本日無事に退院出来ました。が今まで退院してきた中で今日が一番疲れました。
まだ脱水症状で歩くと動悸、息切れがして少しの距離しか歩けません。
よくこんな状態で退院したなと我ながら思います。
2月にこのような病気で入院しました。
腸腰筋というところに濃が溜まり発熱と痛みで苦しみました。
治療としては膿が溜まった所に穴を開けてそこにドレンチューブを入れて膿を出すという方法です。
2週間位すれば膿は出て来なくなりチューブを外しました。
この時は意外と早く退院デキると思いました。
がぁー チューブ外すとすぐに膿が溜まり発熱と痛みが襲ってきました。
それでまたチューブを入れ直しました。
一度失敗してるので今度は長くなる事を覚悟しました。
そしてまた膿が出て来なくなり今度はチューブを外さずに食事をして様子を見る事になりました。
地元の病院ではこんな食事がでました。
そして食事を初めて数日が経った頃の3月30日の早朝の事です。
私がトイレに行ってると後ろから足音が....
なんだぁ~こんな朝っぱらからと思いながらも歩いているとました。足音の主から声を掛けられました。
振り返ると弟の嫁さんでした。
父が呼吸困難になって救急車で運び込まれた!!!と言いました。
私は突然の事にどうしていいのか分からなくなりました。
トイレを済ませ部屋に戻り一人ボー然としました。
そして看護師さん呼ばれ主治医の話を弟とその嫁と私の3人で説明を受けました。
救急車で運び込まれてから自分で呼吸出来なくてとても危険な状態だと聞かされました。
その後、父の様子を見に行くと全く動かず危険な状態だと見てとれました。
また一旦部屋に戻り一人色んな事を考えました。
ついこの間まで元気に病室まで来てくれたのに....
もうどうしていいのか分からなくなりました。
そしてまた主治医に呼ばれました。
体が動いて何とか呼吸もするようになり取り合えず危険な状態から脱したと
それからまた父の様子を見に行きました。
さっきまでとは違い少しは体を動かしていました。
それでもベッドの周りは点滴だらけで体にはいっばい点滴をしていました。
次の日になると話せるまでに回復していました。
父の事だからこのまますぐに回復してもとの状態に戻る....と思ってましたがすぐにまた話せない状態になりました。
喋るまで回復したり喋れなくなったりと一進一退状態が続きました。
そんな中、食事を摂ってた私の体にも異変が....
また膿が溜まり発熱と痛みが
主治医の先生がこのままだといつまでたってもだと治る見込みがないからと手術を勧めてきました。
でもこの病気で一度手術をして腸をかなり切除してる私を手術してくれる病院は福岡大学病院しかありません。
そこでまたまた福大行きが決定しました。
今の状態の父に何と言えばいいのか....
父には主治医の先生から話をすると...
そして父に会いに行くと既に主治医が話をしてました。
父は自分の体の事よりも私の体を心配してくれてました。
そんな父に私はうん、うんとただうなずくだけで....
そして福大へと転院しました。
その2日後の早朝の事です。
連絡がありました。
父が深夜に息をひきとったと....
いつかはこんな日が来る、だけど何で今なのか、もう少し先でもいいじゃないかと思いました。
父の葬式には行けませんでした。 母の時もそうこの病気で入院してて行けませんでした。
こんな病気になって何の役にも立たない、立てない私が誰よりも早く逝くべきだな
そうすれば父もこんなに苦労せずもう少し楽に生きられただろうなと思いました。
両親共に親孝行できなかったなぁ
後悔だけが残ります。
今、父にこうやって生かしてもらってる私は本当に幸せ者だなとも感じます。
今日は入院中に起こった悲しい出来事をブログにしてみました。
それでは。。。。。
Posted at 2018/05/23 00:14:54 | |
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