2013年04月07日
“新しいモノが必ずしも速いとは限らない”
“新しいモノが必ずしも速いとは限らない”
いくら時代が流れても、ハガキ約1枚分の面積のゴムが地面に接地している事実に変わりは無いのです。
“バブル時代最期の20世紀恐竜”VS“コスト削減時代の最新鋭21世紀恐竜”
とでも申しますか・・・。
20世紀・ナインティーズ 空冷4WDターボ vs 21世紀・現行型 水冷4WDターボ
前方を走行する“1996、ないし97年式”と思われるターコイズブルーのRUF CTR2(空冷ポルシェ993型カレラをベースとするアロイス・ルーフ氏が手掛けるチューニングメーカーのコンプリート4WDターボ車輌)に対し、最強との呼び声も高い“現行型NISSAN R35 GT-R(シャドウ チューンドカー)”の富士スピードウエイに於ける本気モードの走行映像です。
オンボードカメラが搭載されている後方のR35GT-Rは、AT(オートマチック)限定免許の女の子でも運転出来る2ペダル(アクセル・ブレーキのみ)。
一方のRUF CTR2は、両手両脚を巧みに操りステックをシフトしなければならない、武骨さが光る6速スリーペダル(アクセル・ブレーキ・クラッチ)のMT(マニュアルミッション)で、実に、17年前の車です。
17年前とは、当方16歳の青春真っ只中。
中型バイクの免許を取得し、自由を手に入れたと勘違いしていた当時の、“超スーパーヒーロー的”(今でもですが)スーパースポーツカーです。
コーナリングの進入、ターンインからアペックス(クリッピングポイント・・・カーブの中心)への動きは、“さすが現行型R35GT-R”と言わざるを得ない安定感で前方のポルシェ(RUF)との距離を詰めます。
しかしながら、ドリフトアングルをキープしながら、小刻みに車体を修正しつつ、コーナー出口から直線への加速力とコンビネーションを見せつけ、RUFがジリジリと差を広げて行く姿には、ノーマージンでマシーンの武器(利点)や良さを120%まで引き出している影山正美選手の神業が光っており、男の中の男らしく、正しく脱帽であります。
後方のR35GT-Rは、テール・トゥ・ノーズでスリップストリーム(前方のポルシェが走る真後ろにて風の抵抗を減らし、また、距離によってはそこで巻き起こる乱気流にて吸い寄せられる特性を利用する高等なテクニック)を利用出来る好条件な状況でもあるにも関わらず、ジリリジリリと差を広げるRUFには驚愕させられるのです。
一時はコーナー出口のテールスライドでトラクションを逃してしまったRUFの隙を突いて、R35GT-R竹内選手に先行を許すものの、バックストレートからヒール&トゥーで1コーナーへアタックして再度抜きかえす様は圧巻であり、根っからの空冷エンジンファンの猿人である小生は、鳥肌を抑える事が出来ませんでした。
余程の希少車を除いた大抵の量産スポーツカーは、頑張って仕事をしてお金を貯めて支払えば入手する事が出来ますが、“テクニックと勇気と根性”だけは、決してお金では買えないプライスレスなものであると改めて確認させられるものでありました。
そして、新しい物に直ぐに跳び付くと言うのは、世の中の経済的な側面から見れば良い事なのかも知れませんが、一つの物を大切にじっくりと付き合うという事も一つのエコであると考え、口コミや噂、営業トークや雑誌、世間の評価だけではなく、しっかりとした自らの目線を持って、一度しかない人生を走るべきであると改めて認識させられるものでもありました。
世代や環境のせいにはせず、工学的知識を有する一流のチューナーの方がいらっしゃる限り、時代を跳び越えたモンスターはまだまだ現存するものなのだと。
次から次へと生産性や利益率を優先し、素材と手間とをコスト削減されたニューモデルや新しい物が続々とリリースされる昨今、それらへと直ぐに乗り換えるというのは、どこか無慈悲で無智な様な気がしてしまうのは当方だけでしょうか。
機械が進歩して利便性が高まれば、人間の持つ本来の機能が低下してしまったり、熱くなっていた頃の感情が何処か冷めてしまったり・・。
オートマティックの方が楽だからという理由で買ってみたものの、どこかつまらなかったりと・・。
感情とは複雑なものです。
“楽があるから苦がある。苦が無ければ楽はない。”
どちらも表裏一体で、どこまでも永延にループするものだとも思いますし、それが人間という生き物であり、ざっくりとおおまかに言えば、それら諸々の欲望や執着から離れ“空”に成れれば、とても楽になれますよ、と、説いているのが般若心経であったりと、それこそが“般若=智恵”であるという捉え方が出来ると思います。
ここで重要なのは、この諸々の欲望や執着の内容をしっかりと認めた上で“空”に成れるかという事で、それらの研究、探求する姿勢は崩さない事だと言えます。
すると自分なりの“智恵”が生まれ、それが新たな力と成る寸法なのです。
オートマチックミッションに比べ、マニュアルミッションは1行程多い上に、力を入れなければなりません。
(車)左脚でクラッチを踏む=苦
(車)手でギヤを入れるのは面倒臭い=苦
(バイク)左手でクラッチを握る=苦
(バイク)左足でギヤを入れるのは面倒臭い=苦
これらを“苦がなければ楽はないない”という公式に当てはめた場合、楽というものもなくなります。
楽という字は、“楽しい”という意味を含んでおると解釈します。
多くの人は、
「渋滞がきつい」とおっしゃいます。
オートマチックミッションはどうでしょう。
(車)右足だけで操作すればよい=楽
(車)Dレンジにしておけば勝手にギヤーチェンジしてくれる」=楽
(バイク)右手でアクセルを調整するだけでよい=楽
(バイク)右足はフロアーボードに乗せて置くだけでよい=楽
これを“楽があれば苦がある”の公式にあてはめれば、苦が顔を出すのです。
眠くなる=苦
ブレーキを踏んでいないと勝手に進むから追突させないように神経をつかう=苦
エンジンブレーキをほとんど使わないのでブレーキパットの減りが早い=苦
やっぱりマニュアル車に乗りたい=苦
と、こんな感じでキリがなくループしたりします。(笑)
そもそも渋滞自体、そのものが“きつい”ものではありませんか。
そんな中で、スポーツカーとは文字通りスポーツするもので、ジムに通っているものだと思えば良い、両手両脚を使って操作をすれば、両手両脚がバランスよく鍛えられ、それと同時に右脳と左脳に万遍無く刺激が行き渡り、それ以外の様々な事柄にも柔軟に対応できるようになるかもしれない、という様に、前向きな考え方が出来る様になれるかどうか、プラス思考に自分を持って行けるかどうか、それなりの一歩が踏み出せるかどうかが“自分なりの智恵”であり、新たな方向性へと進んで人生の厚みを変える一つのテーマに成って行くと信じて疑いません。
あの頃に胸をアツくさせた、思い出深い片想いの初恋のような車やバイクやアイテムを、現代の技術や素材を使って化粧直しをしてあげるというのも、消滅しかけた過去の分野への経済的刺激、しいては中小企業、町工場の部材や加工屋さんの活性化に加え、そこには生き物を育てるかのような愛情があり、とても魅力的な事であると感じてなりません。
それは、新旧同じく“走る感動”という視点での喜びも、2倍になるのではないかとついつい考えてしまうのです。
By 廃刊雑誌くるまにあ ジャーナリスト風味(笑)
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Posted at
2013/04/07 20:17:56
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