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2023年04月30日 イイね!

2010年 車中泊旅行記 (7日目・5/9)熊本〜大分

2010年 車中泊旅行記 (7日目・5/9)熊本〜大分
2010.11.8(月)

 山麓で国道57号線・豊後街道に合流、東へ進路を取る。やがて大分県入りし、田能村竹田の墓の看板を見つつ、14時50分、そして到着したのは竹田町の岡城跡である。

 ここは滝廉太郎の「荒城の月」のモデルとなった場所として有名である。


 観覧券販売所にて料金を支払うと、券ではなく一幅の巻物を手渡された。紐をほどくと表面に江戸時代に描かれたと思しき岡城の日本画が描かれていた。

 裏面には城の特徴、地形図などが書かれていた。紙製で、A4サイズを縦に二つ繋げた物であるが、その凝った作りに感心した。

 販売所の前には竹の杖が沢山用意され、城への道のりが平坦ではないことを予想させる。しかし使うまでもあるまい。順路に沿って城へと向かう。

 崖沿いの車道をしばし歩き、「史跡・岡城跡」の石碑から上り坂となった。枯れ葉を踏みしめ見事な石垣に目を奪われつつ坂を登り詰めると「是より本丸まで三五〇米」の標柱が立っていた。想像以上に巨大な城のようである。




 本丸までは平坦な道をひたすら歩く。左手に目をやると、この城の難攻さを物語る、崖下から伸びる石垣に度肝を抜かれた。








 太鼓櫓跡の石垣も見事。紅葉が彩りを添えていた。そして三の丸から二の丸へ向かうと、若き滝廉太郎が思索に耽るが如く座っている銅像がぽつねんと建っていた。




 そして本丸へ。まあとくに何があるわけでもなし。天満神社という、悪天候にはもろくも倒壊しそうな建物が目を引いたくらい。








 さて、戻るとするか。復路は中川覚左衛門屋敷跡や修復中の石垣を見に行ったり、回り道しながら。






 しかしまあ、荒城というからには自治体による管理がされておらず荒れるに任せていると思っていたが、手入れが行き届き、安心して見学出来る場所であった。建物はなくても石垣だけで非常に満足。




Posted at 2023/04/30 16:53:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010年旅行記
2023年04月30日 イイね!

2010年 車中泊旅行記 (7日目・4/9)宮崎〜熊本

2010年 車中泊旅行記 (7日目・4/9)宮崎〜熊本
2010.11.8(月)

 さて、次は国道325号線をひた走ること1時間強、熊本県の名峰・阿蘇山へ到着。




 山頂の火口付近へは車で登れるようだが、せっかくなのでロープウェーで行くことにした。






 肥後美人添乗員の流暢な解説を聞きながら数分で火口駅へ到着。


 あいにくガスがかり遠望はきかないのが残念だが、火口から湧き上がる噴煙が大迫力。まさに活きている山。

 喘息持ちは見学禁止の看板や、危険を知らせるパトライト、噴火の際に逃げ込むシェルターがそこかしこにあり、少し緊張感がある。






 噴煙は一瞬たりとも同じ形を留めない。そのためずっと眺め続けても一向に飽きない。露出した内蔵のようなグロテスクな色の岩石もまた興を添える。





 周囲から聞こえてくる韓国人観光客のハングルの会話、意味は全く分からないが、また面白い。






 一通り火口見学をし駐車場へ戻る。ロープウェー代をケチって歩いて下山。ところが駐車場までは思いのほか距離があった。サイッ。素直にロープウェイに乗るべきであった。

 ちんたら歩けば時間がもったいない。下りのロープウェーと競争するが如く、駆け足に。当然勝てるはずはないが、いくらか時間短縮出来たであろう。その分疲労困憊してしまった。

 車に戻り、山を下りながら県道111号線を北上する。この山腹の道は阿蘇パノラマラインといい、山並みとススキ原が展開する。

 まるで秋田県男鹿市の寒風山の山頂~男鹿中方面の道路を何倍も雄大にしたような景色である。






 ヘリコプター遊覧飛行乗り場があったり、放牧された無数の牛馬が一心に草を食んでいたりと、寒風山との格の違いを見せつけられた。

 この雄大な風景、モヤがなければもっと見応えあるんだろうなとモヤモヤ。いつか快晴の日に再訪したい。

Posted at 2023/04/30 06:18:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010年旅行記
2023年04月29日 イイね!

2010年 車中泊旅行記 (7日目・3/9)宮崎

2010年 車中泊旅行記 (7日目・3/9)宮崎
2010.11.8(月)

 鉄面皮の私ではあるが、神域でその方々の中ににちゃっかり紛れて入るという忍法「団体客紛れ」は畏れ多くて出来ず、一人その場に取り残された。ああ、せっかくなので中を窺いたい。

 そこでそばにいた神職の方に「中に面白いものがあるんですか?」と尋ねると「ここは観光地ではないので何もありません」とつれない回答。

 ミーハーっぷりを見透かされた気恥ずかしさを感じつつ「中に入るにはどうすればいいんですか?」と尋ねると、「社務所に行って住所と名前を記帳すれば入ることが出来ます」との回答。しかも無料とのこと。

 すかさず社務所へ行き、帳面に住所、名前等記入し待つこと15分、その間に他の希望者が来なかったため、マンツーマンで神職に案内されることになった。

 西本宮社殿の前で、先ほど聞いた同じ縁起をもう一度聞き、いよいよ柵の向こう側へ。谷を隔てた向こうに目立たぬ洞窟があり、それがいわゆる天岩戸とのこと。

 確かに単なる洞窟の入口で、別に面白いものではない。それを眺めながら「昔々、ここでアマテラスオオミカミやアメノタヂカラオが…」との流暢な解説をしていただいた。

 しかしその言葉の数々は左耳から右耳へ抜けていくばかりで脳の言語処理が追いつかない。それでも神話の舞台を見ることが出来ただけでありがたい。

 神職に礼を述べ、その足で境内を抜け、今度は天安河原(あまのやすかわら)へと行ってみた。




 右手にせせらぎを聞きつつ木漏れ日の中、そのまんま東へ(適当)、林の小径を歩く。




 やがて巨大な洞窟が大きな口を開けて待っていた。その周囲及び洞窟内には賽の河原を思わせる石積みが無数にあり、実に不気味である。




 神々が住む世界と人間界との境界のようなこの地は、天照皇大神が天の岩戸へお籠もり遊ばされた際、いかにしてお出ましいただくか会議をされた場所と伝えられている、とのこと。






 この光景は、まるで秋田県藤里町にある「銚子の滝」のスケールを数倍したような感じだ。頭上に迫る岩に妙な圧迫感を感じ、早々に立ち去った。そして天岩戸神社経由で駐車場へ帰還。


Posted at 2023/04/29 16:56:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010年旅行記
2023年04月29日 イイね!

2010年 車中泊旅行記 (7日目・2/9)宮崎

2010年 車中泊旅行記 (7日目・2/9)宮崎
2010.11.8(月)

 村のメインストリートに観光案内所を兼ねたこぢんまりとした食堂があった。中に入り観光用パンフレットの有無を尋ねると有るというので一部いただいた。


 その際、そのおばさんが水仕事の最中で、ろくに手を拭わず寄越したので、パンフレットがふやけてしまった。

 そんなことはどうでもいいとして、そのパンフに記載されていた十根川重要伝統的建造物群保存地区というところに行ってみることにした。

 国道265号線を北上し途中で脇道に入ると、山間の斜面に石垣が連なる民家群が現れた。朝日に照らされた瓦屋根の家々は、畑の緑と柿の橙で実に絵になる光景であった。








 この地区にはまた、国指定天然記念物の八村杉という巨木があるとのことで、行ってみた。十根川神社の紅い鳥居をくぐり、境内の奥に回ると、それはあった。




 幹周り13m、樹高54mということで、圧倒的な大きさであった。また他の種類の巨木もいくつかあり、見応え充分であった。


 そうこうしている間に充分時間が経過した。再び鶴富屋敷へ戻ることにしよう。そして9時ちょうど屋敷へ到着。










 入場券を購入し中に入ると、縁側沿いに伸びる廊下、そこに四つの部屋が連なっていた。


 なにか興味深い展示物があるのではと期待していたのだが、とりわけ珍しいものはなく少々期待外れであった。

 続いて向かった先は、祖母傾国定公園、高千穂町の天岩戸神社である。天孫降臨伝説の地ということで、どんなところか一度観てみたかった。

 10時30分、駐車場に車を停め、境内を散策。白と水色の装束の神職の方がほうきで落ち葉を掃いていた。




 そんな中、西本宮社殿の前でおがたまの木を見ていると、神職の方が団体さんを引き連れ、神社の縁起を解説し始めた。便乗して耳を傾ける。


 と、その御一行、立ち入り禁止のはずの社殿右手の柵から出て行くではないか。一般参拝客が入れないゾーンを観ることが出来るとはうらやましい。

Posted at 2023/04/29 05:56:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010年旅行記
2023年04月28日 イイね!

2010年 車中泊旅行記 (7日目・1/9)宮崎

2010年 車中泊旅行記 (7日目・1/9)宮崎
2010.11.8(月)

 6時45分起床。昨夜は精神的・肉体的疲労がピークに達していたせいか熟睡し、気持ち良く目覚めることが出来た。

 前夜心細く走った末に辿り着いたこの駐車場であるが、夜が明けてみると、ここは秘境ではなくただの田舎であった。川沿いには椎原平家まつりと書かれたのぼりが林立していた。


 のんびり着替えを済ませ、食料をつまみながら行動開始。爽やかな青空の下、周辺をぶらぶらしてみる。

 ここ椎葉村は、源平合戦・壇ノ浦の戦いで敗れた平家が落ち延びた地として有名である。と、そこに早速平家ゆかりの物件が現れた。

 石段を登ったところにあった厳島神社である。これは日本三景のひとつ・広島県の宮島のあの厳島神社から勧進したものということである。目に鮮やかな紅色の社殿であった。






 見物を終え石段を下りると、幹線道路のほうから賑やかな声が聞こえてきた。近づいてみると、小学生数名のあいさつの声だった。それは今まで聞いたことのない独特の節回しであった。

 どうやら通過する車両に向かって発しているようだ。そのあいさつの文句は忘れたが、上級生の一人が何やらしゃべると下級生が一斉に復唱する。

 平家落人の末裔なのかは不明だが、全員紅白帽を「紅」側にかぶり、無表情に発声している。

 その光景があまりに衝撃的だったので、動画撮影しようと思い、何気なく接近してみると、同じようにあいさつをしてくれると思いきや、念仏を唱えるかのような小声で「おはようございます」と、つぶやき声で通り過ぎ去っていった。

 よそ者に対する警戒心なのか、撮影失敗。私は決して源氏方の追討者ではないのだが、不審者扱いされたようだ。…確かに我ながら不審だ(苦笑)。

 やがてやや離れた場所から再び独特なあいさつの声が聞こえてきた。後世にこの文化を継承すべく記録しておきたかったのだが…残念。

 気を取り直し、今度は国指定重要文化財・那須家住宅(鶴富屋敷)に行ってみた。すると開館時間は9時からとのこと。


 今はまだ8時。開館まで一時間もあるのに…どうしよう。ここはパスして次へ向かうか、いや見なければ後悔するだろう。そこで開館まで村内の別の観光スポットへ向かい、時間をつぶし再訪することにした。

Posted at 2023/04/28 16:59:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2010年旅行記

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「峠での走りが楽しすぎ!奇跡のローパワー! http://cvw.jp/b/2788065/46909317/
何シテル?   04/24 20:56
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