月25日
1
このブログの趣旨とは少しずれますがちょっと載せてみます。あまりよい写真がないのが残念ですが記録ということで。
まずは1100系1115F。伊丹線稲野~新伊丹で1987年11月21日撮影。1115Fは後述の1108Fとともに、宝塚線に8連で最後まで残った編成。1100系は1010系、1300系とともに阪急最初の量産高性能車。1000、1010、1100系のグループは全90両のうち38両が冷房改造され、非冷房車が全廃となった1986年3月以降まで生き延びた。
2
1108F急行。十三で1985年3月26日撮影。この1年後、伊丹線に転出。1108はその後さらに能勢電鉄に譲渡され、2002年まで活躍した。
3
1108Fの8連は伊丹線に転出の際、1108Fと1104Fの4連2本に分割されたが、こちらは1104Fの中間に連結された1154号車の運転台撤去跡の写真。塚口にて1987年11月21日に撮影。運転台撤去跡には誰でも入ることができ、当時私は好んで運転台撤去跡の壁にもたれて読書を楽しんだ。
4
車体は1100系と同じだが足回りは旧型車の部品を流用した1200系の最後の写真。1100系のような冷房取り付け改造は行われなかった。夙川にて1982年5月5日に撮影。この年の秋には引退している。甲陽線では同年3月下旬まで戦前阪急のスター920系及びその増備車である800系が稼働しており、私も何度か乗車したが、残念ながら写真を撮っていない。
5
817Fの反対側の先頭車869。小林駅にて1984年3月17日撮影。有名な西宮北口駅のダイヤモンドクロス廃止の1週間前である。810系は1950~54年に26両が製造され、今津線には1979~1980年頃に一時6両編成4本が集結。最終的に810系は阪急最後の吊掛電車となり、1984年10月に運用離脱、1985年3月にさよなら運転を行って引退した。
6
817号車の車内。西宮北口にて1983年8月撮影。冷房なし、扇風機のみの室内は今では考えられない。
7
1983年まで今津線に残っていた820F。仁川にて1982年10月31日撮影。翌年822-872を切り離して休車とし、伊丹線に転出。この時期、今津線の810系の稼働率はかなり低くなっていたが、この日は珍しく当時の今津線所属3編成がフル稼働していた。
8
1980年に812Fとともに伊丹線に転出したトップナンバーの810F。震災で被災する前の伊丹駅にて1983年10月31日撮影。この頃は812Fが廃車となって間もない頃で、代わりに今津線から820Fが転入し、1010、1100系とともに活躍していた。
関連リンク
[PR]Yahoo!ショッピング