
私の故郷の五島は福江島。江戸時代には「宇久氏」が島を納めていました。島の各地には有力な豪族が居まして、私の町にも「玉之浦氏」が居ました。
その玉之浦氏、兵を挙げ勢いのまま宇久氏を島外に追放した時期がありました。いわゆる「玉之浦の乱」です。その後鎮圧されるのですが、玉之浦氏の居城(もしくは館)が未だにどこに有ったのか判らないのです。
五島はもともと氷河期の後に海面が上昇した時、九州の筑紫山地続きの山が取り残されて出来た島です。溺れ谷ですので湾が入り組んでいて、私の町の場合は陸地は海岸線にしがみつくような狭い埋立地を除いてほとんどが山なんですね。
大正から昭和の初期、その湾が注目されて遠洋漁業の基地になり栄えた頃が有りました。ですので、土地を求めて山の上まで段々畑がいっぱい作られたのです。過疎が進んだ今はそれらは使われずに取り残され、山の一部に戻ってしまいました。
小学生の頃、「玉之浦氏の居城を誰かがどこか山中で見た」という話を聞きつけました。
当時、日本の城やシルクロード、中南米の遺跡に興味が有った私の血が沸き立ちました。週末になるや、町内の山々を独り歩き回りましたよ。
そうするとね、麓からは木々に覆われて見えない山の斜面や頂上に石垣やら階段やらがあちこちに有るんですよ。4~5メートルの高さで曲線的で見事な石垣があったときには感激物でした。ちょうど対馬に有るような朝鮮式山城(金田城・父の実家近く)の石垣に見えたんですよ。
時には陶器の破片やさび付いた鉄の器具も地中に埋まってたりして。もう独りで興奮ですよ。
勝手に城と思い込んでは縄張りを考えてね。手帳を持ち込んでは書き込んでました。ここが大手門、天主台、空堀・・・・ほんと自分だけの世界でしたね。
もちろんこれらが城跡などという確証はなく、十中八九入り組んだ段々畑の跡だったんでしょうが、探究心・冒険心はかなり鍛えられました。
帰りが遅いために、近所の人が集まって捜索にでる寸前になったこともありましたが・・・ 怒られましたよ、そりゃあ。
まあ、もうよしとしよ。
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五島・やんちゃ期 | 日記
Posted at
2005/03/23 12:17:11