皆様(^^)v
そこには、学生時代のころ夢中になった漫画『サーキットの狼』の、スーパーカーたちが歴然と輝いておりました♪
<サーキットの狼>
1973年に発生したオイルショックの影響で、日本の自動車メーカーがワークスチームでのレース活動を一斉に中止しました。
その様な状況下でノバ、トムスといった有力企業が業界の牽引役として誕生し、更にF2規定による国内トップカテゴリーレースの「全日本F2000選手権」が新設された。
悲劇もあり、鈴鹿で日本人ドライバーのなかでF1グランプリにもっとも近い男と呼ばれていた風戸 裕選手(主人公 風吹裕矢の名前由来)が亡くなられました。
そんな中、池沢先生による漫画『サーキットの狼』が、1974年12月から1979年まで週刊少年ジャンプ誌上で連載され、自動車マンガの金字塔になりました。
その後、スーパーカーブームが巻き起こり、F1マシンやシルエットフォーミュラもブーム全盛時になります。

1970年代後半に巻き起こったスーパーカーブームの立役者であると断言して間違いなく、1970年代をリアルタイムで知る世代に強い影響を与え続けています。もしも『サーキットの狼』という作品がこの世に存在しなかったとしても、現在の日本に自動車文化は存在した事でしょう。
だが、現在のそれとは随分異なるものになっていた可能性は高いと思います。
クルマの購買層ではない子どもたちが主役となった事もあり、商魂たくましい大人たちによって低年齢層への商品提供が盛んになされたこともスーパーカーブームの特徴だ。
その様な状況の中で、子どもたちが日々の生活にて使う、ありとあらゆるモノがスーパーカーグッズと化しました。
学校に持っていく筆箱、下敷き、消しゴムといった文房具類、衣類、ベルト、バッグ、腕時計、お茶碗、マグカップ、レコード、ゴミ箱といった日用品や生活雑貨までもが、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ、BMWなどで彩られたのだ。

朝から晩までスーパーカーに囲まれながら生活することになった子どもたちのスーパーカー熱はどんどん高まり、後楽園球場や晴海貿易センターを会場とした大々的な「スーパーカーショー」がたくさん開催されるまでに至りました。それと並行し、百貨店の駐車場などでも地方巡業的な小さなスーパーカーショーが盛んに行われていました。
画中に登場したスーパーカーたちには、大いに魅了されました♪
初登場時にはスペック紹介されており、興味津々で見入って比較していたのを思い出します。

主人公 風吹裕矢の愛機ロータス・ヨーロッパ!白いボディに赤いライン、公道バトルで勝利するとラインの星☆マークが増えるんですよネ。

数多く登場するスーパーカーの中で、一番魅了されたのはランボールギーニ・ミウラにイオタです♪スーパーカーブームにインスパイアされた人々によるアクティブなカーライフ、そして一大ブームを生んだ各種アイテムは、日本固有の自動車文化の副産物(遺産)として今後も注目されていくでしょう。
画中ではレース漫画の基本要素が入っているのは凄いです!
しかも、当時はモータースポーツはまだマイナーで、読者層はクルマの運転ができない子供であります。
あちこちに説明のコマがあるなど、作者の工夫と熱意には驚かされます。

華麗すぎるコーナーテクニックではスピンターン、三回転スピンターン、パワースライド、ドリフト、四輪ドリフト、ブレーキングドリフト、逆ドリフト、慣性ドリフトといったコーナリングのテクニックが披露されている。「グリップが低い昔のタイヤであれば可能かな・・・」。
将来のテクニック習得に、イメージトレーニングしていた自分がいましたネ。
幻の多角形コーナリングについては「かつてF1グランプリで活躍していた、ゲルハルト・ベルガーがやっていました」。
苦手としている低速コーナーを攻略する為、1991年に一つのタイトコーナーを幾つかに分けて考えて攻略を試みる多角形コーナリングにトライしました。
コーナーが多いハンガロリンクで、予選初日にアイルトン・セナを凌駕し、暫定ポールポジションを獲得した事がありました。
画中での数々レースにおけるゴール・シーンは、様々なドラマありました。
最初のゴール・シーンは公道レース(舞台は日光)です。
優勝は真ん中の風吹裕矢で御覧の通り逆さま、二位は右の沖田だが実は中で死んでいる、三位の早瀬佐近は故障で停止寸前、こんな強烈なゴールは中々ないですネ。

最後のゴール・シーンは、F1(ベルギーGP)です。風吹裕矢は国産の神風009、義兄の飛鳥ミノルはポルシェを駆り、同時トップでのゴ-ルで劇的な最終話でした。
池沢先生曰く、『もしも風戸 裕があのままF1に進み、彼の夢を実現させていたら......』という世界を、最後まで描ききることができました。
風戸裕といえば、1974年のあの「富士グランチャンピオン・レース」で多重事故に巻き込まれこの世を去った不屈の名レーサーでありました。
生沢徹と共に「チーム・ニッポン」を結成し、ヨーロッパF2選手権1973~74年シーズンを戦い、翌1975年シーズンよりは、ワークス・シェブロン(ヨーロッパのレーシングカー・メーカーで、特に2リッター・スポーツカーで成功した)から、ワークス・ドライバーとしてF2選手権全戦にエントリーする事になっていただけに、この死は当時大変なショックな出来事として取り上げられておりました。
『サーキットの狼』は私の人生に影響を与えバイブルとなった漫画です。
幼少期からのクルマ好きを、更に開花して頂きました。
又、様々な人間や業界にリアルタイムで影響を与えただけでなく、2022年の今もなお、クルマを愛する者たちの心に深く突き刺さっているでしょう。
「有難う御座いました」<(_ _)>
サーキットの狼よ永遠に・・・!!!
では又 by アル君(^^)/~~~
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エトセトラ | クルマ
Posted at
2022/11/27 18:04:30