8月22日の海上自衛隊呉教育隊第361期練習員課程の修業式に出席する為8月21木曜日は午前中に仕事を終わらせ急いで出発。
高速道路の無料区間を利用し一気に蒲江まで移動しまして
昼食後も黙々と走り続けて関門海峡を渡る前のSAで小休止です。
対岸に唐戸市場が見えます。
更に黙々と走り続けて何とか明るいうちに呉のホテルへ到着できました。
チェックインを済ませた後は呉駅へ行きまして
生ビールと広島焼き(大和セット?)で疲れた体を癒しまして
ホテルに戻って一人二次会開始。広島といえばせんじ肉が楽しみでして♪
長距離運転の疲れから早々に撃沈しました。
翌朝目覚めた時には晴れていたのですが次第に雲行きが怪しくなりチェックアウトする頃には凄まじい豪雨となってしまい修業式が心配でしたが
何と教育隊へ到着する頃には奇跡的に雨が止みまして息子が同期と約5ケ月間暮らした隊舎や
教育隊の敷地内をゆっくりと見学する事ができました。画像は旧日本軍の兵舎の一部です。
ちゃんと自転車のチェックもしてきましたよ(笑
また雲行きが怪しくなってきたので
早めに修業式会場へ入ります。
練習員全員が席に着いた後は銃を持った練習員達(一般曹候補生)の入場に始まり
海上自衛隊呉音楽隊の入場
最後に幹部や来賓の方々が入場し
式は厳粛に執り行われ
最後は呉教育隊司令(画像右端)も父兄へ挨拶して行ってくれました。
修業式終了後は昼食を兼ねて
隊員食堂で壮行会です。万歳三唱で締めくくった後は
いよいよ見送りの時です。来週修業式を迎える練習員と幹部達が整列する中
海上自衛隊呉音楽隊が
明治33年に作曲され海軍時代から現在の海上自衛隊まで伝統的に使われている
行進曲「軍艦」を演奏しながら先導し
各分隊、班ごとに敬礼しながら
行進して行きます
正門前に
全員整列した後は5ケ月間お世話になった教育隊へ向けて敬礼し
呉音楽隊が蛍の光を演奏する中、海軍伝統の帽を振り
最後に国旗へ向かって敬礼
正門から
全員旅立ちこれで教育隊とのお別れの儀式が終了となりますが平成生まれのゆとり世代で育ってきた同期達が約5ケ月もの間、現代の日常生活の中では絶対に体験する事は無いであろう旧大日本帝国海軍時代からの伝統を引継いだ海上自衛隊の教育隊で厳しい訓練と規則正しい共同生活に耐え抜いてきたという事実と今まで子育てをしてきた色んな思いが次々と脳裏に浮かんできて思わず涙してしまいました。
幹部達を乗せた車列を最高の敬礼で見送る正門の隊員達。
最後は各分隊ごとに一旦隊舎前まで戻り
最後の儀式である分隊解散式が執り行われました。
各班長から最後の激励の言葉がありまして・・・どれも熱く想いのこもった素晴しい激励の言葉で練習員と父兄の胸を打ちます。
この班長はその前に涙を堪えられず練習員達に後ろを向かせているところです。最後に分隊長から練習員、父兄への言葉を頂きましたが教育隊で鬼と呼ばれる各教官達がこの5ケ月間どんな思いで練習員達の教育にあたっていたのかがよく判り、分隊長、班長、練習員、父兄共に涙を流しながら感動の締めくくりとなりました。
分隊解散後晴れて正式な海上自衛隊員となった隊員達は即次の勤務地へ向け全国各地へ移動を開始するのでここが家族、同期と共にこれで最後のお別れの場となり巣立ちの時となりました。
その後事前に申請していた父兄達は自衛隊が準備していてくれたバスに乗りこみ艦艇見学へ向かいます。
これは教育隊正門にある戦艦大和が誇る世界最大の46センチ主砲弾です。
艦艇見学の時間調整で我々のバスは独身自衛官だけが使用できるマンションの内部を見学をさせていただきました。左手の建物は1階がプールで2階が体育館で右奥に見える建物が自衛隊病院です。
からすこじまへ移動して艦艇を見学しますが悪天候の為予定していた護衛艦は見学できなくなってしまい、今回は 輸送艦しもきた のみを見学させていただく事になりました。
その後ろの岸壁には練習艦や・・・
なんと 最新の護衛艦いせ まで普通に係留されていました。これが日常の風景とは・・・
呉ってやっぱり今も昔も海軍の街なんですね~
では 輸送艦しもきた 艦艇見学の始まり~
艦内の厨房の様子です。
一般人には考えられないような狭く急角度の階段を上って行きます。
しもきたのご神体。
しもきたの履歴書?
艦橋見学と操縦席。
羅針盤から見た風景。
実際に艦橋から肉眼で見る風景はこんな感じでした。
ここは医務室なので
ついチェックしてしまいました(笑
災害時には何時でも高度な医療が行われるよう準備しているそうです。
広い甲板の上を歩きますが70年前まで実在していた戦艦大和はこの艦よりも更に大きかったんだと思うと・・・凄いものですよね~
甲板から見た軍港呉ならではの非現実的な風景。
対岸には建造中の巨大なタンカーが。これも造船の町呉らしい風景です。
対岸では潜水艦の見学も行われておりました。水面に見えている部分は全体の三分の一程度なんだそうです。
ここは輸送艦しもきたの食堂です。
時化の時にもテーブルや椅子が暴れないよう上手い事固定されていました。
お風呂(浴槽)はたったの1つ(シャワーは多数有り)で
トイレは・・・むごいですがこれもガテン系公務員の世界では伝統みたいですね(笑
艦艇見学を終えバスに戻りますが
今回案内してくれた自衛官の方は何と九州は大分県佐伯市出身の方で海自佐伯分遣隊にも3年勤務した事があるとの事でした。
帰りの道中も呉市の事を色々と教えてもらいながら教育隊へ戻りまして。
最後は息子が同期と共に約5ケ月間生活しお世話になった隊舎を眺めつつもう二度と足を踏み入れる事は無いであろう呉教育隊を後にして
高速道路で今夜の宿へ向かいます。途中宮島SAで休憩して
一気に移動し午後8時前に下関のホテルへ到着。翌朝に唐戸市場で買い物をして帰る予定なので下関に宿を取っておいたのです。
お腹が空いたので近くの居酒屋で一杯やりまして
宿へ戻るのですがすぐ近くの岸壁には何故か怪しげな艦艇が・・・
翌日へ
続く・・・(謎
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