
2014年の『ル・マン』が終わった。
やっぱり……という言葉はいけないとは思うが、でも、今年もトヨタはル・マンで勝てなかった。耐久シリーズ戦のWECで2連勝し、サルテでもポールシッターとなり、決勝レースでも14時間、首位の座を渡さなかったのに……。そして、「速さ」ではトヨタが上位だったのに……。
しかし、いきなり、無線連絡もできないような状況で、すべての電気系統が息絶えたという。1999年、首位を奪還できる速度で激走中の残り30分時点で、片山右京がドライブするマシンを襲ったのはタイヤ・バーストだった(結果は2位)。2014年は、これに匹敵するくらいの、惜しい!……という年になってしまった。
『ル・マン』の勝利の女神は、なぜか、トヨタ・ワークスにだけは、なかなか微笑もうとしない。だが、四半世紀以上にわたって(中断の時期もあったが)参戦をつづけている「持続」は素晴らしいこと。いつか必ず、いいことがあるさ! こんな風に、リスペクトとともに肩を叩いてあげたいと思う。
そしてニッサンは2015年から、その「ル・マン」に参戦する。トヨタ vs アウディの闘いに、2014年からはポルシェが既に加わっていて、これでアウディ、トヨタ、ポルシェ、ニッサンの4ワークスが来年のサルテに集うことになった。
ちなみに、今年のニュルブルクリンク24時間レースに参戦するニッサンGT-Rのカーナンバーは「30」と「80」であるという。リリースによれば、これは「ニスモとニッサンの創立を記念して」とのこと。こうした数字へのこだわりは、実はニッサン・ワークスの好むところなのだが、さて、これは来年からの『ル・マン』にも適用されるのか。それとも、ル・マン・カーのエースナンバーは、やはり伝統の「23」で不変なのか?
そのカーナンバーを付けて、1995年と1996年の二年間、ニッサンはル・マンに「スカイライン・改」で参戦した。本ブログに4回連載で掲載したのは、そのうちの1995年における闘いと結果だ。
いまにして思えば──いや、当時も現場でそんなことを感じていたが、これはいわば“ふしぎな挑戦”だった。水野監督もフッと洩らしていたが、当時のニッサンが、仮に手持ちの市販車をベースにル・マン用のレーシング・カーを仕立てるとすれば、フェアレディZの方が適任ではなかったかということ。
何より、90年代半ばという時点で、『ル・マン』に、プロトタイプ・レーシング・カーと呼ばれる車両によってではなく「市販車・改」で、それもスカイラインのような“セダン・改”で出場しようというのがレアというか無謀というか……。
しかし、ニッサン・ファン、さらにスカイライン・ファンにとっては、これは不思議でも何でもないのだろう。たとえば、こんな写真がある。(タイトルフォト)
ニッサンは、その80周年記念として、「 80 years of moving people 」と題した写真メインの歴史書を刊行した。この書は新技術とモータースポーツに振った編集になっていて、ニッサンの市販車として歴史的に重要だと(私が)考えるプリメーラ(初代)とキューブ(二代目)が登場しないのは個人的には残念だが、それはともかく、同書で「合併そして更なる進化へ」というプリンス自動車との合併(1966年)記事に続く見開きページを飾っているのが“あのシーン”なのだ。
──1964年、日本グランプリ。鈴鹿サーキットのヘアピンで、ペッタンコのプロトタイプ・レーシングカー、ポルシェ・カレラの《前》を走る、四枚ドアのセダン! 付けられたコピーは「怪物が生まれた。」( A MONSTER IS BORN. )
この時から、スポーツカーより速い“ハコ”という「スカG」伝説は始まった。そして、それが国内限定(ローカル)のものであることを知っていたからこそ、一度でいい、世界の舞台に「スカG」を立たせてやりたい。それが「ル・マン24時間レース」なら最高だ!……というのがニッサン・ファン、スカイライン・ファンの長年の願いになった。
そして、その“声なき声”を最もよく知っていて、そして現実のものとしたかったのが、ほかならぬメーカー自身だっただろう。だからR33スカイラインの渡邉主管は、ジャコバン広場で、ほとんど目を潤ませながら「本当にル・マンを走る、感無量です」と呟いたのだ。
ただし、ストレートが長く、空力も大切なサルテでは、“四角いハコ”はやっぱりムリだった。95年と96年の二年間、“スカG”に花束を捧げた後に、ニッサンは『ル・マン』のためのプロトタイプ・レーシングカーを作る方向にシフトする。TWRとのジョイントで生まれたそれは「R382」の後継として「R390」と名付けられ、参戦二年目の1998年に総合3位というリザルトをゲットする。
さてさて、というわけで、「2015年のジャコバン広場」は極めつけに賑やかになりそうである。ニッサンがどういうマシンをどういう態勢で持ち込むのかは未発表だが、ただ、先走ったことを言えば、参戦の初年度は、やはり、いろいろとむずかしいのではないかと思う。百戦錬磨の“あのポルシェ”でさえ、初年度の今年は表彰台には登れていない。ただ、そんなことはニッサンは、百も承知だろう。そしてトヨタには、「今度は……」という気配が十分にある。
2015年のサルテで何が起こるのか。一年後の『ル・マン』、期待して待ちたい。
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モータースポーツ | 日記
Posted at
2014/06/18 15:12:35