
実は夜勤明けから2連休でした。
世の中は3連休。久々に暦と連動して休日を頂けた私でしたが.........
休みに入る前にあるのは楽しい楽しい夜勤。
夜勤時に特変は合ったもののなんとか無事に終わりまして、無事に連休へ移行。
初日は随分ご無沙汰だった洗車と家のことで終わり(#^.^#)
翌日は
car plaza ADVANさんと奥様と
ほわすとさんとツーリーングをかねてより計画してまして、鹿児島行きと相なりました。
行先は鹿児島。
レッツらごー。。。
集合場所のセブンでなんとも珍しい光景が(≧◇≦)
こっちはBMWロードスター。もう一台白のNDが並びました。 たまたま 笑
宮崎~都城、末吉財部~知覧まで高速移動になりましたが、指宿スカイライン、すごく気持ちいいところですね。
途中の展望台で桜島を拝めました。
いつ来ても桜島は本当に壮大です。
しかしながら1.5LのNDには少々厳しい登りがありましたが、しっかりとアコードのcar plaza ADVANさんに引っ張っていただきました。やっぱり排気量のありがたみって大きいですよね。
2LのS15はどこでもそこまで不満がありませんでしたが 笑
NDは腕を磨くには最高のマシンと暗示をかけるようにしています。
さて知覧ですが、自分が小学生の頃に祖父母が老人クラブの旅行で行って冊子を買ってきてくれたんですよ。
隊員さんの名前と遺書がかかれてたり、エピソードが載っている書籍だったのですが小学生の癖にずいぶん読みふけっていたものです。なのでずーっと行きたかったのですが、行く機会がなかった.......というよりはなぜか寄せ付けないオーラを感じてました。
なのに今回は何故かぽっかりと空いた穴の中に吸い込まれるかのようにスーッといけちゃったんですよね。
そして何故か平和会館の入り口で帽子を脱いでかかとをそろえてお辞儀をしてしまいました。
何故か、帰ってきたぞ!!って気持になったんですね。不思議ですねー。
もしこの世の中に輪廻転生ってあるとしたらきっと自分は知覧に関係のある人の輪廻転生なんだろうと思わずにはいられません。でも何故か海軍好き 笑
遺影の中には何故か知っている名前も多々。小学生の頃に読んだ書籍の影響でしょうね。
一式戦Ⅲ型のレプリカが展示してありましたね。
特攻の際は旧式化してしまった1式戦ですが、中島飛行機の改良により終戦まで延命され、手練れの操縦士が乗れば落とすことはできないけど落とされもしないと言わせたくらい運動性能抜群だったようですね。エンジンは当時のいくつかの日本機に搭載されていた榮型。零式艦戦、九七式艦攻、月光、九九式双軽あたりが搭載されていたと記憶しています。
にしても展示物を見ていて思ったのは一式戦のスロットルレバーが見当たらなかったのですが.......一体全体どこに!?って感じでした。零式艦戦は左側に機銃の引き金と一緒についてますよね。
あとは四式戦の展示がしてありました。
ちょうど企画展で四式戦の映像とパネルが同時に展示してありました。
直径3.05mの4翅タイプのプロペラは当時の二〇〇〇馬力の飛行機に比べると小径ではあるものの、迫力がありました。そして初の誉エンジン搭載機!!
小径軽量ながら力がある、いわゆるレーシングエンジン。それだけシビアで当時の日本の工業力では100%の性能を発揮させることができなかったと言われていますね。その点アメリカは少々荒いことをしても壊れないR-2800-10エンジン。割り切ってますよね。
この四式戦はこの1機しか存在しません。アメリカから里帰りを果たし実業家の方が所有されていたそうですがその後いろんな場所で展示されていたそうです。その際に腐食や盗難が相次ぎ現在に至るそうですが.........
現物を見るとフラップが金属板で完全に固定されていたり悲しい状態でありました。
しかしながら垂直尾翼のバランスタブが拝めたことが何よりうれしかったですね。!!
先日千葉のエアレースでA6が復元されて飛行しましたが、この四式戦も在りし日の姿を取り戻すことを祈ります。
あとは引き上げされてボロボロになった零式艦戦。一三ミリも装備されていたので五二型丙?ですかね。
またゆっくり来たいと思いました。
さてちょっと外を散策。
どこまで見たことのある飛行機を発見。
こっ、これは!!
T-3練習機。いまでは老朽化したため、T-7に機種変更されていますが。
赤いカラーで防府の空を縦横無尽に飛んでいたあの機体じゃないですかっ!!
再会できたことがすごくうれしかったです。
このT-3からちょっと離れると 映画撮影で使われた一式戦のレプリカがひっそりと木陰に翼を休めていました。
1938年に初飛行した大戦機と平和な空で空を志望する航空学生を空に運んだ練習機。
翼を並べていると不思議な感じになりますね。
は いまの日本は平和かね?
T おじいさまたちのおかげ様で平和です。
は 今の航空学生たちはどうかね?
T 日本の防人になるために毎日頑張っておりますよ。
これが実機であればこんな話をしているのかもしれませんね。
(でもレプリカなんで当時のことは知らない 笑)
さてもっと奥に行くと特攻平和観音があります。
えーっと、これは.......新しく立て直されたのかな。
立派な観音堂がありました。
個人的に知っていたのは
こっちの建物のほうでした。
もう少し奥に行くと三角兵舎が再現してありました。
いまでこそちょっとおしゃれにこそ感じますが..........
当時は死出の旅路への準備をして寝起きをされた場所。
そう考えるといたたまれませんね。
写真こそ撮り忘れましたが、近くに当時の給水塔を確認できました。
そしてここに来る途中に富屋食堂も復元されてました。
軍指定食堂ということもありここでみなさん鳥濱トメさんを母のように慕い毅然と振る舞い出撃に望まれたのでしょうね。
お昼も過ぎておなかもすいたのでランチに行ったのですが.......
いい感じのお店に出会いましたが、ご近所の方に そこ閉めやったという話を聞きまして 汗
残念ながら 一式戦つながりで 隼ラーメンを頂きました。
鳥ガラ?トンコツ?をミックスしたかのような軽い感じのさっぱりしたラーメンでした。
軽い=隼?なのかな。
ちなみに自分は味噌ラーメンを頂きました。
平和会館そばにあり隼がちらりとのぞけます( ̄▽ ̄)
このあとは指宿に向けて出発。
知覧の平和会館の前の道ってとにかくまっすぐなんですよね。
もしかしてここが旧滑走路?かと思われました。
宇佐も畑の中のまっすぐな道が滑走路跡でしたしね。
薩摩富士こと開聞岳に向かって走ります。
こういうときドラレコってありがたいですね。
向かった先はここ!!
こんな景色を見ながら露天風呂に入れます。
何故か海上には海上保安庁の巡視船が(;・∀・)
もしや海の上からこの露天風呂のぞき放題じゃ 汗
ゆっくりと至福な時間を過ごして帰りの時間に。。。。
そしたら...........
降灰という 泣
ワイパー使えないし 泣
結局我慢して桜島SAまで走りまして、水で流しました。
知覧や鹿屋、鹿児島の日本軍機も防塵用のエアフィルターしていたのかな?と疑問に思いながら帰りました。
そしてナビシートにはほわすとさんがずーっと座ってくれて旅のサポートをしてくれました。
有難うございます。
しかしながらナビなしの車に10年数年ぶりに乗ったけど少々心もとないことも事実でした。
知覧に行けたこと、本当に良かったとおもいます。
戦争で命を落とされた多くの英霊の方々の鎮魂を祈るとともに平和を願います、
さて私はというと平和ボケした自分に鞭打ってまたまた今宵も夜勤という名の戦場へいざゆかん。