福岡県糸島市にある鎮懐石八幡宮(ちんかいせきはちまんぐう)に参拝させて頂きました。
神功皇后が新羅出兵に際し、出産を鎮めるために用いた二つの石「鎮懐石」が奉祀された神社です。
鳥居をくぐり、石段を上がると目指す鎮懐石八幡宮のお社があります。
拝殿・・・
御祭神は、神功皇后(息長足姫命)・応神天皇(八幡大神)・武内宿禰(たけのうちのすくね)となっています。
『鎮懐石伝説』・・・
神功皇后は松浦の津から出航する計画で、途中、怡土(いと)の津(現在の深江)に寄港された。
ある日、皇后が浜辺に出て小浜(おばま)の磯部を歩いておられると、白い光を放ち輝く二個の石を発見された。 近づきになると普通とは思われぬ美しい石であった。
皇后はご懐妊の身で船で出征することは少なからず不安を感じておられ、何か安泰な道はないものかと、神にも祈ってあったので「これはただの石ではない、きっと神よりのお授けであろうと」とうやうやしく拾い上げて懐中にはさみ、天を仰いで感謝された。陣屋に帰って、
子負ヶ原(こぶがはら)の丘の上に御降神(ごこうしん)の儀を行い、
「願わくば、かの新羅を征してめでたく凱旋するまでは皇子の誕生なきよう御守護を垂れ給え」と
御祈願になった。
三柱(みはしら)の神が託宣された行事を行って、いよいよ皇軍の兵船を海へ出されると、不思議にも、海原に住む魚がことごとく集まって来て、船を背に乗せたのであった。そして、一陣の追い風を受けると、一気に進み、その波は新羅の国に押し上がって、国の半分の陸上にまで達したという。
この海上の船中にも、皇后は腹部に御異常を感ぜられるごとに、常に懐にさしはさんであったこの二つの
神石でお撫でになると不思議と気分が治まるので皇后はたいそう御喜びになり、絶えずこの神石をお身体から放されることはなかった。
こうして新羅より無事凱旋なさると、めでたく胎中の天皇が御降誕になった。
後の応神天皇である。皇后のご安堵と御喜びは一方ではなかった。
その後、皇后はこの神石を祈願の地、子負ヶ原丘上に納めて長く祀られたのである。その後この宮の前を行き来する者は下馬したり、ひざまづいて拝んだと万葉集にも書き残されているが、この頃からこの神石を皇子産石(みこうみいし)とも鎮懐石とも呼ぶようになったと言われている。
〜鎮懐石八幡宮 公式HPより引用〜
鎮懐石(ちんかいせき)」は、奈良時代には既に伝説として伝えられており、その伝説に感銘を受けて詠まれた山上憶良(やまのうえのおくら)の歌は、万葉集(まんようしゅう)にも記載されていて、この万葉歌を記念して江戸時代に建てられた歌碑が、鎮懐石八幡宮(ちんかいせきはちまんぐう)の万葉歌碑との事で、「九州では最も古い万葉歌碑」との事でした。
参道を上りきるとお堂があり、道の守り神の「塞神(さえのかみ)」、子宝と安産祈願の「陰陽石」が祀られていました。
他にも・・・
神功皇后の御船の艫綱(ともづな)を繋いだとされる「とも繋ぎ石」
狂歌碑
御朱印も頂きました。
---------------
お昼は・・・
ミシュランガイド掲載店の『手打蕎麦 すみくら』さんへ・・・。
注文させて頂いたのは人気の「そばセット」と「つまんでご卵」の卵を3個使った玉子焼きを・・・
蕎麦茶
蕎麦豆腐
そば粉のガレット
鴨焼き
玉子焼き
もりそば
蕎麦湯
満足度の高いオススメのお蕎麦屋さんです。
---------------
[おまけ]
田んぼの畦道にやぐらが・・・
はるか昔に大陸より伝わった穂の赤い古代米が二丈の赤米をもとに・・・
赤と緑の稲穂によって文字や図柄を描いた「田んぼアート」が・・・
“ 糸島👍いいね! ”
・・・同感です (^^)
Posted at 2017/09/10 19:10:30 |
トラックバック(0) |
神社・お寺関係