• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2013年11月29日

【動画】 たま電気自動車(田中次郎氏)

【動画】 たま電気自動車(田中次郎氏) これは日産の動画です。

もう3年前の動画ですが、当時のたまの技術課長だった田中次郎氏が登場します。



言ってみれば、この田中氏とその部下の故日村卓也氏ら元立川飛行機の技術者らが、上司である故外山保氏(元立川飛行機試作工場長)に率いられて旧立川飛行機を飛び出し、東京電気自動車(後のたま電気自動車→たま自動車→プリンス自工)を創業したわけでした。
ちなみに、周知の通り、プリンスのもう一つの流れである富士精密工業は旧中島飛行機系であり、この時点では全く別の会社でした。

色々な本で既に書かれている事ですが、たま電気自動車は電気自動車としては当時最高峰で、作ったはなから売れるほど売れ行きは良かったのですが、自転車操業で、常に資金繰りで四苦八苦していたわけです。
そこで、外山氏が義父で画商の故鈴木里一郎氏に相談した結果、鈴木氏の顧客である故石橋正二郎氏に出資してもらおうという事になったわけでした。
極論すれば、プリンスは石橋氏に救われ、そして石橋氏に身売りされた事になります。(石橋氏がプリンスを身売りする事を決意した経緯は、ここで故岡本和理氏について書いた時に述べたかと思います。)
石橋氏は、出資を決めるにあたり、ではどんな電気自動車なのか見て確認したいとなり、たまのスタッフらが、麻布の石橋邸までたま号で乗り付け、坂をグイグイ登ってやって来るたま電気自動車に石橋氏が感心したというエピソードが残っています。(電気自動車だからトルクが強大で坂を登り易く、当時の国産ガソリン車よりも高性能に見えた事でしょう。)

この動画では、リーフとの「血縁」を強調しているわけですが、たまの頃は、ご存知の通り、「エコ」で電気自動車をやっていたのではなく、ガソリンがGHQの統制下で手に入りにくかったというのが第一の理由でしたね。
その証拠に、朝鮮戦争でガソリンの統制がゆるみ、逆にバッテリーに使う鉛の値段が高騰し、たまはガソリン自動車の設計・製造・販売にアッサリと方針を切り替えました。

田中氏の発言だったかと記憶しますが、たま電気自動車の発売により、都内の料亭の営業時間が伸びたそうです。
つまり、電気自動車だと代用燃料の木炭車みたいにエンジンをかけるのに時間がかかるわけではなく、瞬時にスタート出来るので、タクシー会社も、料亭から呼ばれればすぐに向かう事が出来たからだそうです。

田中氏は日産専務、そして日デ(現UDトラックス)副社長にまで昇進。
その後、荻窪で設計するクルマの大半に役員として関わるのですが、中でも初代プレーリーは意欲作だったと自負しているようです。(開発のとりまとめは伊藤修令氏。) そう言えば、小生も初代プレーリーを見た時、「あ、これはプリンスっぽい」と直感したものです。
R30スカイラインについては、デザイナーに、「ちょっとウェッジシェイプ(くさび型)が強過ぎないか?」と意見を述べたとか。

下の写真は、第二回日本GPの際に鈴鹿で撮影されたプリンスのレース部隊幹部です。(出典サイトは、S12Silvia.com )

左から、
故・榊原雄二氏(中島飛行機出身。当時エンジン設計課長。元リズムミシン設計者で、G7エンジン、GR8エンジン、S20エンジン設計者)
増田哲三氏(中島飛行機出身。当時エンジン実験課長)
故・中川良一氏(中島飛行機出身。当時常務取締役)
田中次郎氏(立川飛行機出身。当時乗用車部長)
故・青地康雄氏(フライング・フェザーの住之江製作所から富士精密への中途入社組。当時乗用車部付)
故・桜井眞一郎氏(清水建設からたま自動車への中途入社組。当時車両設計一課長代理。車両設計一課は、グロリア担当。二課がスカイライン)



27日に、NISMOの初代社長、と言うより、ダットサン210型富士号で豪州ラリークラス優勝を果たした人というイメージが強い難波靖治氏が亡くなりました。
また一人、歴史の生き証人が惜しくも他界されたわけですが、現在96歳の田中氏には、まだまだ元気でいて頂きたいと思います。
ブログ一覧 | プリンス | 日記
Posted at 2013/11/29 01:33:13

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

ヨーロピアンサウンドコンテスト
セブンC43AMGさん

0612 0613
どどまいやさん

20250608@群馬ツアー
ao☆さん

夜が怖い
giantc2さん

公休日🎌床屋からのロピア✨
チャ太郎☆さん

本日も暑い中お疲れ様です🫠
Team XC40 絆さん

この記事へのコメント

2013年11月29日 7:23
おはようございます。

さすがに、よく勉強されてますね。

桜井眞一郎氏は清水建設から来たのですか?

清水建設で何の設計をしてたんでしょうね~?

興味深いブログ、ありがとうございます。
コメントへの返答
2013年11月29日 13:08
こんにちは☆

いや、ノーガキ垂れのノーガキですので(^o^;)

>桜井眞一郎氏は清水建設から来たのですか?
>清水建設で何の設計をしてたんでしょうね~?

はい、その経緯が、かなり面白いです。
横浜国大卒業時に、桜井氏は元々自動車メーカー就職希望だったのですが、大学の学生課から、「今後も清水建設から推薦枠をもらわなくてはならないから、面接だけでも受けて来てくれ」と頼まれ、桜井氏は不合格覚悟で、弁当と交通費をもらいに行くつもりで、面接で言いたい放題言ったところ、逆に合格してしまい、焦ったそうです。
桜井氏は、「行きたくない」と大学側に言ったところ、「今後につなぐためにも、とりあえず清水に就職してくれ。今後、自動車メーカーから募集が来たら、真っ先に君に知らせるから」と説得され、清水建設に就職したそうです。
桜井氏は機械専攻ですから、機械課に配属され、新丸ビル建築現場で、工期短縮のために、コンクリを運搬中にこねられないかと考え、日本で最初にミキサー車を設計・実用化したそうです(米国には既にあった)。
そういう功績もあり、また、建築業界自体が戦後の復興期で羽振りが良かった事もあり、給料は、2、3カ月、封を切らずに机に入れたままだった事もあるそうです。

そんな折、横浜国大から、「たま自動車が設計者を募集している」と連絡を寄越し、どうしても自動車業界に行きたい桜井氏は、清水建設の上司に相談したところ、「それがいいかも知れない。ここでは、土木科を卒業していないと役員にはなれないし、やはり進みたい道に進むべきだ。俺が推薦状を書いてやる」となり、たま自動車の面接を受けに行ったそうです。(たま・プリンスでの桜井氏の元上司だった故・日村卓也氏によれば、若い設計者が一人亡くなり、欠員が出たからだそうです。)

面接で、たまの専務で、実質的な創業者だった故・外山保氏からは、「キミ、清水建設からなんでわざわざこんな貧乏会社に?」と問われ、「どうしても自動車がやりたいからです。給料は気になりません」と答え、採用されたとの事です。
その後の経歴については、周知の通りですね。
2013年11月29日 8:00
なかなか興味深いです。
たまはレストアされた姿をあの大失敗と語り継がれる『Y150博』で見たことがありますが笑

時代の流れにあわせ柔軟に開発方針をかえてかつ良いもの作ってしまう……独自で残ってれば世界でも有数のカロッツェリアになってたんじゃないかと残念でなりません。うむぅ。
コメントへの返答
2013年11月29日 13:17
こんにちは(^o^)

「Y150博」ですかw

>時代の流れにあわせ柔軟に開発方針をかえてかつ良いもの作ってしまう……独自で残ってれば世界でも有数のカロッツェリアになってたんじゃないかと残念でなりません。

思うに、第一回日本GPでの大失敗が、プリンスという会社の本質を物語っているかと思うんです。
ああいうチャンスで、トヨタや日産の動向をキャッチしていなかったのは、あまりにも鈍感過ぎたと思います。
その後、いくら本気を出してGPで優勝しても、やはり取り返しは付かなかったように思えます。
もし第一回GPで勝っていたら、石橋氏も幻滅せずに済んだように思えます。

まず、S4グロリアのデザインについての、石橋氏と幹部連の意志疎通の欠如、その上での村山工場建設での石橋氏が感じる重荷感、トドメが第一回日本GPでの敗北で、プリンスの命運は決まったのではないかと。
2013年11月29日 19:52
グロリアのくだりは自分も聞いたことがありますが、石橋氏に見限られたら終わりの状況ですごいなぁと思いました(悪い意味でですが汗

しかし…毎回勉強になりますo(^_^)o
コメントへの返答
2013年11月29日 22:52
そこに尽きるんでしょうね。
カネを出してくれた石橋氏とは、やはりもっと意思を疎通させるべきでしたね。

また、プリンスの草創期の技術者らは、「仕方なく自動車を作っている」という意識があったはずです。(第二世代的な桜井氏らは別として。)

そういう意味では、(良くも悪くも)技術者上がりでオーナー社長だった故・本田宗一郎氏のホンダに比べると、会社としては弱かったですね。
2013年12月1日 13:10
こんにちは!

いや~GT-Bさん深いですね~
車に乗るには、その車やメーカーの歴史等を知ることにより更に思い入れが強くなりますよね。
また必然的に先人たちへの感謝の心も湧いてくるのではないでしょうか。

私はスカイラインという車には今まで縁が有りませんでしたが、若い頃ケンメリやジャパンに
憧れていた時期もありましたので、故・桜井眞一郎氏の名は知っております。
画像で見ると意外と大柄な方だったんですね。
コメントへの返答
2013年12月1日 16:08
こんにちは(^o^)

個人的に思うに、クルマに乗る事は、設計者らの思想に乗る事でもあるのかも知れません。

その意味では、確かにスカイラインは良くも悪くも「思想」のかたまりであり、好き嫌いが割とハッキリ分かれるクルマではないかと思います。

桜井氏は確かに当時としては大柄で、しかもやたらと老けて見えたそうです。
30代の時点で50代の課長に見えたと、伊藤修令氏が語っています(~o~)

プロフィール

「【生存報告】 生きております😅 http://cvw.jp/b/1949099/47817416/
何シテル?   07/02 18:35
しがない市井の会社員です。 今の車は三台目です。 その前は、(一時いまの車ともダブっていましたが)同じG7エンジンのグロリアVPA30に乗っていました。 ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

【マル恥日記】 なんたる…!!(; ・`д・´) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/07/05 13:28:30
レクサス(純正) ドライブレコーダー 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/02/01 09:41:41
クラッチペダル 遊び調整 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/01/10 13:51:18

愛車一覧

プリンス スカイライン 2000GT 恐らく世界一家庭の用事に使われるゴーヨン (プリンス スカイライン 2000GT)
※各画像は、平成30年(2018年)のレストア以前のものです。当時は非オリジナルの銀一色 ...
ダイハツ ミラ 初めて所有した軽自動車☆ (ダイハツ ミラ)
ついにS54の外装修理を決意し、先日みん友さんの協力を得て開始したわけですが、その期間の ...

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation