家に帰宅しました。
高速走って思った事は、そろそろタイヤ交換しないとぉ・・・
諏訪湖周辺が激寒でした・・・・
月末には、全車スタッドレスに交換します!!!
家に帰宅したら、近所の家の九官鳥と白文鳥が居ました。
どうやら、1週間程留守にするみたいで我が家で預かっています。
行儀良く座っています。
オイラの家の文鳥は小さいです。
多分、お菓子食べ過ぎです。
白文鳥は、オイラよく行く公園の文鳥とさほど変わりません・・・
でも、この白文鳥はデカイ!!
デカ過ぎる!!!!
小さい文鳥は友達だと思い鳥かごに近寄っていきます!!
近づきたいけどぉ・・・
鳥かごの上の乗ったら、足をかじられてまして・・・・
それ以来は、かごに乗らずそばまで近寄って泣き声で威圧してますけどぉ・・・
残念ながら無視されています・・・・
籠に入ってる鳥から見ると、よそ者です!!
噛み付くのは、当たり前かもね・・・・
金曜日まで預かるらしい・・・
家の文鳥も籠に入れてみた!!
行儀悪い・・・
籠が嫌いなので、お手てに乗せてよポーズでアピールしてます。
お昼ご飯食べてから、吉祥寺へ行ってお買い物!!
冬服買いたかったけど、欲しいのが無くて・・・・
諦めて、靴下を大量に購入!!
プラモ寄って、物色しましたが・・・
欲しいのが無い・・・
なので、注文する事にしました。
注文品はメーカーではなく、問屋に在庫が有るらしく問屋が巡回の時に持って来てくれるらしいけど、オイラ的には金曜日の午前中には欲しいけどぉ・・・
今回は、このプラモ注文しました。
旧日本陸軍四式重爆飛龍です。
定例の機体の紹介をしましょう・・・・
陸軍最後の制式重爆で急降下、超低空飛行のできる軽快な運動性を持った傑作機で大戦末期に登場した他の新鋭機は真価を発揮できず終わった感じが強いけど、この機体は末期に登場したにも関わらず、大活躍した機体だとオイラは思います。
この機体は100式重爆の後継機として三菱に研究を命じて試作が内示されました。
昭和15年秋ぐらいから試作機は17年末に1号機が完成し審査に入り、2号、3号機も順次審査に加わりました。しかし初期審査機の高性能に着目した陸軍は増加試作機を20機程度発注し後期型は雷撃装備の試作を指示しました。
昭和19年初頭のは試作機、増加試作機が完成し審査も終了し量産に入る事になると同時に増加試作型は横須賀海軍航空隊で雷撃試験に入り、海軍でも高性能に着目します。
量産1号機は19年3月頃からロールアウト、秋には制式採用されました。胴体は電気溶接による分割構造で大量生産が考慮されています。
発動機はハ104キャブレター式空冷二重星型18気筒1900psを大馬力発動機2基搭載しています。
改良型は、ハ104を気筒噴射式水メタノール噴射装置追加スーパーチャジャー1速2段式も試作されましたが、運用性に難があり量産には入りませんでした。
しかし、スーパーチャージャーを廃止して、ターボチャージャーに変更された試作機は好成績で量産準備中に終戦を迎えました。
世間一般的にはこの機体の発動機に目が向けられる事が多いと思いますが、オイラは違います。
この機体のオイラのツボは、ズバリ・・・プロペラです。
この当時の日本機のプロペラはハミルトン式の可変ピッチか定速式か、ラチエ電気式が主流なんですが、飛龍はVDM電気式定速フルフェザリング式を採用している点です。
この機体、お金かかってるなぁ・・・
高性能機の為、陸軍から疾風と共に重点量産機種にして愛知県大府市の三菱大府工場と岐阜県の川崎航空機各務ヶ原工場で生産される事になりました。海軍では靖国の名称に使用されました。
量産初期は空襲も無く円滑に進められていました、空襲が激化し東海地震などによる損害で生産量は激しく落ち込み総生産数は700機位だったと思います。
Bー29に対しての防空戦は難しく、新鋭の雷電もまだ横須賀航空隊で練成中で航続距離の関係で中京地区の防空戦には参加しませんでしたが、連合軍の爆撃が飛行機製造工場への精密爆撃の意図を感じ、雷電隊は豊橋海軍航空基地へ移動し連日防空戦に参加し激しく消耗しました。
あと、飛龍と言えば・・・陸軍イ号兵器の母機でもあります。
イ号兵器は簡単に言うと、対艦誘導ミサイルです。
陸軍は戦前から細々と研究していた様ですが、誘導ミサイルが進化したのは戦局の悪化が激しくなった19年秋頃です。
ただ、考えて見るとこのイ号兵器の研究開発の為に集められた国内の技術者が居たからこそ家に有るテレビが出来たし、プレステ4が有る。
この研究をしなければ、日本のテレビジョンはもっと遅れたし、ソニーの会社を作った2人が出会うことは無かった。
イ号兵器は遠隔無線誘導式ミサイルは甲乙丙の3種類あり、乙型は実戦使用が可能なために急速に川崎にて150本程量産されましたが、実線には使用されませんし、使用したとしても近距離まで近づいて発射しますので母機ごと落とされるのは目に見えています。乙型の改良型で丙型は自動追尾装置を装着して完全打ちぱっなしの遠隔操作無しのモデルで終戦時にはテスト品が多数完成していたレベルです。
飛龍は台湾沖航空戦から姿を現し、フィリピィン戦にも多数参加しています。陸軍では浜松教導飛行師団に配属の飛龍に機体に着発信管時価付けして教員のみで編成しフィリピン戦に片道攻撃に参加もしました。
マリアナ、硫黄島方面にも爆撃を繰り返しましたが、B-29を潰す事は出来ませんでしたね・・・
九州沖航空戦では、九州担当の第5航空艦隊が手持ちの可動機全機で連日反復攻撃を行い多数の飛龍も参加していますが、この戦闘で第5航空艦隊は可動機の8割以上を失い後の沖縄戦への補充が苦しくなりました。
一式陸攻の生産経験からと100式重爆や97式重爆の改善などから得た知識を元に防弾装備に優れ、航続距離、運動性能にも文句が無かったこの機体は素晴らしいとオイラは思います。
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Posted at
2017/11/14 19:00:01