母がほぼ寝たきりの生活を送るようになって、約一ヶ月が経ちました。
幸いにも頭のほうは認知症とは無縁のほど鮮明なだけに、本人にとっての動けないもどかしさは相当なものがあるだろうと思います。そして家族にとっても介護の苦労というものを痛切に理解した一ヶ月でありますが、それが自然と生活の一部に溶け込んでいる事に複雑な心境を覚えたりもします。
しかし食欲不振だけは依然として改善されず、体重の減少が目視出来る状況だけは何とかしなくてはなりませんが、正直なところ難しいものがあります。
そこで昨日は亡父が生前中に大変お世話になった先生に診察を受ける為、思い切って母を連れ出して台東区まで出掛けて参りました。母の外出にはストレッチャーで搬送可能な車が必要となるのですが、私は今までの経験上、民間救急に関してはその料金体系やサービスの質に疑問を持っており、緊急性が無い限りはキャデラック・ドゥビルやリンカーン・タウンカーを改造した寝台自動車を持つ業者さんに依頼します。ここは料金も明確で、サービスや運転の技量の高さでは相当なものがあると思います。
ところが外出の前の日に、母がボソッと「もう私はウチのジャガーに乗る事は無いんだろうねぇ…」と呟きました。頻度こそ少なかったものの、ジャガーで日本橋や銀座に出掛ける事を楽しみにしていた母にとっては辛いものがあったのかも知れません。
しかし、母は体が筋力の低下のみで体が硬直している訳では無く、乗降時の支えがあれば乗り込む事も可能かも知れないので、「やってみるかい?」と聞くと『そうだねぇ…』と前向きな返答が返って来ました。
結果、2名の介助でリアシートに乗る事が出来、片道30分程度の移動は無事に終了しました。そして久々にお会いした先生はにこやかに私達を迎えて下さり、丁寧に診察して下さいました。
また年明けに受診する事となりましたが、受診の後と前では別人のように前向きな言葉が出るようになりました。正直どの程度の回復が見込めるかは皆目見当が付きませんが、「ジャガーで移動する」という事を成し遂げた事に加え、やはり診察して下さった先生の安堵感を与える言葉や表情が大きかったのではないかと思います。
以前、妻の祖母が脳梗塞により意識不明の状況に陥った際、病室の枕元で面倒そうに「この歳まで生きたんだから、もういいでしょ」と大声で言い放った低脳な医師が居り、その際に私はすかさず「どの歳であろうが他人であるオマエがそんな口を叩く資格などない」とその医師を怒鳴りつけて転院させた事がありました。
私は意識不明になった事が無いので分かりませんが、もしかしたら返答が出来ないだけで、実は聞こえている可能性も否定出来ない以上は無礼極まる暴言であったと思っております。
今回の件で、患者は主治医の先生の言葉や表情にとても敏感である事を改めて感じました。単純に医療行為だけであれば、今や何処の医療機関でも相当に高いレベルは持っている世の中だと思います。しかしそれ以上に大切なものは、患者と先生の相性も含めた信頼関係に勝るものは無いように感じました。
「もうジャガーに乗る事はないんだろうね」と呟いた母が、帰り道には「またコレで出掛けられるかねえ」と前向きな言葉を発しました。正直確信は持てませんし、今回自家用車で移動させる事は薄氷を踏む思いだった私も、何だか先に光が見えたような気がして『出来るさ』という言葉を掛けると満足そうに笑っておりました。
まだまだ続くであろうこの車との付き合いの中で、きっと昨日の出来事も良い思い出になって行くのでしょう…
Posted at 2011/12/22 09:32:07 | |
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