小田急ロマンスカーミュージアム [100枚]
投稿日 : 2021年05月14日
小田急ロマンスカーは私の幼少の一部になっている。
幼少期(小4まで)の私は相模原の片田舎に住んでいた。大きな買い物といえば、町田がせいぜいであったけれど、時折、大東京の新宿に行くこともあった。
ロマンスカーを利用したところで、町田から40分ほどで着いてしまうのだけれど、40分という時間は通常の40分とはまるで異なっていた。
産湯の記憶を持っているくせに、真っ当なガキでもあった私は、ロマンスカーの展望席が好きだった。
祖父母宅にあった黒電話から小田急に電話をして、展望席を確保してもらう、なんてことがあった。
箱根や江ノ島に行くときも、基本的にはクルマで行くことが多かったものの、ロマンスカーを利用することもあった。祖父のリハビリ場に行くために本厚木までロマンスカーを利用したこともあったし、
小学生同士で新宿までロマンスカーに乗車した記憶もある。
近頃は通勤特急的なポジショニングにされてもいるけれど、昔は車内販売も充実しており、かつては「動く喫茶店」とも呼ばれていたともいう。時代のなせるわざであろうか。
私の記憶に残っているのは、ロマンスカーアイスというもので、バニラ味でロマンスカーの車体の意匠が施されていた。
3100系と呼ばれるモデルがもっとも印象に残っていて、あさぎり号は芋虫っぽくて古臭い印象を抱いていたものの、御殿場まで行けるのかと思うと心が踊った。停車駅も向ヶ丘遊園や新松田など、ほかのロマンスカーとは少し変わっていたのも印象的である。
開館したばかりのロマンスカーミュージアムはコロナ禍のために予約制になっていたが、却ってそれが良かった。しばし幼児を振り返る暇ができたのかなという気がしないでもない。
同じく、子供の頃には若干セレブな横浜線沿線住まい(といっても、小学校に入学してからは淵野辺までバスで30分)の私にとっては、恐ろしいほど田舎地味た相模線(まだ電化されていない頃のことだ)もまた印象深い。橋本駅の横浜線ホームから見える相模線は異世界の乗り物のようであった。一度だけ、非電化時代に家族で茅ヶ崎まで海水浴のために乗ったことがあったのみである。
昔、その相模線に寒川支線というのがあり、異端好きの私の興味を惹いた。なんのために支線を作ったのだろうという疑問とともに、乗ってみたいなという気持ちも持っていたが、果たせなかった。
この日はロマンスカーミュージアム訪問後に、寒川駅から歩いて寒川支線跡を辿るなんてこともした。
なお、海老名からの帰路はロマンスカーであった。
海老名もまた変貌が著しく、21世紀の前半くらいまでは駅前は暗かったし、蛙の声がよく聴こえた。
ロマンスカーミュージアムはそのような場所に建てられることになったが、当時の私がよもや予測できることでは無かった。
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