今年はずいぶん暖かい3月で、まとまった雨も降り川の水も増した。
四季を通じて写真を撮り続けてみると、結局綺麗なのは流れる水なのであって、だから水量が少ない冬場は写真を撮る気にならないのだと気付く。
いつもの休憩場所から見上げると、
「切通し」
のようなものがあることに初めて気がついた。
登ってみる。
やはり切通しだ。
昔はこんな斜面が街道だったのだ。
足元に「馬頭観音」が2つあった。
「寛政十四年十一月吉日 畠新助」
もう一つには、
「文政三九月 中村波二」
とあった。
馬頭観音は、もともとはヒンドゥー教から続く仏教由来のものなのだが、写真のような馬頭観音は
道端で倒れた馬を弔うために、その場に建てられたものらしい。
もちろん仕事で使われていた馬たちだろう。
日々の仕事のパートナー。
飼い主とのつながりは、とても深かったはずだ。
そんな馬が、高齢化か不慮の事故で、出先で命が尽きてしまう。
動かすことは出来ない。
その当時のルールに従って、その場で解体されたはずだ。
どんなに辛かったろうか。
その気持ちが馬頭観音となって現在に残っているわけで、私たちはそれを見ることが出来る。
生き物と違い、ありがたいことに現代の車、そして車を取り巻く環境は、もはや車を残そうと思えば、ほぼ残せるところまできている。
でもそれは、人間の方で「その判断」をしなければいけないということでもある。
それぞれ事情があるのだから、その判断を責めようとは思わない。
ただ、たいした手入れもしてあげないまま手放す車を、茶化すような言いぐさで送り出すようなことは、して欲しくないものだ。
まだその車種に対し、愛情を持って接している人達もいるのだしな。
さて暖かくなり、さっそくバーベキュー集団が来ていた。
子供を20人くらい連れた、父兄会らしかった。
川の中に、新品コンロを浸けたままで帰っていったよ。
「今日はデビュー戦だ!頑張るぞ!
子供達もみんな楽しそうだ!
そろそろお開きみたいだな。
・・・あれ?・・・誰も僕を持って帰ってくれないのかい!?
そんな!置いていかないで!水が冷たいよ!
ねぇ!誰か!」
そんな想像を、してしまう。
今日山で拾った針金。
これにはもう何も宿っている感じがしない。
でもこのコンロはそう感じられなかった。
だから丁寧に処分した。
お疲れさまでした。
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Posted at
2019/03/13 15:53:34