2011年10月31日
命って
彼と出会ったのは二十歳の頃、大学時代の友人が連れて行ってくれたバイク屋さんです。
彼は自動車短大を卒業後、家業のバイク屋を継ぐべく兵庫県のバイク屋さんに修行に行っていた時代、広島に帰省してた時でした。
バイク屋さんの親父さん同様に無口で頑固そうな彼でした。
彼が広島に帰ってくる前からちょくちょくバイク屋さんには行ってました。
私が就職してからは非番、休みの日は朝から店を閉めるまでほぼ毎日、バイク屋さんに入りびたりで
お店の手伝いをしていました。
いろんな事を教えてもらい、自分のバイクは自分で少しは弄れるようになりました。
就職して借金して初めて買ったのが、新車のVT250でした。
お陰で結構自分好みに弄ることができました。
その当時、店を継いでいた彼が店を閉める頃に「今晩も行くか」とちょくちょく誘われるようになりました。
結婚前のお互いの独身時代、夜な夜な二人で、ある峠をバトルしに出かけてました。
そのある日の帰り道、彼は彼女に会いに行くため、いつもと違う道を帰ってた所
交差点で車との大事故に巻き込まれました。
後日、バイク屋さんに戻ってきていた彼のバイクを見る限り、死んでいても不思議でないくらいに
彼のドゥカティはグチャグチャになっていしまた。
当時、走りに行く時は彼も私も皮ツナギを着ていました。
彼もまた当時有名なブランドで一着10万円以上する立派な皮ツナギを着ていたため、あれだけの
大事故なのに何とか一命を取り留めました。
血まみれになった彼のツナギ、最初は捨てようと言っていたみたいですが、
私が彼に「修理はできるの」と、聞くと「そりゃ、直すことできるけど、あんな事故にあった血もぐれのツナギなんか誰が着るんや~」と言ったので、私はすぐに「何言っとるんや~、おまえの命が助かった立派なツナギやないか。捨てるんなら、わしに譲ってくれ」と言い、格安で譲ってもらいました。
今でも家のタンスに吊るしてあります。今では着る事もなく、時々タンスから出してまだ、着れると
自己満足してます。彼は太りすぎて着る事はとうの昔にできなくなりましたがね。
そんな、やんちゃな二十代前半でしたが、彼も彼女と結婚しました。
私も二ヶ月遅れて結婚しました。十ヵ月後、彼に長男が誕生しました。
私も十ヵ月後、長男が誕生しました。その後、彼に長女が誕生、私も長女が誕生しました。
ついで、私に次女が誕生、その後、彼にも次女が誕生しました。
お互い同級生で、一男二女のお父さんになりました。
三十代の前半、事情により一年前に買ったばかりのGPZ900Rを手放さなくてはならなくなった時、
「ここでバイクをやめたらもう二度と乗ることが出来なくなる」と彼から言われ、80CCのかわいい
オフロードバイクとなり、博多、東京とこのバイクで楽しませていただきました。
東京から広島に帰ることがほぼ決まっていた二月のことでした。
彼から電話があり「250CCの走行1000kmのいいバイクがあるがいらんか」と言われ
「絶対に6月に広島に帰るけー、そのバイク鎖付けて、誰にも売るな」と言って電話を切りました。
本当に鎖は付けてはいませんでしたが、バイクは店にしっかり置いてありました。
「おまえが買うゆーたけーおいといてやったで、何人が売ってくれーゆうてきたかわからん。おまえじゃけーのけといてやったんじゃけーの」と言われもの凄く嬉しかったです。
そして、広島に帰ってから三年が経とうとしていた時、奥様からビックバイク復活のお許しが出ました。
即座に電話して「○○万円でバイク探してくれ。国産、外車なんでもいいから」と言ったところ
後日、見つかったと電話してくれました。
七年落ちの平成9年登録のBMW1100Rです。両サイドのパニヤケースとミニカウル付きです。
お医者様が乗っていたらしく走行距離も7000kmの超美品です。
「ほんまにええんか、この値段で」と言うと、「おまえじゃけーしょうがないのー、おまえら兄弟はもうけさせてくれんけー」と言ってくれました。昔から私達兄弟はお世話になっていました。
楽しい、BMWライフも三年が過ぎた頃、彼からまた突然の電話がありました。
「おー、おまえのBMW売れー欲しいやつがおるんじゃー、ほんで、おまえは平成15年式のドゥカティのモンスター1000isに乗り換えろ」と突然の電話です。
年式も新しいしサイドバックも付いていてほぼカーボン仕様のドゥカティです。
「そんなん金ないよ」と言うと「おまえじゃけー○○万円のおいでええわー」と思わず
「それでいいんか、しらんどー、おやじさんにおこられてもー」と言っても「えーえー」と彼は言ってくれました。それが、今の私の愛車です。その愛車も今年の春に四回目の車検を迎えるときに
親父さんが脳梗塞で入院していました。
四月の始めにバイクを持っていきましたが、その時に、「一人じゃけー何時出来るかわからんでー」と
彼が言うので「ええよ。どうせ今はあまり乗ることがないけー出来る時でええけー」と言って預けましたが約二ヵ月後に「バイク出来たけー取りに来いよー」と電話がありました。
その時、彼は親父さんが入院していたため一人でやっており、「体がたいぎー」と言ってしました。
「あんまり無理せずにしろよー」と言ってその時は帰ったのを今でも思い出します。
その後、ちょくちょくバイク屋には顔を出していたんですが、その度、「しんどいしんどい」と言っていました。
十月の初めに自宅に電話があり、家の奥様と話しをしました。
私のバイクの任意保険の継続の電話でした。いつもなら本人の確認をしなくても奥様で了承してもらっていたんですが、今回は、私に電話する様にと言っていたそうです。その話をしている中で彼が「ご飯が食べられんのじゃとか、腹水がたまってるから抜かんといけんのじゃー、今週末には入院するけー」と言っていたらしく奥様は言ってました。
翌日、電話して「何の用や」と言うと「保険の継続の件じゃ」と彼が言うので「去年と一緒でいいよ」と私が言うと「実は今週末から入院するけー」と彼が言うので「そうか、まぁしっかり体調べてもらって早く戻って来い」と言うと「もう、戻ってこれないかも知れんのー」と軽い口調で言ってました。
また、「見舞いにいくけーどこの病院じゃー」と聞くと彼は「絶対に来るなよー」と強い口調で返してきました。私は「じゃあ、しょうがないけー元気になって早く戻ってこいよ」と言うと「ああー」と彼からの返事でした。
彼が入院前に家族に「三週間分の仕事はかたずけてきたから、あと、1台残っているけど」と言っていたそうです。家族からは夏ごろからしんどいんなら、「はよー病院行ったらー」と言われていたのに
彼は「まだ仕事があるけー行かれん」と言っていたそうです。
腕のいい頑固な頑固な頑固な職人です。
彼が入院して三週間目の29日の朝8時過ぎに一本の電話がありました。
ツーリングクラブのメンバーからでした。
この時期に電話をくれるのはクラブの総会の案内か、忘年会の案内かなと思いましたが、脳裏に
一瞬よぎりました。まさか………
「もしもし久しぶり、どしたん」
「あのー、良くないお知らせです」
そうです。彼が未明に亡くなったとの連絡でした。入院して三週間目です。
52才です。早すぎる………
30年来の友が亡くなりなした。
今日、お葬式に行ってきました。安らかな顔をしてました。
焼かれる前に心の中で彼の顔を見ながら「そっちでおれのバイクを整備して待っていてくれよ。必ず何時か行くからな」とそして、「また、二人で峠のバトルしような」と………
合掌
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Posted at
2011/10/31 00:24:11
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