本記事は2020年3月31日の営業を最後に、惜しまれつつも閉園となった鉄道保存展示施設「
加悦(かや)SL広場」(京都府与謝郡与謝野町)の訪問記です。
「加悦SL広場」はかつて国鉄宮津線丹後山田駅(現京都丹後鉄道宮豊線与謝野駅)から分岐し、南西にある加悦駅までの5.7kmを結んでいたローカル私鉄「
加悦鉄道」(1985年廃止)の車両を中心に27両の鉄道保存車両を有していた施設です。
加悦鉄道の後身である「カヤ興産」(のち「宮津海陸運輸」)が運営する同園は国の重要文化財「2号機関車」を筆頭に明治・大正期の古典蒸気機関車に古典客車、昭和初期生まれの気動車に旧国鉄の客車改造気動車などマニアックな車両を展示していました。
京阪神地区から遠く、実質車でないとアクセスできない立地であったものの、国道176号線が丹後半島方面へのメインルートであった事もあって1996年のリニューアルオープンから2000年代までは結構賑わっていました。が、2010年代に入り京都縦貫道が延伸されてくると、国道176号線の交通量は激減、向かいの道の駅「シルクのまち かや」共々苦戦を強いられるようになりました。
そして2020年3月31日、その長い歴史に終止符を打つ事となります。
そして2020年3月1日、またしても再訪。この時は周辺の風景や施設なども撮ってみました。
なお、本記事では一部の車両の紹介に留めますので、その点お含みおき下さい。
↑加悦SL広場に到着。まずはアーチ橋を模したエントランスを撮影。
↑大江山をバックにアーチ橋を行く古典蒸機とマッチ箱みたいな客車、なかなか良く出来たオブジェです。
↑ここ加悦SL広場は国道176号線沿いにあり、向かいには道の駅「シルクのまち かや」があります。
ちなみにこの道路は1990年代に開通したバイパスで、旧道はここの西300mの所を通っています。
↑ここはかつて大江山鉱山があった所で、ニッケル鉱を産出していました。SL広場は加悦鉄道の終点加悦駅から延びていた専用線の終点「大江山鉱山駅」の跡地にあります。
大江山鉱山は戦時中にニッケルの産出で活況を呈したものの終戦時に休止、共に専用線も休止となりました。加悦鉄道はこの専用線の旅客線化を目論見ましたが、結局は実現しませんでした。
その後昭和50年代まで線路だけが残り、年数回程度錆取り列車が入線するだけだったそうです。
↑大江山鉱山の数少ない遺構の一つである回転乾燥炉の三本煙突。SL広場向かいの大江山運動公園内にモニュメントとして残されています。
↑煙突の下にある怪しげなコンクリートの構造物。
↑大江山鉱山は戦後の一時期に採掘が再開されたものの、すぐに休止。以後長らく放置状態が続いていましたが、1990年代に再開発が行われました。
国道176号線のバイパスが敷地内を貫くように建設され、道の駅や体育館・運動公園などの公共施設が立地しました。鉱山跡の再開発の一環として、加悦駅跡地にあった「加悦SLの広場」は1996年にこの地に移転、「加悦SL広場」としてリニューアルオープンしました。
↑SL広場の北から加悦駅跡へ伸びる大江山線の廃線跡自転車道。SL広場閉園報道の後、この地への公共交通の便が良くない為に京都丹後鉄道与謝野駅からこの道を歩いて来た猛者もいたとか。
↑野田川に架かる廃線跡自転車道の橋梁。鉄道橋っぽい雰囲気を留めています。
この地点の南側は野田川親水公園で、桜の名所でもあります。
【出典:国土地理院】
↑例によってここで航空写真を。上は1975年撮影のものでR176現道は影も形もなく、後に加悦SL広場となる辺りには大きなホッパーのような構造物が確認できます。そしてその東側には前述の三本煙突も。
【出典:グーグルマップ】
↑こちらは現在の航空写真。鉱山跡を国道が貫通し、その周囲に道の駅や運動公園・体育館など公共施設が立地しています。鉱山駅手前の大江山線のS字カーブも健在です。
↑さてSL広場に話を戻します。同園には売店やカフェ・レストランが併設されていました。上の画像は「カフェトレイン蒸気屋」跡。元東急サハ3104で、加悦鉄道では客車として使用されていました。「加悦SLの広場」時代は休憩用スペースとして使用、1996年の移転の際に魔改造され以後レストランとして使用されました。
2018年9月25日に「カフェトレイン蒸気屋」は閉店となり、以後放置に近い状態となっています。
↑サハ3104と連結された元南海モハ1203。晩年を貴志川線(現和歌山電鐵貴志川線)で過ごした後、展示用としてここにやってきました。
南海1200系電車の最後の生き残りですが、見ての通り、かなり状態は良くないです。
↑こちらは「ショップ蒸気屋」。土産物・グッズ・軽食類を販売していた売店です。前述の「カフェトレイン蒸気屋」の後を追うかのごとく、2018年12月に閉店しました。
さらにそれから半年後の2019年6月にはSL広場そのものが週休3日となり…そして2020年3月末での閉園へ。施設内のこれらの店舗が店を畳んだ時点で加悦SL広場の命運は決していたと言えるでしょう。
↑その「ショップ蒸気屋」の裏に鎮座するキハ08 3。国鉄の鋼体化客車オハ62を気動車化した車両で国鉄時代は北海道で使用されていました。重い車体と非力なエンジンの組み合わせの為、評判は芳しくなかったそうです。
加悦鉄道には1974(昭和49)年に入線、末期の主力車両として活躍しました。
↑キハ08が履くDT22A形台車は気動車化改造時に新製したモノで、北海道のメーカーである札幌泰和車両の銘板が付いています。
それにしても台枠の腐食がかなり進行していますね…(^_^;)
↑判りにくいのでドアップで。これでもなお判りにくいですが…(^_^;)
↑加悦SL広場では「ショップ蒸気屋」の喫食スペースとして開放されていましたが、2018年12月に同店が閉店してからは車内の見学が出来なくなっています。
そして見ての通り、かなり状態が悪いです。国鉄の客車改造気動車の最後の生き残りだけにこの現状はとても残念であります。
↑こちらはキハ08と共に末期の加悦鉄道の主力車両だったキハ10 18。元国鉄キハ10形気動車で加悦鉄道には1980年に入線しました。キハ08と同じくかなり劣化が進み車内立ち入り不可となっています。
↑ここSL広場では座席を全撤去してプリクラやゲーム機を設置、アミューズメントコーナーとして使用されていたようです。そしてその姿を隠すかの如く樹木が成長し、まさに「日陰の存在」ならぬ「木陰の存在」となっていました。
↑南海モハ1203と東急サハ3104、そしてキハ10とキハ08…加悦SL広場の現実を如実に物語る車両と言えるでしょう。
↑そして加悦SL広場の厳しい現実を物語る存在がこちらにも。元国鉄の蒸気機関車C57 189(右)とC58 390(左)です。この2両は国道に架かる歩道橋から見える目立つ場所に鎮座していますが、かなり傷んだ状態です。
旧加悦町が国鉄から展示用として借り受けた機関車で、当時営業中だった加悦鉄道の線路を通って加悦駅にあった「加悦SLの広場」に搬入されました。
↑C57には何と苔が生えていました。
↑一方で加悦鉄道由来の車両はその多くが文化財となっており、比較的良好な状態を保っています。
2号機関車・木造客車ハ4995(手前)と1261号機関車・木造客車ハブ3(奥)の並び。2号機関車とハ4995は屋根の下にて保存され、別格の存在である事を物語っています。
↑黒塗りのボディに青と赤の等級帯が良いアクセントとなっている大正時代の木造客車ハ10。
↑ハ10の三等客室。シートには背もたれがなく、つり革が並びます。
↑こちらは二等客室。吊り革がなく、シートには背もたれがあります。そして三等のシートに比べ、かなり厚みがあります。
明治・大正時代の古典客車の車内に入れるというのが、ここの売りの一つです。
↑加悦鉄道キハ101。加悦鉄道の創業10周年を記念して新製されたガソリンカーで、戦時中は木炭を燃料にしていた事もあります。戦後にディーゼルエンジンに換装されました。
動態保存車で年2回開催されていたイベントにて展示運転を行っていた車両です。
↑キハ101のサイドビュー。前後にカゴのような荷台を備えているのが面白いです。
このキハ101、ここ大江山鉱山駅には縁の深い車両です。戦時中は鉱山の作業員や学徒動員の生徒達を満載して大江山線を行き来し、戦後も前述の錆取り運用にこの車両が充当される事が多かったそうです。
そしてSL広場の営業最終日の2020年3月31日の17時00分、このキハ101の警笛吹鳴を以って閉園となりました。
↑このキハ101の足回りに注目。片側だけにボギー台車を履いた三軸車でこの車両の特徴の一つ。
↑キハ101の傍らに佇む可搬式軽油給油機。
余談ですがこの給油機が個人的にツボだったので(笑)、みんカラでのプロフィール画像にしました。
↑車両のみならずこういう脇役的アイテムがさり気なく展示してあるのもこの施設の魅力です。
↑旧加悦駅の「加悦SLの広場」から移設されたターンテーブル(転車台)。面白い事に4線軌条となっています。
実物の車両がこの上に載るのは勿論の事…、
↑こんな感じでミニSLが転車台の上を通過します。
ここは童心に帰ってコレに乗ってみようかと思いましたが、止めました(苦笑)。
【出典:グーグルマップ】
↑ちなみに、もともとこのターンテーブルがあった所は与謝野町加悦庁舎内の円形の中庭となっています。
↑SL広場の片隅に転がる謎の台車。
↑モーターが架装されてあり、電車用と判ります。
これは駐車場に展示されていた南海1200系電車のモノだそうで。
↑これまたさりげなく置いてあるトロッコ。
↑梅の木の傍らに佇むディーゼル機関車DB201。1953年に森製作所にて蒸気機関車の足回りを利用して製造された小型ディーゼル機関車です。
森製作所製機関車の最後の生き残りで、「森ブタ」の愛称にて親しまれているそう。
背後に見えるキハ101と同じく動態保存車で、閉園直前の3月29日のイベントにて運行されました。
↑DB201の傍らにて咲き誇る梅の花。
↑向きを変えると梅の木の先にはキハ08が。
梅の花と絡めて撮影出来るのはこれが最後です…。
閉園間際という事で多くの入園客がありましたが、各人それぞれのスタイルで展示車両と向き合っていました。
↑帰り際にまたエントランスのオブジェを撮影。何だか遠い記憶の彼方へ走り去って行くかのようです。
ここの車両たちの今後については現時点では全く情報がない状態ですが、加悦SL広場にいた車両たちに何処かで再会出来る事を願うばかりです。