自宅近くには父親行きつけの飲み屋があった。他にも二件の喫茶店と交互にではあったが、ほぼ毎日通っていたという。大人になるとそんな場所が増えるのだろうかと羨ましくもあったし、やはり自分の知らない世界を親は知っているのだなと、いつもの姿に感心を新たにしつつも少しばかりの。
子供の頃に、五十手前くらいの少しまぶたの厚ぼったいおばさんがやっている、自宅から歩いて三分くらいの居酒屋に連れて行ってもらい、ラーメンを食べさせてもらったことは憶えている。小さめの丼で出された、特に変わったところのない醤油味のラーメンだった。
大人になってからは、多くは友人のK尾やR立と一緒に行った。その店では眞露[ジンロ]などをボトルキープして、ウーロンサワーか青リンゴサワーばかりを飲んでいた。他のアルコール類と言えば日本酒かビールしかなかったので、較べればただ単に一番安上がりだったからとあくまでもケチな理由で。店にとっても馴染みの客の息子ということでそれなりに歓迎してくれ、気心の知れた応対をいつもながらにしてくれた
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経営者らしいおばさんは主に酒を作り、小じんまりした調理場の中では小柄な男性がいつも鍋や包丁を振るっていた。短髪に白髪を生やした、いつも眠そうな目をしている頬のこけたおじさん、いやもうすぐお爺さんと呼ばれてもおかしくないくらいの外見に見えなくもない。彼らは夫婦なのだろうと勝手に思い込んでいたのだったが、さらにまた別のいつかの日、父から聞いた話では確か違うはずだとのことだった
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他にもたまに三十過ぎくらいの若い夫婦が手伝いに来ていて、そちらの体格のいい若旦那はおばさんの息子だという。どこか身体の悪そうな板前の男性は雇われの身だとか、あの年齢でああいった立場だと大変だろうななどと、他人事とはいえ、小さな冴えない居酒屋で甲斐甲斐しく働いている無口な姿にそこはかとない中年過ぎ男性の悲哀を感じながら、時々はR立と結局はなにも知らないなりに勝手な想像をし、彼のあれこれについて話をしていたことがあった。
Posted at 2016/07/12 16:49:01 | |
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