11月最後の週の中頃茨城県の北部をドライブしてきました 茨城県の北部海沿い以外で出かけたのは袋田の滝、竜神峡、あとは奥久慈の蕎麦屋めぐりをしたくらい・・・ それも、かなり以前のことで自分にとってドライブの空白地帯 今回は新たなドライブコースを作成すべく出かけてみました 濃い霧の朝、BRZを走らせます群馬県太田市の太田桐生ICから北関東道で真岡へ向かう途中、スバルを積んだキャリアカーを何台も見るどこへ行くのか? ほとんどフォレスターやXV高速を真岡で下り、もてぎ町へ道の駅で小休憩 栃木辺りから真岡までは霧が晴れたけど、また霧の中朝の道の駅は新鮮な野菜がいっぱいでも、買ったのは出来立ての大学イモ色鮮やかでツヤツヤ、ホクホクの大学イモに惹かれた ^ ^ だいたい、ここへ来ると次はツインリンクもてぎだが今回は通過して茨城県へ常陸太田市方面へ向かいます那珂川に寄り道本当に真っ白な世界霧はどこまで続くのかと思いながら走り出すとすぐに霧が晴れ青空の良い天気! 国道293号で常陸太田市に入って少し観光 水戸黄門こと水戸藩二代藩主 徳川光圀が63歳で隠居してから、73歳で亡くなるまでの10年間を過ごされた西山荘へ武田鉄矢版、水戸黄門は見ていないけどどうなんでしょうか?駐車場から綺麗な公園内をしばらく歩いて奥まで行くと入り口ここから有料で入場料1000円くぬぎの丸太でつくられた質素な、くぬぎ門ここからは、どんな人でも駕籠や馬を降りて歩いていかないといけなかったそうです奥の方を見ると何だか良い雰囲気モミジが良い色です茅茸き屋根の質素な造りの家こちらに隠居して日本の歴史書「大日本史」の編纂に取り組みますがその傍らに多くの領民と親交を重ねたそうです自らも領民として水田を耕し年貢を納めていたそうです手前の公園に水田の一部がありましたこちらの丸窓の部屋は、御学問所・御寝室で大日本史を編纂した部屋元禄13年(1700年)に生涯を閉じた場所でもあるそうです 他に写真を撮ることはできませんが水戸光圀公が書いた書や絵の掛け軸を見ることができます家の周りの風景も素晴らしいです ちょうどモミジの見頃でした 今年はモミジをじっくり見に行く機会が無かったのですがこんなに綺麗なモミジを見ることができました西山荘手前の公園に「助さんの住居跡」という看板があって気になっていたので行ってみましたが、看板に従って行くと大きな池の脇を行く長い遊歩道が出現!?所々モミジが綺麗なんですが、どこまで続くの??どんぐりがたくさん落ちている石段が出現!石段を上って、やっとたどり着きましたよ!本当に家があったらしき跡地が・・・あるのは案内の看板と当時使っていたという井戸だけ助さんも大日本史の編纂に協力していたそうですが何で家はこんな奥の方なの?300年前は空が広かったのだろうか?とても気になりました北茨城ドライブですが、全然走っていないのにここで満足気分になってしまいました後半へ続きます