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2020年04月08日 イイね!

2020年3月1日 京都府与謝郡与謝野町 加悦SL広場とその周辺

2020年3月1日 京都府与謝郡与謝野町 加悦SL広場とその周辺
本記事は2020年3月31日の営業を最後に、惜しまれつつも閉園となった鉄道保存展示施設「加悦(かや)SL広場」(京都府与謝郡与謝野町)の訪問記です。

「加悦SL広場」はかつて国鉄宮津線丹後山田駅(現京都丹後鉄道宮豊線与謝野駅)から分岐し、南西にある加悦駅までの5.7kmを結んでいたローカル私鉄「加悦鉄道」(1985年廃止)の車両を中心に27両の鉄道保存車両を有していた施設です。





加悦鉄道の後身である「カヤ興産」(のち「宮津海陸運輸」)が運営する同園は国の重要文化財「2号機関車」を筆頭に明治・大正期の古典蒸気機関車に古典客車、昭和初期生まれの気動車に旧国鉄の客車改造気動車などマニアックな車両を展示していました。

京阪神地区から遠く、実質車でないとアクセスできない立地であったものの、国道176号線が丹後半島方面へのメインルートであった事もあって1996年のリニューアルオープンから2000年代までは結構賑わっていました。が、2010年代に入り京都縦貫道が延伸されてくると、国道176号線の交通量は激減、向かいの道の駅「シルクのまち かや」共々苦戦を強いられるようになりました。

そして2020年3月31日、その長い歴史に終止符を打つ事となります。

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↑さて、私が加悦SL広場を初めて訪問したのは2015年の5月。平日の午前中だった事もあり、入園者は私一人だけ…貸切状態でした。

貸切状態なのをイイ事にこんな写真を撮ってみたりしたのも良き思い出(笑)。

フォトギャラリー「2015年5月27日 加悦SL広場」



↑2019年12月に閉園検討の報道があり、2020年の1月11日にほぼ5年ぶりに再訪しました。この時は主に展示車両の写真を撮りまくり。

フォトアルバム「2020年1月11日 加悦SL広場」


そして2020年3月1日、またしても再訪。この時は周辺の風景や施設なども撮ってみました。

なお、本記事では一部の車両の紹介に留めますので、その点お含みおき下さい。



↑加悦SL広場に到着。まずはアーチ橋を模したエントランスを撮影。



↑大江山をバックにアーチ橋を行く古典蒸機とマッチ箱みたいな客車、なかなか良く出来たオブジェです。



↑ここ加悦SL広場は国道176号線沿いにあり、向かいには道の駅「シルクのまち かや」があります。
ちなみにこの道路は1990年代に開通したバイパスで、旧道はここの西300mの所を通っています。



↑ここはかつて大江山鉱山があった所で、ニッケル鉱を産出していました。SL広場は加悦鉄道の終点加悦駅から延びていた専用線の終点「大江山鉱山駅」の跡地にあります。

大江山鉱山は戦時中にニッケルの産出で活況を呈したものの終戦時に休止、共に専用線も休止となりました。加悦鉄道はこの専用線の旅客線化を目論見ましたが、結局は実現しませんでした。
その後昭和50年代まで線路だけが残り、年数回程度錆取り列車が入線するだけだったそうです。




↑大江山鉱山の数少ない遺構の一つである回転乾燥炉の三本煙突。SL広場向かいの大江山運動公園内にモニュメントとして残されています。



↑煙突の下にある怪しげなコンクリートの構造物。



↑大江山鉱山は戦後の一時期に採掘が再開されたものの、すぐに休止。以後長らく放置状態が続いていましたが、1990年代に再開発が行われました。

国道176号線のバイパスが敷地内を貫くように建設され、道の駅や体育館・運動公園などの公共施設が立地しました。鉱山跡の再開発の一環として、加悦駅跡地にあった「加悦SLの広場」は1996年にこの地に移転、「加悦SL広場」としてリニューアルオープンしました。



↑SL広場の北から加悦駅跡へ伸びる大江山線の廃線跡自転車道。SL広場閉園報道の後、この地への公共交通の便が良くない為に京都丹後鉄道与謝野駅からこの道を歩いて来た猛者もいたとか。



↑野田川に架かる廃線跡自転車道の橋梁。鉄道橋っぽい雰囲気を留めています。

この地点の南側は野田川親水公園で、桜の名所でもあります。

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【出典:国土地理院】

↑例によってここで航空写真を。上は1975年撮影のものでR176現道は影も形もなく、後に加悦SL広場となる辺りには大きなホッパーのような構造物が確認できます。そしてその東側には前述の三本煙突も。

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【出典:グーグルマップ】

↑こちらは現在の航空写真。鉱山跡を国道が貫通し、その周囲に道の駅や運動公園・体育館など公共施設が立地しています。鉱山駅手前の大江山線のS字カーブも健在です。



↑さてSL広場に話を戻します。同園には売店やカフェ・レストランが併設されていました。上の画像は「カフェトレイン蒸気屋」跡。元東急サハ3104で、加悦鉄道では客車として使用されていました。「加悦SLの広場」時代は休憩用スペースとして使用、1996年の移転の際に魔改造され以後レストランとして使用されました。

2018年9月25日に「カフェトレイン蒸気屋」は閉店となり、以後放置に近い状態となっています。



↑サハ3104と連結された元南海モハ1203。晩年を貴志川線(現和歌山電鐵貴志川線)で過ごした後、展示用としてここにやってきました。

南海1200系電車の最後の生き残りですが、見ての通り、かなり状態は良くないです。



↑こちらは「ショップ蒸気屋」。土産物・グッズ・軽食類を販売していた売店です。前述の「カフェトレイン蒸気屋」の後を追うかのごとく、2018年12月に閉店しました。

さらにそれから半年後の2019年6月にはSL広場そのものが週休3日となり…そして2020年3月末での閉園へ。施設内のこれらの店舗が店を畳んだ時点で加悦SL広場の命運は決していたと言えるでしょう。



↑その「ショップ蒸気屋」の裏に鎮座するキハ08 3。国鉄の鋼体化客車オハ62を気動車化した車両で国鉄時代は北海道で使用されていました。重い車体と非力なエンジンの組み合わせの為、評判は芳しくなかったそうです。

加悦鉄道には1974(昭和49)年に入線、末期の主力車両として活躍しました。



↑キハ08が履くDT22A形台車は気動車化改造時に新製したモノで、北海道のメーカーである札幌泰和車両の銘板が付いています。

それにしても台枠の腐食がかなり進行していますね…(^_^;)



↑判りにくいのでドアップで。これでもなお判りにくいですが…(^_^;)



↑加悦SL広場では「ショップ蒸気屋」の喫食スペースとして開放されていましたが、2018年12月に同店が閉店してからは車内の見学が出来なくなっています。

そして見ての通り、かなり状態が悪いです。国鉄の客車改造気動車の最後の生き残りだけにこの現状はとても残念であります。



↑こちらはキハ08と共に末期の加悦鉄道の主力車両だったキハ10 18。元国鉄キハ10形気動車で加悦鉄道には1980年に入線しました。キハ08と同じくかなり劣化が進み車内立ち入り不可となっています。



↑ここSL広場では座席を全撤去してプリクラやゲーム機を設置、アミューズメントコーナーとして使用されていたようです。そしてその姿を隠すかの如く樹木が成長し、まさに「日陰の存在」ならぬ「木陰の存在」となっていました。



↑南海モハ1203と東急サハ3104、そしてキハ10とキハ08…加悦SL広場の現実を如実に物語る車両と言えるでしょう。



↑そして加悦SL広場の厳しい現実を物語る存在がこちらにも。元国鉄の蒸気機関車C57 189(右)とC58 390(左)です。この2両は国道に架かる歩道橋から見える目立つ場所に鎮座していますが、かなり傷んだ状態です。

旧加悦町が国鉄から展示用として借り受けた機関車で、当時営業中だった加悦鉄道の線路を通って加悦駅にあった「加悦SLの広場」に搬入されました。



↑C57には何と苔が生えていました。



↑一方で加悦鉄道由来の車両はその多くが文化財となっており、比較的良好な状態を保っています。

2号機関車・木造客車ハ4995(手前)と1261号機関車・木造客車ハブ3(奥)の並び。2号機関車とハ4995は屋根の下にて保存され、別格の存在である事を物語っています。



↑黒塗りのボディに青と赤の等級帯が良いアクセントとなっている大正時代の木造客車ハ10。



↑ハ10の三等客室。シートには背もたれがなく、つり革が並びます。



↑こちらは二等客室。吊り革がなく、シートには背もたれがあります。そして三等のシートに比べ、かなり厚みがあります。

明治・大正時代の古典客車の車内に入れるというのが、ここの売りの一つです。



↑加悦鉄道キハ101。加悦鉄道の創業10周年を記念して新製されたガソリンカーで、戦時中は木炭を燃料にしていた事もあります。戦後にディーゼルエンジンに換装されました。

動態保存車で年2回開催されていたイベントにて展示運転を行っていた車両です。



↑キハ101のサイドビュー。前後にカゴのような荷台を備えているのが面白いです。

このキハ101、ここ大江山鉱山駅には縁の深い車両です。戦時中は鉱山の作業員や学徒動員の生徒達を満載して大江山線を行き来し、戦後も前述の錆取り運用にこの車両が充当される事が多かったそうです。

そしてSL広場の営業最終日の2020年3月31日の17時00分、このキハ101の警笛吹鳴を以って閉園となりました。



↑このキハ101の足回りに注目。片側だけにボギー台車を履いた三軸車でこの車両の特徴の一つ。



↑キハ101の傍らに佇む可搬式軽油給油機。

余談ですがこの給油機が個人的にツボだったので(笑)、みんカラでのプロフィール画像にしました。



↑車両のみならずこういう脇役的アイテムがさり気なく展示してあるのもこの施設の魅力です。



↑旧加悦駅の「加悦SLの広場」から移設されたターンテーブル(転車台)。面白い事に4線軌条となっています。

実物の車両がこの上に載るのは勿論の事…、



↑こんな感じでミニSLが転車台の上を通過します。

ここは童心に帰ってコレに乗ってみようかと思いましたが、止めました(苦笑)。

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【出典:グーグルマップ】

↑ちなみに、もともとこのターンテーブルがあった所は与謝野町加悦庁舎内の円形の中庭となっています。



↑SL広場の片隅に転がる謎の台車。



↑モーターが架装されてあり、電車用と判ります。

これは駐車場に展示されていた南海1200系電車のモノだそうで。



↑これまたさりげなく置いてあるトロッコ。



↑梅の木の傍らに佇むディーゼル機関車DB201。1953年に森製作所にて蒸気機関車の足回りを利用して製造された小型ディーゼル機関車です。

森製作所製機関車の最後の生き残りで、「森ブタ」の愛称にて親しまれているそう。

背後に見えるキハ101と同じく動態保存車で、閉園直前の3月29日のイベントにて運行されました。



↑DB201の傍らにて咲き誇る梅の花。



↑向きを変えると梅の木の先にはキハ08が。

梅の花と絡めて撮影出来るのはこれが最後です…。

閉園間際という事で多くの入園客がありましたが、各人それぞれのスタイルで展示車両と向き合っていました。



↑帰り際にまたエントランスのオブジェを撮影。何だか遠い記憶の彼方へ走り去って行くかのようです。

ここの車両たちの今後については現時点では全く情報がない状態ですが、加悦SL広場にいた車両たちに何処かで再会出来る事を願うばかりです。
Posted at 2020/04/08 02:48:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鉄道保存車両巡り | 旅行/地域
2017年08月18日 イイね!

2017年8月6日 岡山県久米郡美咲町 柵原ふれあい鉱山公園 片上鉄道展示運転(後編)

2017年8月6日 岡山県久米郡美咲町 柵原ふれあい鉱山公園 片上鉄道展示運転(後編)下記リンクの記事の続きです。

2017年8月6日 岡山県久米郡美咲町 柵原ふれあい鉱山公園 片上鉄道展示運転(前編)



↑吉ヶ原駅3番線に佇む2両の客車、今回はこの2両の客車の車内見学を行いました。

奥が「ホハフ3002」(元国鉄オハ35)、手前が「ホハフ2004」で一応共に動態保存車という事になっていますが、最近は展示運転での出番がほとんどないようです。

車内への立ち入りは可能との事ですので、今回はこの2両の客車を怪しく(?)見学してみる事にします。




↑まずは「ホハフ2004」から。

1950(昭和25)年に片上鉄道の自社発注により製造されたオリジナルの客車です。

サイドから見ると国鉄の旧型客車によく似ていますが、車体長は17mと国鉄の客車(20m)より短めです。

片上鉄道の客車はブルーに白帯2本を纏ったカラーに塗装され、人気を博していました。



↑ホハフ2004の妻面。国鉄の貨物列車に連結されていた車掌車のようなオープンデッキが特徴です。



↑ホハフ2004のデッキ。

早速車内に入ってみます。



↑車内は淡い白緑色で塗装され、明るい感じがします。



↑客室の端部はロングシートになっていて、吊革も装備。

シートはかなりくたびれていて、スプリングの輪郭が浮き出ています。



↑客室の隅には車掌室があります。



↑シートのみならず、内装も至る所がかなりくたびれています。

最近、展示運転の運用に入らないのもなんとなく納得です。



↑客室の中央部はクロスシートになっています。背もたれにはモケットはなく、木製です。



↑前述の通り自社発注の車ですが、なぜかJNR(国鉄)ロゴマーク入りの灰皿が付いています。



↑照明は昔懐かし白熱灯。

これが点灯するトコロを見てみたいものです。



↑寒色系のカラーリングでまとめられたホハフ2004の車内。

動くこの客車に乗ってみたいものですが、この現状だと難しそうです。



↑で、動画を撮ってみました。お時間のある方は宜しければどうぞ。



↑ホハフ2004(右)とホハフ3002(左)の連結部。



↑こちらは連結器。客車・貨車で使われている自動連結器を備えていて、発車時の衝撃が大きいのが特徴です。



↑次に「ホハフ3002」を見てみます。

元国鉄オハ35形客車で、この個体は1947(昭和22)年に日本車両にて製造されました。今年でちょうど車齢70歳となります。

片上鉄道には1981(昭和56)年に入線、トイレ・洗面所の撤去及び車掌室の新設等の改造を受けています。そしてホハフ2004と同じくブルーに白帯2本の「片鉄ブルトレ色」に塗装されていましたが、廃止後国鉄時代のぶどう色に塗り替えられました。



↑車内に入ってみます。

木目ニス塗りの内装で、アンティークな雰囲気満点の車内です。



↑照明は白熱灯ではなくサークライン形蛍光灯。そして天井にはJNRロゴ入りの扇風機が付いています。

天井は各部がヒビ割れてかなりくたびれた感じです。



↑網棚の上には荷造りされたダンボール箱が。

これは忘れ物ではなく、この客車の小道具の一つと思われます。



↑裏返っていますが昔懐かしアイテムの一つ、「鉄道荷札」が付いています。

宅配便が登場する以前は鉄道荷物か郵便小包が主流で、鉄道荷物で送る場合は「鉄道荷札」を付ける必要がありました。



↑リアル「銀河鉄道999」という感じのクロスシート。



↑シート脇にも懐かしアイテムが装備されています。



↑瓶入り飲料用の「栓抜き」付きサイドテーブル(上)とJNR(国鉄)ロゴ入り灰皿(下)です。



↑国鉄在籍時は座席指定の列車に使用される事もあったので、座席番号プレートが付いています。



↑これまた昔懐かしアイテムの一つ、扇風機のスイッチです。

車内の扇風機の操作はセルフでした。



↑旧型客車の窓際のシートに座り、開け放たれた窓から吹き込む天然の風を肌で感じる・・・・私にとっては「究極の贅沢」であります。



↑ホハフ3002車掌室。国鉄時代はこのスペースにトイレと洗面所がありました。



↑ホハフ2004と同じく各部がかなり傷んでいますが、やはり旧型客車は良いモノです。



↑ホハフ3002でも動画を撮ってみました。



↑吉ヶ原駅に鎮座する2両の客車。再び展示運転に登板する事を願って止まないものであります。



↑展示運転線を行くキハ702。

ここに来るたび、いつも思うのですが、この展示運転線って模型店にある鉄道模型の試走線みたいです。



↑この日は台風接近の為、時間が経つと風が強くなってきました。

風が吹き抜ける夏の緑の稲田、なかなか風情があります。




また来たいものですと、思いつつ吉ヶ原駅を後に。

今回は実り多い吉ケ原訪問でした。
Posted at 2017/08/18 00:05:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | 鉄道保存車両巡り | 趣味
2017年08月14日 イイね!

2017年8月6日 岡山県久米郡美咲町 柵原ふれあい鉱山公園 片上鉄道展示運転(前編)

2017年8月6日 岡山県久米郡美咲町 柵原ふれあい鉱山公園 片上鉄道展示運転(前編)今回は鉄道保存車両巡りです。

旧アカウント時代に何度か訪問、そして記事にしていますが、去る8月6日に岡山県久米郡美咲町の「柵原(やなはら)ふれあい鉱山公園」にて催された片上鉄道(1991年廃止)保存車両の展示運転に行ってきました。

撮った写真の数が多すぎる(苦笑)為、前・後編と2回に分けての投稿となります。



↑片上鉄道吉ヶ原駅舎。

「柵原ふれあい鉱山公園」は片上鉄道の吉ヶ原駅跡を整備した所で、片上鉄道保存会による展示運転(毎月第一日曜日開催)の会場になっています。



↑「柵原ふれあい鉱山公園」駐車場にて。今回は吉ヶ原駅前の駐車場に僅かながら空きがありましたので、すかさずそこに。

両脇の車に合わせて停めたらこんな停め方になってしましました(苦笑)。



↑炎天下の吉ヶ原駅前にはこんなバスが。



片上鉄道保存会のサイトによると、このバスは中鉄北部バス所属の1988(昭和63)年製日野レインボーRJだそうです。

今回はここ柵原ふれあい鉱山公園と津山まなびの鉄道館を連絡するレトロリレーバスの運用に就いていました。



1988(昭和63)年生まれの29歳。近年は予備車となっていましたが、今年中の退役が決まっているそうです。



↑吉ヶ原駅前のレインボーRJ。



↑こうして見ると昭和末期~平成初頭の風景みたいです。

この後、津山へ向けて走り去っていきました。



↑今回の展示運転の車両は1936(昭和11)年製造の流線形気動車、キハ702(元国鉄キハ07)でした。

吉ヶ原駅11時55分発の便(午前中の最終便)に乗車します。



↑キハ702の運転席。脇のブレーキハンドルが良い感じです。



↑戦前生まれのオールドタイマーであるこのキハ702には冷房なぞ付いておりませんが、全開の窓からは心地よい自然の風が吹き込み、天井では扇風機がぶんぶんと回り、なかなか快適な車内です。

この便は乗客も疎ら(10人位)で、結構まったりとした雰囲気でした。



↑車窓から吹き込んでくるやや強めの自然の風を堪能しつつ、キハ702は300m西の「黄福柵原(こうふくやなはら)」駅に到着。

折り返しの便は1時間後の発車なので、徒歩で吉ヶ原駅に戻りました。



↑吉ヶ原駅西方の踏切から撮った吉ヶ原駅構内。



↑今回の目的の一つ、「柵原鉱山資料館」へ。

ここ鉱山公園には何度も来ていますが、この資料館は何故か未訪問でした。

館内撮影禁止でしたので画像はないですが、これまた懐かしいモノたくさんの資料館でした。



↑線路沿いの遊歩道を通って黄福柵原駅に戻ります。

夏空の下の線路って風情があって良いものです。



↑黄福柵原駅に戻ってきました。



↑夏空の下に佇むキハ702。

この車両が生まれた1930年代、鉄道車両では世界的に流線形が流行していた時代でした。



↑床下ではエンジンがアイドリング音を奏でていました。



↑軽快な感じがする台車とスポーク車輪。



↑黄福柵原駅の北側には古(いにしえ)の鉱山住宅と思しき集合住宅があります。どことなく「廃」な雰囲気も漂っています。



↑人影疎らなお昼の黄福柵原駅。



↑発車15分くらい前のキハ702車内。

この時点ではほぼ貸切状態です。

この日は台風接近中という事もあり、風がやや強め。開け放たれた窓から勢い良く吹き込んできます。



キハ702の車内でしばらくボケーっと・・・私にとっては正に「至福のひととき」。

この後13時発の吉ヶ原駅行きとして出発しましたが、乗客は10数人しかいませんでした。



↑吉ヶ原駅にて。

夏休み期間中の割には人は少なめで、何だか肩透かしを喰らった感じでした。



↑ここで動画です。この日のキハ702を撮った動画を一本にまとめてみました。
台風接近による風の音が少々喧しいですが(汗)

夏空の下、車窓から吹き込む天然の風を浴びてのプチ乗り鉄はとても懐かしく楽しいものでした。

・・・というわけで続きます。
Posted at 2017/08/14 22:25:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | 鉄道保存車両巡り | 趣味
2017年07月07日 イイね!

2015年2月18日・4月4日 奈良県五條市 五條市史跡公園 国鉄78675

2015年2月18日・4月4日 奈良県五條市 五條市史跡公園 国鉄78675旧アカウント「とりつきい」で投稿したブログ記事のアーカイブです。

ブログのカテゴリーの一つに「鉄道保存車両巡り」という項目がありましたが、本記事はその第一弾となります。

なお取材時期が古いので、今は何らかの変化が生じている可能性がある事を予めお含みおき下さい。



↑2015年の2月18日、奈良県五條市の「五條市史跡公園」にやってきました。

快晴でしたが、寒い一日でした。



ここは代官所の跡地だったりします。



↑この公園には「ハチロク」の愛称で親しまれた、旧国鉄の8620形蒸気機関車が静態保存されています。



↑説明板によるとこの個体「78675」は1925(大正14)年に製造され、姫新線・芸備線、そして地元である和歌山線で運用されたそうです。



さてこの8620形は付番が実にややこしい事でも知られています。1号機は「8620」、80号機が「8699」となりますが、99号機を「8700」とすると既に存在した8700形と重複する為、万の位に1を付けて「18620」としたそうです。

その後も同様に下2桁を20から始め、99に達すると次は万位の数字を1繰り上げて再び下2桁を20から始め…という付番法としました。よって80番目ごとに万位の数字が繰り上がり、160番目が18699、161番目が28620、…となります。

ちなみにナンバーと製造番号を対応させる公式があるそうで

万の位の数字×80+(下二桁の数字-20)+1=製造順

となります。

この個体の場合は「78675」で、7×80+(75-20)+1=616、つまり616号機となります。

鉄道院(国鉄の前身)の中の人も、まさかここまで大量に生産されるとは思っていなかったのでしょう。



↑それはさておき、冬枯れの寂しい公園に「78675」はひっそりと佇んでいました。

全体的に状態は良さげで、手入れが行き届いている感じがします。



↑帰り際に機関車の脇で記念撮影を。

この8620形、元々は旅客列車用に造られましたが、小回りが効いて色々な用途に使える使い勝手の良かった機関車だそうです。その点ではパイザーに通じる所があります。



↑その年の4月4日、再びここ史跡公園にやってきました。



↑目的はこの桜でした。

あいにくの空模様、そして葉桜化した木もチラホラと見られましたが(汗)



↑「78675」も相変わらずでした。



この年は桜の開花が早く、4月4日の時点で満開のピークを過ぎていました。





機関車と桜の組み合わせって、イイものですね(^^)



↑全体的に状態の良さげな五條の8620ですが、テンダー(炭水車)のナンバープレートとテールライトのレンズは欠品になっています。



とりあえず所期の目的である機関車と桜の組み合わせが撮れたので、良しとしました(笑)。

今後、少しずつ過去記事の再編集・投稿を進めていきます。
Posted at 2017/07/07 17:07:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道保存車両巡り | 趣味

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何シテル?   12/11 13:27
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