さて続き。相変わらず写真貼っていきます。
昭和55年ごろ空撮 小名浜臨海工業地帯、藤原川を南東側から見る
小名浜精錬所ですね。工場の右側から外周に沿って線路が延びているのがわかります。
今はすっかり様変わりして線路があった・・・かな?くらいの跡しか残っておりません。
線路のあたりを少しアップで。
工場の右下隅のあたり(写真の左下あたり)には一時期、廃車となった485系が置いてありました。
おそらくそこが解体場所だったのではないかと思うのですが・・・
ここに485がいた写真持ってる方、いらっしゃいませんかね?
子供の頃だったのでカメラなぞ持っているわけもなく、ただクルマの窓から「何でここに485が!」と見ていただけでした・・・
写真をもう少し左側へ行くと留置線があり、DL1台分くらいの小さな車庫がありました。
またその留置線には、これも解体待ちだったのかもしれませんが穀物用ホッパ車のホキ2200の姿もあったと記憶しています。
黒色が多い貨車の中にあって、ベージュ色(クリーム4号)の大きなタンク体は異様な雰囲気でしたね。
ちなみに工場外周の線路は、写真には写っていませんが左に向かってさらに延びており、道路を横断して日本COMの工場内まで行ってました。
これは下のタイトルが見えますね。
昭和53年9月撮影、日本化成の臨港道路側の門です。今は閉鎖されてたような?
このあたりは臨港道路に沿って石炭の山がいくつも連なっていて、3号埠頭から直接工場内へ石炭を運ぶコンベアが道路の頭上を横切っておりました。
写真にも写っている鉄骨組のクレーンが、いつも忙しそうに稼動していました。
時期は少し新しく、昭和57年9月の写真ですが、先の写真の逆側から撮ったものです。
わかりにくいのですが、奥の方に道路を横切るコンベアがあるのが見えますでしょうか。
ちなみに右に見えるセメントの大きなタンク。
この下まで臨海鉄道の支線である埠頭線が延びており、セメントタンク車(タキ1900とかだったと思います)が常に置いてありました。
高校生の頃、植田7:01発の平行きに乗ると植田~泉間で上りのセメント貨物とすれ違っていた記憶があるので、少なくともその頃までは鉄道貨物でセメント輸送が行われていたと思います。
平成3年3月 臨港道路臨港第一踏切を行くディーゼル機関車
今イオンを建てているところが写真の左側、当時の小名浜駅があったところです。
この道路はイオンとららミュウの間を走る道路ということですね。
小名浜駅構内から枝分かれした線路はこの踏切で臨港道路を渡り、先のセメントターミナルのあった埠頭線へと延びていました。
ららミュウと小名浜美食ホテルができた頃はまだこの踏切が残っていましたが、この写真のように信号機でクルマを止めるタイプではなく、周辺が整備された時と合わせて一般的な踏切と同じように警報機と遮断機のあるタイプに更新されておりました。
ただ、その頃はすでに埠頭線はほとんど使われていなかったようで、現在のアクアマリンふくしまの臨時駐車場あたりで解体されていた、セメント用タンク車を運ぶためにたまに走る程度だったと思われます。
ちなみにヤマザキはこの踏切を渡る列車を見たことは一度もありませんでした・・・
昭和44年10月 小名浜駅西側の渚踏切を南側から見る
小名浜駅を出るとすぐにあった踏切です。
今、ミニストップとバス乗降場のあるあたりですね。
貨車の入換が始まると、開かずの踏切になってしまうことで有名でした。
昭和42年7月 宮下踏切方向を南西側から見る
もうひとつの開かずの踏切で有名な宮下踏切。
近年まで踏み切りのすぐ横に宮下駅があり、東邦亜鉛の貨車の入換が行われていました。
この写真の当時は日本化成や小名浜精錬からの貨車も一旦宮下駅に入れて入換していたのでは・・・?と思いますが、どうなんでしょうか。
今は宮下駅もなく、全て新しくなった小名浜駅で入換をしているようです。
と言っても今は東邦亜鉛の通称「安中貨物」と東京からのコンテナ列車と、一日2本の列車しかありません。
そのためだけに線路を維持管理していくのは非常に厳しいのでは・・・?と思います。
下のタイトルが切れてしまって見えませんが、上の宮下踏切を市街地側へ進んだところにある×(バツ)型交差点です。
ここを左へ進むと宮下踏切、直進すると泉駅方面、この交差点からは曲がれませんが右へ進むと小名浜の本町通方面です。
写真の右半分に見える「万宝屋商店」の倉庫はまだ現役だったはず。
今はその倉庫の奥が小名浜消防署です。
信号待ちをしている「興国鋼線ワイヤーロープ」のトラック、よく見るとおはなさん商店のクルマですね・・・
作業工具や配管部品、ブルーシートや土嚢袋、保護用品から雑用品までなんでも揃うおはなさん商店は前の職場にいた時はだいぶお世話になりました。
作業中、「あ、テープがない!」とか「ワイヤーが切れちゃった!」とか、配管作業で「3/8のエルボが1個足りない!」とか「溶接するのにゴーグル忘れちゃったよ・・・」など、そんな時は是非おはなさん商店へ。
以上、あからさまな宣伝でした(だからステマじゃない
そうそう、ららミュウができた当時はこんなお買い物列車が走ってたんですね。
当時は知らなかったのですが。
臨海鉄道線をDD56に牽かれた14系客車が走るなど、今やったら鉄ヲタが大挙押し寄せて周辺は阿鼻叫喚の地獄絵図となるでしょう・・・
そしてこちらは橋上駅舎に改築される前の泉駅。
地味な駅舎ではありますが、小名浜への玄関口となる駅でした。
手前に並んでるクルマ、左から2番目にフォードのテルスターセダンがいますね・・・
泉駅構内。
この写真の時点ではすでに旅客営業はなかったのですが、常磐線ホームの向こうに臨海鉄道の泉駅ホームが残っていました。
と、いろいろ昔の小名浜・泉がわかる写真があって見ごたえがありました。
最後、何も買わずに帰るのもアレなので、ハンバーガーれたすでダブルバーガーを。
注文を受けてから作り始めるのと、お客さんがかなり多かったので10分ほど待ちました。
ホント久しぶりに食べましたが、パンズにしみ込んだテリヤキたれと焼きたての温かいパティ、そして冷たくシャキッとした野菜の組み合わせはやっぱり美味いですね。
マク○ナルドのように味が濃くなくあっさりしているので、あと3個くらい食べられそう(笑
名残惜しいところですが、さすがに帰って休みたかったので昼過ぎに撤収、13時ごろにようやく自宅へ帰りつきました。
と、横浜の話より小名浜の話の方が長くなりましたが、これでこの旅はおしまいです。
リスポの向かいにあった駐車場はすでにアスファルトが剥がされ、リスポの建屋も近いうちに解体が始まるものと思われます。
またひとつ、小名浜の歴史が消えようとしています。
その裏で新しいものも生まれているわけですが、こうして古いものを写真に残しておくというのも、非常に大事なことなのだと改めて実感しました。
フィルムからデジタルが主流となり、良く撮れた写真だけを残してあとは消去、というのが当たり前になってしまいましたが、実はダメ写真に貴重なものが写っていた、なんてこともあるかもしれません。
10年後、20年後には貴重な資料となる可能性もあるので、写真の上手下手は別として記録しておくことは大事ですね。